終わりの世界で、始まる世界
キン丸
第1話 7月25日 9:05 三木咲良
潮風に吹かれるカーフェリーの甲板で、私は手摺に身を任せながら、ゆっくりと離れていく港を眺めていた。
周囲からは、船のエンジン音に混じって沢山の人の談笑が聞こえる。
その多くは、私と同じ私立中條中央高校の生徒達のものだ。
おそらくこれから私達が向かう上島について話しているのだろう。
そんな彼等を横目に、風になびく肩まで伸ばした黒髪を掻き上げ、制服のスカートから取り出したスマホで今日の天気予報を確認する。
今日は快晴の予定だが、明日の夕方からは少し天気が崩れるようだ。
これから向かう2泊3日の臨海学校の間はなんとか晴れていてほしい。
その間私達はテントで生活するため、雨の中でのキャンプは辛いものがある。
現在の気温は22度。
まとわりつく湿気のせいで体感温度はもう少し高く感じるが、吹きつく風のおかげで暑さは感じなかった。
そんな時、カーフェリーのエンジン音に混じって、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
後ろを振り返ると、見知った顔が手にオレンジジュースと紅茶を持ちながら近づいてきた。
「三木、気分でもわるいのか?」
彼は人の良さそうな笑みを浮かべながら、両手に持った飲料を差し出す。
どちらも表面に水滴をつけており、購入したばかりだろうことが伺える。私は怪訝な顔で彼を見上げた。
身長160センチ程度の私にとって、185センチの高身長である彼の顔を見ようとすると、自然と見上げる形となってしまう。
すると彼は端正な顔を綻ばせて言った。
「別に毒なんか入ってない。俺の奢りだ。それともコーヒーとかのが良かったか?」
周囲には中條中央高校の生徒が多くいるが、どの生徒も誰かしらと談笑しており、1人でいるのは私だけであるため気を遣わせてしまったようだった。
「ううん、ありがと佐藤君。なんかゴメンね、変に気を遣わせて。」
彼、佐藤航君は同じ2年1組のクラスメイトだ。
三ヶ月前に私が東京から引っ越してきた時、まだクラスに馴染めていない頃から気さくに接してくれ、事あるごとに面倒を見てくれていた。
私は少し悩んでから紅茶のペットボトルを受け取り、キャップを開けて口をつける。
口の中にほんのりとした甘味と紅茶の風味が広がった。
佐藤もそれにならい、オレンジジュースのキャップを開けると、それを豪快に口に煽り喉仏を上下させる。
余程喉が渇いていたのか、一息で半分程を飲み干した。
その勢いに、つい笑ってしまう。
「朝からどんだけ喉乾いてんの。」
「朝ランニングしてからまだ何も飲んでなかったからさ。」
「それ臨海学校の日くらい休んだら?」
「夏の予選も近いならな。そんなことも言ってらんないさ。」
以前から、その野球に対するストイックさには感心していた。
彼は2年でありながら、その高い身体能力により、野球部ではエースで4番という漫画の登場人物のような働きをしていた。
その身体能力も、恵まれた体格だけでなく、こうしたの日々のたゆまぬ努力により結実したものなのだろう。
「上島に着いたら、今度は私がコンビニかどこかで何か奢るよ。」
私がそう提案すると、彼はかぶりを振った。
「いや、そんなこと気にするな。それに多分コンビニはないと思うぞ。」
「え、そうなの? もしかして無人島?」
「なんでコンビニがないだけで無人島になるんだよ。島の人口が400人くらいしかいないから、多分コンビニはないんじゃないかってこと。しおりくらい読んどけよ。」
私はその言葉に苦笑する。
確かに事前に配布されていた旅のしおりはほとんど見ていない。
読んだところといえば、持ち物の欄くらいである。それにしても、コンビニがないというのは驚かされた。
私が東京から柴田市に引っ越してきてから3カ月、田舎での暮らしにもようやく慣れてきた。1時間に1本の電車、街灯のない道、果てしなく続く田園風景……。
最初は東京での生活を恋しく思ったりもしたが、住めば都とはよく言ったもので、今ではそれが当たり前になりつつあった。
そんな田舎でも、コンビニだけはどこにでもあったため、彼話しには衝撃を受けた。
「コンビニのない生活なんて考えたことなかったけど、本当にそういう所ってあるんだね。」
「それだけじゃない。上島にはあまり車は走ってないもんだから、以前は信号機がなかったんだ。だけど、今は島の学校の前に信号機が作られてる。……何故だかわかるか?」
彼はバラエティ番組の司会者のような仕草で問いかける。
少し悩んでから、自信なさげに答えた。
「うーん……。生徒が事故にあったから?」
「残念、不正解。」
