第5話 7月25日 16:10 斎藤蓮
「……あれテントか?」
遠目で見ても、大人数人が入れそうな大きさのものであることがわかる。
色からして中央高校のテントではないだろう。
「風で海に飛ばされたのか?」
「いや、テントが飛ばされるくらいの風なんて台風みたいなもんだろ。ここしばらく雨も降ってないんだから違うんじゃないか?」
「取り敢えず見に行ってみるか。」
そう言うと、一旦岸に向かって泳ぎだした。
海から上がると、急に寒気が襲ってくる。
俺は両手で体をさすりながらテントのような物に向かって歩いた。
対する彼はまったく寒さは感じないのだろうか、平然と歩きだしていた。
やはり脂肪があると、体感温度にかなりの差があるのだろうか。
すると山口は目線だけこちらを向けて睨んでくる。
「斎藤、お前今俺に失礼なこと考えてたろ。」
「……いや別に。さっさと行こうぜ。」
納得のいかない顔をしている山口を放っておき、テント型の漂着物に向かう。
近ずくにつれて、それがテントではないことがわかってくる。
漂着物の下部は、家庭用のビニールプールのように空気が入っているようで、それで浮力を得ているようだった。
「……これ……救難筏?」
漂着物の正体に気付き、俺は愕然とする。
昔テレビで、転覆した船から脱出した人のドキュメンタリー番組で見たことがある。
「……へー。救難筏ってこんな形してんのか。」
妙に冷静な山口は、そのままボートに向かって歩き出した。
「……ってマジかお前! どうすんだよ!」
山口の行動に我に返った俺は咄嗟に声をかけるが、彼は既に岩を飛び越えながらボートに向かっていた。
「なーにビビってんだよ。中に何があるか気になるじゃん。さっさと来いよ。」
そう言われ、嫌な予感しかしないがなんとか山口の後ろに追いつく。
筏は円錐型をしており、中央は中に柱でも立っているのか、周囲の生地を張り、中の様子を伺うことはできない。
近くで見ても特に痛んだ箇所はなく、まだ使用してから日は経っていないように見えた。
嫌な予感は拭えないが、中を覗くしか選択肢はないようだ。
もし仮に、この中でまだ人が生きており、身動きが取れない状態であったなら助けなければならない。
もし生きていなくても、警察に届け出なくてはいけないだろう。
まずは山口が中に向かって声をかける事にした。
「すんませーん、誰かいますかー。」
緊張感のない、間延びした山口の声に反応するのは誰もおらず、帰って来るのはさざ波の音だけだ。
だとすれば、残された可能性は二つ。
使用者が既に外に出た後か、若しくは中で生き絶えているかのどちらだろう。
後は後者でないことを全力で祈るだけだ。
……ああ、元々無人の筏だけが流されてきたというのも考えられるか。
何にせよ、中を覗かなくては始まらない。
一度山口と顔を見合わせてから、2人して筏の正面に屈み、筏の入口を遮る生地に手を掛ける。
いつのまにか、山口の顔にも緊張が感じられた。
そんな彼をからかう余裕は今の俺にはない。
心臓が、長距離を走った後のように暴れる。
額を嫌な汗が滴れ、それを片手で拭う。
もう一度、山口と目配せをしてからゆっくりと筏の生地を捲る。
筏の中は薄暗く、はっきりとした様子はわからない。
しかし、人間が倒れていないことだけは確認できた。
瞬間、全身から力が抜けた。
大きく息を吸い込み吐き出す。
山口も気が抜けたのか、ニヤニヤしながら軽口を叩き始めた。
「斎藤って意外とビビりだな。」
「っせえな。 お前だって覗く時ビビってたろ。」
「全然ビビってねえよ。大体、筏自体まだ綺麗なんだからミイラなんて入ってるわけねえじゃん。」
確かにそうかもしれないが、それを大口で叩けるのは中を覗いた今だからだろう。
山口の言葉に苛立ちを感じながら、何となく筏の中に目を移した時、床に帯のようなものが落ちている事に気付く。
「……? 中になんかあるぞ?」
筏の中に人間の死体がないことが確認でき、緊張のなくなった俺は、身を屈めながら中に足を踏み入れる。
中は意外と広く、中心部は大人であっても立つ事もできる程だ。
中は相変わらず薄暗く、はっきりと見通すことはできない。
帯状の物に手を伸ばし、持ち上げてみると、予想外にずっしりとした重量が手に伸し掛かった。
帯状の物の先にはポケットが付いており、その中には金属の塊のようなものが入っているようだ。
そして、その金属の塊を右手で掴んで、そのポケットから引き抜いた時、俺は戦慄した。
幼い頃、友達とよくそれのオモチャを片手に戦争ごっこをして遊んだものだ。
今手に持っているそれは、そのオモチャと同等か、少し重いくらいである。
しかし、その少しだけの差異が逆にリアリティーを持って、それが本物であることを確信させる。
無骨な形をした黒い鉄の塊は、薄暗い筏の中で凶悪な存在感を発していた。
俺は今、拳銃を手に取っていた。
「……斎藤、それ本物?」
筏の入口から頭を出していた山口が声を掛けてくる。
逆光でその表情までは読み取れないが、この状況から、彼も俺が手にしているものが本物であることを確信しているようだ。
帯だと思ったものは、その拳銃を収めるホルスターであった。
震える手で、弾倉止めを親指で押すと、装填された弾倉が引き出され、それを受け取める。
弾倉には金色の弾丸が装填され、鈍く輝きそれがオモチャでないことを物語っていた。
弾倉を再び銃に収めてから、震える手でホルスターに戻す。
そして、山口の言葉に答えようと口を開きかけた時、筏の床に描かれた模様のようなものに気付いた。
薄暗い中ようやく目が慣れてきて、その模様の正体に気づいた。
赤黒い色をした、血痕であった。
血痕は、筏の中で這いずり回ったのだろうか、いくつも擦れた跡があり、既に乾燥しているようで、固まってしまっている。
急に背中から吐き気が込み上げるてきた。
「……もう無理だ。離れるぞ。」
山口も血痕の存在に気付いたのか、呆然としてしており、そんな彼を強引に押しのけて、筏の外に出る。
俺は肺に新鮮な空気を何度も取り込み、なんとか冷静さを取り戻せるよう呼吸を整えるが、胃の中の不快感は拭われない。
……どうする。
今自分達はとんでもないものを見てしまっている。
筏の床一面に付けられた血痕。
あれは誰かが争った跡なのだろうか。
それとも傷付いた生存者がもがき苦しんだ後か。
どちらにせよ、まともな事態ではない。
そもそも俺達がこんな訳のわからないことに巻き込まれる必要はあるのか?
いや、ない。
今ならまだ引き返せるはずだ。
俺は自分が触れた拳銃のグリップを、まだ濡れたままの水着で乱暴に拭い、救難筏の中に放り投げた。
「……山口、もうみんなの所に戻ろう。」
そう言って、歩き出そうと顔を陸地に向けた刹那、俺は凍りついた。
山口も同じように凍りついたのが背中からの気配でわかる。
砂浜の向こうに広がる林の中に、男の姿が見えたのだ。
男は、血に濡れたワイシャツを身に纏い、まるで底のない暗闇のような、ドス黒い両の瞳でこちらを見ていた。
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