(10)罠
荒寺の裏手に繋がる道に、何者かが入り込んでくるのを清月は感じた。むき出しの刃のような殺意が、彼等の実体よりも先にこちらへとぶつけられるのがわかる。
光華の話の続きが気になるが、まずはここから出なくてはならない。
清月は光華を伴い、傍らの岩壁へその背中をもたれかけさせてやった。まだ途方にくれたまなざしを向ける、光華のそれを見ながら話しかける。
「そこを動くな」
短くそう言い放ち、振り向きざまに清月は太刀を振りかざした。鉄と鉄がぶつかる鋭利な音がしたかと思うと、清月の足元には九十九衆が投げた苦無がばらばらと落ちている。
だがそれらに目を向けることなく、清月の太刀は通路から現れた黒装束の男の小太刀を絡めとっていた。
反撃する暇を与えることなくそれをはね除け、空いた脇腹を返す刀で斬り付ける。低く呻きながら倒れる男の脇を通り抜けると、その体を盾に隠れていた黒装束の新たなそれが鋭い突きを放ってきた。
「ちっ!」
何時もの感覚なら難なく避けられる攻撃だが、清月の反応はほんのわずかだけ遅れた。咄嗟に着流しの右袖で刃を絡めることで、突きを受けることを免れる。びりびりと裂かれるその音を聞きながら、清月は左手に気を集めた。
「ぐはっ」
袖で黒装束の男の刃を流しながら、その首に氷の針を突き立てる。
二人を倒したところで清月は振り返った。
「光華殿、ここにいたら埒が明かない。外へ出るぞ」
「……はっ、はい!」
清月と光華は寺の裏手に出られる通路の中に入った。
中はやっと物や岩肌の輪郭が区別できるくらいで薄暗い。しかし清月は夜目が利いた。九十九衆の気配を光華が察知した時には、すでにその者は清月に斬り倒されているのだった。
通路の洞穴は意外に短かった。出口から外を伺うと、あたりは竹林で朝の白々とした空と空気が感じられる。
「……九十九衆、絶対ここらに潜んでいるはずよ。清月さん」
光華の言葉に清月は岩盤に背中をつけて、外の様子を探っていた。
九十九衆はこの通路を使って侵入してくると思ったが、そうしないのは、やはり待ち伏せの罠があるとみていいだろう。
現に寺へ戻る道は塞がれた。とすれば、逃げ道を失った清月たちがこの道を使うのはとっくに見抜かれている。
一見静かに、さわさわと葉を揺らす高い竹の上の方とか、枯れた葉がいくつも重なり落ちている地面の下とか――。
清月は静かに右手の太刀を黒塗りの鞘に収めた。そしてそれを光華に手渡す。
「預かっててくれ」
「清月さん?」
慌てて両手でそれを抱えた光華が、思わず上ずった声をあげた。
「奴等をすべていぶり出すのに邪魔だ。そしてお主も終わるまでここから絶対に動くな。よいな」
有無を言わせない口調と表情。殺気とは違う別の冷たい何かが、清月の痩躯から溢れていた。
朝の光のせいだけじゃない。紙のように白い面ざし。秀でた額の真ん中で分けられた黒髪の下には、じっとりとした汗がういている。
「せ、清月さん……大丈夫? 無理しないで。あの薬のせいで立っているのも辛いはずよ」
思わず触れずにはいられなかったのだろう。自分の頬に向かって伸ばされた光華の手を、清月は薄い唇の上に浮かべた笑みで振り払う。
「心配無用。相手は私も腹に据えかねていた連中だ。それに……」
切れ長のその瞳が細めらるのと同時に、清月の笑みは己を嘲笑うものへと変わっていた。自分の顔を見上げる光華の顔が、紫嵐の里にひとり残るかの女(ひと)と重なっていく。
『いつまで、こんなことをされるおつもりですか? 『紫嵐隠密組』などと。私達の役目はここにいることで果たされます――清月様』
『あなたの思いには応えられない……漣……』
清月は目を伏せ頭を振った。
「これが私の選んだ生き方なのだ。戦いの中へ常にその身を置くこと。それで私は、己が『生きて』いると感じたいのだ」
「――清月さん!!」
清月は身を翻し、朝靄のたちこめる竹林へと駆け出した。
清月が姿を現わした所で、目の前の落ち葉が生を得たように舞い上がり、その動きを行く手を阻む。落ち葉に紛れていた黒装束の者達五人が、清月に向かって
清月は竹を盾にすることでそれを避ける。なるべく光華のいるあの通路から遠ざかるように、荒寺の方に向かって走っていく。
今回の仕事は、九十九衆のせん滅だ。
館林忍軍の最後の生き残りを追い詰めるため、彼等はこの寺に集まっている。光華のせいでとんだ番狂わせがあったが、『依頼』は果たさなければならない。
「――――!」
足元の落ち葉から白刃が閃く。一斉に十数本の刃が天へ向かい突き出されるのが見える。清月はかろうじて地を蹴ると、上方の竹に向かって跳躍することでそれを避けた。
トトトッ!
