五の巻 「闇の現」
(11)御庭番
その女は空から舞い降りたように、何の物音も立てず、清月の足元に影のように立っていた。
左手に笠を持ち、足に脚絆を巻き付けた出立ちで、朱鷺色の着物が派手だが一見すると旅装姿の若い女だ。
だがその髪の色はこの倭の国では珍しい陽の光を模した金色で、かの女はそれを頭の右側へ結い上げ、くるくると螺旋を描くように巻いて肩に流している。
女はそれを左手で軽く払いながら、ひやりとする切れ長の目をゆっくりと細めた。どこか作り物めいて見える彫の深い顔立ちに、青磁のように滑らかな肌。
ねっとりとした視線はまるでは虫類のそれで、こちらを見下ろす女の顔を、清月は反動のせいからくる痛みではなく、明らかに生理的嫌悪感のせいで睨み付けた。
術を無理矢理行使したせいで起きた反動の痛みは、徐々に薄れてはきたが、まだ起き上がるだけの余力はない。清月は着流しの右袖と裾を、あの女が投げた銀のかんざしで地に縫い止められた仰向けの体勢のまま、ゆっくりと息を吐き口を開いた。
「お主が関わっていると思っていた……
女――
「あら、そう。私はあなたを探していて、たまたまここに居合わせただけなんだけど」
茶化したその返事に、清月の瞳はさらに剣呑さを増す。
「白々しい。寺の地下で『お庭番』を斬った。舌に『影王』の刻印があった。さしずめお主の配下の者であろう」
「だから、何だっていうの? これだから内部の事情を知る者を、野放しにするわけにはいかないのよね。『影王』様直属の『元・お庭番』――桐生清月」
清月を見下ろす珠蓮の瞳に、どす黒い感情の炎が灯る。
「それはすでに私の名ではない。そして、私は
珠蓮は肩をすくめかぶりを振った。
「ええそうね! あなたは自分の目的の為に影王様の『お庭番』として、
落ち着き払っていた珠蓮の顔が血色を帯びた。
その視線は、腕が動くかどうか、握りしめていた右手をそっと開いた清月に注がれている。
「清月。それ以上動かないで。動けばあの子の目玉を、これでえぐってやるわよ?」
「……」
珠蓮は朱鷺色の着物の袂から、きらりと光る銀のかんざしを手にしていた。
かの女の視線を追うと、ほんの二十歩ぐらいの離れた後方に、三人の人影が見える。
清月は胸の内で舌打ちした。
暗い目の光以外を黒装束で覆った二人の男に捕えられた光華の姿があったからだ。光華の両手を後ろ手にして抱えた背の高い男が一人と、その白い喉に短刀をもう一人の男が突き付けている。
光華に短刀を突き付けている男は、彼女に預けた清月の刀を腰に差していた。
「あのお嬢ちゃんを殺してもよかったんだけど、いた方が取引が有利になるかと思って」
珠蓮の顔からは、先程までの殺気を帯びた表情は消え失せ、まるで捕らえた獲物をいたぶるような笑みが浮かんでいる。
すると、光華がかろうじて上半身だけをよじりながら、地に倒れている清月の姿に動揺しつつも、叫び声を上げた。
「せ、清月さん。こっ、この女よ! 髪の色は黒だったけど、この女が私に『紫嵐隠密組』のお札をくれた……」
清月はゆっくりと目配せをして、光華の言葉に応えた。
そんなところではないかと思っていたのだ。
「お嬢さん。あの時は本当にありがとうね。具合悪そうにしていたのは演技だったけど、あなたたち館林忍軍のおかげで、紫嵐の清月をおびき出すことができたから、とっても感謝しているわ」
「なっ――なんですって……? それってどういう……」
「珠蓮!」
清月は鋭くかの女の名を呼んだ。
一瞬思ってしまったのだ。光華にはきかせたくないと。
自分をおびきだすためだけに、館林忍軍は利用されたということを。
「まだわからないの? 館林の間抜けなお嬢ちゃん。ま、いいわ。あなたは私の望む通りに動いてくれたから、冥途の土産に話してあげる」
「館林忍軍に謀反の疑いがあり――。そう密書にしたためて、
「なっ……!」
「この
「だ、だからって、何故私達なの!? 私達はこの二十年間、ずっと殿に仕えてきた。『お庭番』のあなたの仕事だって、邪魔したことがないのに!」
珠蓮は心から光華を憐れむように、切れ長の目を伏せてみせた。
「だから、何? 私は別にどこだってよかったのよ。紫嵐隠密組に、助力を請う気持ちを持ってくれる者さえいればね。ま、今回はたまたま、梶尾城の守備を一手に握りたがっていた
「そんな……」
喉に短刀を突き付けられたまま、光華ががっくりと頭を垂れた。後ろ手でつかまれていなかったら、きっと膝からくず折れてしまっていたに違いない。
真実を聞かされて悲嘆にくれるその背中に向かい、珠蓮がさらに追い討ちをかけた。
「館林忍軍の謀反の意を示すために、梶尾藩主の娘、
びくんと光華が体を震わせた。
「あなたが……あなたが
「動くな。この刃には毒が塗ってある」
光華を後ろ手で掴んでいた珠蓮の手下が、前に思わず出ようとしたその体を抱え込む。
「最低! なんて最低な女なの!」
けれど珠蓮は光華の非難もどこ吹く風で、涼しげな顔をしていた。
「あらあら。あなたが怒るのも無理ないけど、でも本当に恨むべくはこの男ではなくて? この男――紫嵐の清月はね、私と同じ影王様に仕える『お庭番』でありながら、その絶大なる信頼を裏切り、
「珠蓮。黙って聞いていれば、お主――」
珠蓮はうちひしがれ、白い頬に涙の筋をつける光華を見つめていた。が、顔はそちらへ向けたまま、やおら右手を振った。
空気を切り裂く鋭い音が清月の耳に響いたかと思うと、銀のかんざしが清月の右頬をかすめて地面に突き立った。
「下らないお喋りはもう終わり。私はこの男を、影王様の所まで連れていかなければならないのよ」
「誰がお主と行くと言った」
「あら。この状況でよくそんな口がきけるわね。あの子が盛った薬で身動きとれないくせに」
珠蓮はその場に膝をついて、清月の顔を覗き込んだ。
右手に再び研ぎすましたかんざしを握りしめる。
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