彼はその答えを待っていたかのようなリアクションをとり、得意げに解説する。
「正解は、上島の学生が島から出た時に信号で慌てないためだ。」
彼の言動には時々苛立つものがあるが、その正解には驚かされる。
確かに島で生まれ育った子どもにしてみれば信号機など見たこともないのだから、初めて見る信号機に戸惑う学生もいることだろう。
「なんだか日本じゃないみたい。」
「ちゃんと日本です。全ての上島の島民に謝ってください。」
「それにしても佐藤君、島のことについて詳しいね。それともみんなの中では常識だったりする?」
少し声のトーンを落として聞いてみる。
すると彼はツーブロックに刈り込まれた頭を掻きながら言った。
「どうだろうな。知ってる奴は知ってるだろうけど、そこまでいないんじゃないか? 俺は昔親と近所の奴らでキャンプしにきたことあるからな。ほら、4組の斎藤蓮っているだろ。アイツも一緒だったんだよ。」
「……そうなんだ。斎藤君と地元一緒だったんだね。」
正直斎藤と言われても、最近になってようやくクラス全員の顔と名前が一致した私にとってよくわからなかった。
唯でさえ人の名前を覚えるのが苦手なのに、他のクラスの人間などわかるはずもない。
「ウチのクラスの神田さんは一緒じゃなかったの? あの子家隣じゃなかったっけ。」
「……そうだな。志保も一緒だった。」
彼に直接聞いたわけではないが、自分達と同じ2年1組の神田志保さんは、中学を卒業した頃から佐藤と付き合っているという噂を聞いたことがあった。
佐藤の地元は柴田市よりも更に田舎であり、保育園から中学までずっと同じメンバーなのだそうだ。
そこまで同じ期間を一緒に過ごしていれば、友人としての絆は強まるかもしれないが、恋愛感情を持つことは稀ではないだろうか。
雑誌で読んだ程度の恋愛知識しかない私にはよくわからないが、それでも恋人関係になっているということは、互いによほどの気持ちを持っているのだろう。
彼女と付き合うことになるまでの馴れ初めには興味があるが、話しの脈絡なく聞くのもどうかと思うので、一先ず胸中にしまいこむ。
そんな事を考えていると、会話が途切れ、妙な沈黙が訪れていたことに気付く。
何か話題を変えようと、話しの種になるものを探して周囲に視線を泳がせる。
丁度その時、船内に続く扉が開かれ、甲板に出てきた少女と目が合った。
自分と同じ、白いワイシャツに青を基調とした制服のスカートを身に纏った彼女は、私と目が合った瞬間驚いたように固まり、踵を返して元来た船内に引き返していった。
その時に垣間見せた彼女の表情は、怒りと悲しみを織り交ぜたような複雑なものであり、普段の明るい性格からは到底想像できないものであった。
「神田さん?」
私がそう呟くと、それに反応した佐藤が振り返るが、彼の視線に入ったのは音を立てて閉まる船内への扉だけだった。
なぜ自分の顔を見て逃げられなければいけなかったのか。
思えば彼女は、私が転校してすぐの頃は気さくに接してくれていた気がするが、いつの頃からか避けられるようになっていた。
理由は分からない。
私はいつも通りに生活していたつもりだったが、ある日突然距離を置かれるようになった。
常にクラスの女子の中心にいた彼女が避けるようになってから、その他の女子達も自然と三木から距離を取るようになった。
だけど、特に私物を隠されたり暴言を吐かれることは無かったので、イジメにあっていたわけではないのだろう。
1人で甲板に上がっていたのも、臨海学校に浮かれるクラスメイト達の中に身の置き場がなかったからだった。
今までは、彼女が私を避けることはあっても、先程のようなあからさまな反応をとったことはなかったので、その行動に困惑してしまう。
一体自分が何をしたというのだろう。
私がそう思案していると、彼のスマホの着信音が鳴った。
彼は赤い貝殻のキーホルダーを付けたスマホを制服のポケットから取り出す。
画面に目を落とし、少し考える素ぶりを見せてから私に言った。
「……悪い、下の奴等が俺のこと探してるみたいだからそろそろ行くわ。」
「そっか。気を遣ってくれてありがとね。」
「ああ、また後でな。」
去って行く彼を見送ってから、私は再び思案する。
タイミングからして、今彼にメッセージを送ってきたのは神田さんではないだろうか。彼を呼び出して何を話すつもりなのだろう。
……わからない。
船は上島に向かって進んでいく。
空は晴れ渡っているが、遠い地平線には灰色の入道雲が鎮座しており、まるで、これから起こる不穏な未来を示唆しているように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます