四の巻 「突破」

(9)後悔


 その音は後方の地下通路――荒寺の本堂へ繋がっている方向から、まるで天の雷が岩を砕くように響き渡った。

 草履の下の岩盤が小刻みに震えているのが解る。


「何。今のは?」


 光華が弾かれたように顔を上げ、後方の通路へと素早く振り返った。

 脱兎のごとくそちらへ駆け出そうとする。


「光華殿、駄目だ」

「嫌っ! 放して。夕香姉さん、三郎太っ」


 清月は左手で光華の手首を掴んでいた。光華が泣こうが叫ぼうが、その手を放すつもりはない。


「行ったところで無駄だ。寺への道は閉ざされた。我々もここを早く出なくてはならない」

「何で、何でそんなことがわかるの!! 早く行かなきゃ。あそこにはまだ姉さん達が」


 清月はうんざりした面持ちで光華を一瞥した。あわせて体のなかに澱のように溜まる疲労が、よけい気持ちを苛立たせる。

 とんだ薬を盛られたものだ。清月は心の中で悪態をついた。

 血の巡りが悪くなったせいで、術を呼び起こすために必要な『気』の流れも乱され、それらの動きがもどかしいくらいに遅いのだ。

 先ほど二度続けて術を行使したため、今九十九衆に囲まれたら、術を具現化するために必要な気がたまらないせいで、その場をしのぐことができない。


 清月は光華の手を掴んだまま、寺へと続く後方の道の前へ行った。その暗き通路を見るように光華へうながす。


「奴等が『雷火らいか』を通路に放り込んだからだ。その爆風であの通路の岩は砕かれ埋もれている。わからないか? 火薬の臭いが」

「火薬……」


 唇をきつく噛みしめ、意地で清月の腕から逃げ出そうとした光華の瞳が、大きく見開かれた。

 通路からはうっすらと白い煙が漂い、なんとも言えないいがらっぽさを帯びた臭いもする。

 光華は抵抗をやめた。すべてを悟ったように。

 その気配を察した清月は彼女の手首から己の手を放した。呆然と通路を眺める光華を気にしながら、清月は腰の太刀を抜き放つ。

 清月の刀は光華に奪われていた。だが、土蔵の鍵を開けてくれた女――五月が、それを清月に手渡してくれたのだ。脱出の際、必要だからといって。

 術を使うにはまとまった『気』が必要だ。それが中々回復しない今、敵に遭ったら斬り倒すしかない。

 

「わかったら早くここを出るぞ。光華殿」

「……」


 光華は黙ったまま通路を見つめていた。大きく見開かれた若草色の瞳は、度重なる喪失感のせいで視線が定まらないように、ゆらゆらと揺れている。

 清月は刀を手にしたまま、そっと光華の細い肩に手を置いた。


「お主は生きなければならない。死んだ者達のためにも。だから私は、お主の依頼をこれから果たす」

「……」


 もうどうなってもいい。

 そう言いたかったのだろうか。すでに泣く気力さえも失われたのか、光華の白い顔には何の表情も浮かんでいなかった。

 今にも崩れ落ちそうなその体を、清月は黙ったまま袂へ引き寄せた。


「光華殿。今は辛いが、九十九衆の囲みを突破するまで辛抱してほしい」

 

 光華の両肩が小刻みに震えている。


「……なさい」

「えっ」

「ご免なさい」


 喉元からかろうじて絞り出したような細い声。

 光華は顔を上げ、静かに清月を見つめていた。


「わ、私が……あなたの『力』を欲しなければ。すぐさま九十九衆を滅してくれるように頼んでいれば。夕香姉さんや三郎太……みんなを死なせずにすんだかもしれない。本当にご免なさい」

「光華殿」


 光華は再び清月の肩に額を押しつけすすり泣いた。


「私、悔しかったの。父や皆を殺されて……逃げ回ることしかできなかったことに。だからあの女が『紫嵐隠密組』のことを話してくれたとき、上手くすればあなたの『力』が手に入るかもしれないと聞いたとき、この手で奴等を滅せられる可能性が見えてきて、喜びに体が震えたわ」

「あの……女……?」


 清月はぎこちなく言葉を返した。

 紫嵐隠密組への依頼の方法はただ一つだけ。

 西の都「境」に紫嵐の里の出身者が宮司を勤める神社がある。勿論宮司が紫嵐の里の者だと知っているのは、頭である清月ただ一人。


 仕事の依頼をしたい者は、宮司から白紙の札を購入し、それに依頼の内容をしたためた後、己の息を吹き掛ける。

 この白い札は実は小太郎の力が込められている『式』であり、札は鳥へと姿を変えて、紫嵐の里まで飛んでいくのだ。

 今回の光華の依頼もまた、そうやって清月の元へ届いたものだった。


 だがこの札には安易な依頼を受けないようにするために、清月が秘術を施している特別製だ。心から紫嵐隠密組に仕事を依頼したい。その念が感じられなかった場合は、札は鳥へ姿を変えることがない。


「その女とはどんな女だ。依頼の為の札も、その女にもらったのか? 一体、どこで?」


 清月がそう問いただすと、光華は小さくうなずいた。


「あれは阿湖耶(あこや)姫様が、何者かに毒殺される数日前。私、父である頭に命じられて城下の薬問屋へお使いに行ったんです。その時、道端で具合悪そうにうずくまっている、旅の女の人を見かけて。こうみえても私、薬の調合は得意なんです。ちょっと熱っぽかったから、いつも持っている熱冷ましの粉薬を飲ませて、近くの旅籠まで連れていってあげました。その時に、お礼だと言って、『紫嵐隠密組』のお札をもらったんです。困ったことがあればきっと助けてもらえるからって……」

「しっ!」


 刹那。――気配がした。

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