清月の動きに合わせて竹に幾つもの針が突き刺さる。
四方の竹の葉に隠れていた九十九衆が、口元に筒を当てて、再び地面に降りた清月めがけ針を放つ。
清月は着地したと同時に後方を振り返った。袖で針をたたき落とし、刀を構えて斬り掛かってきた十数人の九十九衆を目にする。ぐるりと取り囲まれる瞬間、清月は傍らの竹を蹴りつけて、再び上方へ飛んでいた。
竹が後方へしなり、再び元の体勢に戻る時の反動を利用して、さらに上へと飛び上がる。先程まで清月の足があった所を、吹き矢から放たれた毒針が突き抜けていく。
清月は空に舞いながら、右手にぐっと気を込めた。
ぞくぞくとその流れが、血とは違った高揚感が、手に集まってくるのを感じながら。
いつもならそれは一瞬のうちに集まるのだが、今は光華に盛られた薬のせいでじれったいほど動きが悪い。清月はいら立ちながら歯を噛みしめ、いつも以上の精神力で、己が内の気脈を吸い上げた。
「氷、月、刃……!」
清月の体を取り囲むように氷の刃が無数に出現する。冷気で白く輝くその薄刃が、文字通りの氷雨となって地上に降り注ぐ。
鉄の刃以上の硬度を持っているのか、それを払っていた九十九衆の一人が、刀を折られ、唖然とした表情を浮かべながら、胸に同じ氷の刃を受けて仰向けに倒れる。
九十九衆のみならず、その刃は竹林にも突き刺さり、それを真っ二つに斬り倒していく。
「……」
めきめきと十数本の竹が倒れ、落ち葉が茂る地に透き通った氷の刃がそこここに突き刺さっている光景を、清月は何の感情もこもらない表情で見つめていた。
二十名程いた九十九衆たちは皆、清月の放った技で絶命し地に倒れ伏している。地上に立っている者の影が無いことを確認して、清月はその場に着地した。着流しの袖が、鳥の羽根のようにひらりと舞う。
草履を履いた右足が、地上に触れたかと思った途端。
きらりと何かがまさにその地点をめざして飛んできた。
ざくり。
清月は何とか受け身をとって着地し、足をよじって避けたが、それは清月の黒い着流しの裾を地に縫い止めている。
「……!」
その物体は小さな銀細工が施された女物のかんざし――。
一瞬きらりと光るその輝きを見たせいで、清月の反応はまた一瞬だけ遅れた。気付いた時には、身を起こす暇も与えられずに、三本のかんざしが間髪なく飛んできた。
「くそっ」
二本は右の袖で振り落とした。が、三本目は袖を突き刺し、またもや地面に縫い付けられる。
「うっ……」
清月は右腕を動かそうとして、突如走った胸の痛みに息を詰めた。
視界が急激に暗転し、どくどくとこめかみが早い鼓動で疼いている。頭を直に殴られたような重い鈍痛が、辺りの視界を歪ませていく。
術を無理矢理行使したせいで、反動が一度に清月の体を襲ったのだ。十分に体に『気』が満ちていれば、術を行使した反動は徐々に治まるよう、緩やかに水のように流れていく。
けれど清月はそれらもすべて術の具現化の為に使用した。
中途半端に術を放っても、今の体調では次に使えるようになるまでしばらくの時間を要する。だからこそ――あちこち逃げ回り、頃合をみて九十九衆を集めてから、一気に倒す戦法を用いたのだ。
いっその事、首と胴を切り離して欲しい。
そう願わずにはいられないような頭痛と、自分の意志では止まらない右手の痙攣のせいで、清月は地に体を伏したままだった。
早く反動が治まってくれることを思いながら、清月はふと人の気配を感じた。いや、それはすでに察していたのだが、その気配は何時の間にか己の近くへと来ていたのだ。
「へぇ……。上手くいくかどうか心配だったけど、あの子ちゃんとあなたに薬を盛れたのね」
人を小馬鹿にするような軽い口調。声は艶やかだったが、同情の欠片すらない冷たい響きだ。
清月はまだ口が利けなかった。
だが何者が目の前に立って自分を見下ろしているのかはわかっていた。
「どうも、お久しぶり。桐生清月――いや、今は『紫嵐の清月』だったわね」
朝の薄明かりの中で、紅を引いた唇がうっすらと笑んだ。
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