三の巻 「落人-おちうど-」

(6)追手の影

 紫嵐の清月を閉じ込めた土蔵を出て、光華こうかは荒寺の本堂へ戻っていた。

 ちなみにあの土蔵は、この寺の地下にある隠し部屋の一つだ。


「お頭。外に九十九つくも衆が潜んでいるみたいだ。今、日和ひより左太郎さたろうに様子を見に行かせてるが、早いとこここから逃げた方がいい」


 光華の姿を目ざとく見つけた副頭領の三郎太が、どうやら九十九衆に見つかった事を報告しに来た。


「そう……」


 光華はふっと息をついた。同時にどっと肩の上に重いものが被さってくる。

 館林の城を追われて一週間が過ぎた。その僅か一週間のうちに、二十名ばかりいた仲間は逃亡途中で殺され、今は光華を入れて七人になってしまった。


 光華は館林の町を離れ、仲間を三つに分けて隣国へと落ちのびようとした。

 主を失い、その元へ帰る事ができない館林忍軍は、『忍軍』としての意味をもたない、ただの集団になってしまったからだ。


 それに九十九衆は、武士に劣らない剣技を持っているので、正面きって戦うのはあまりにも無謀すぎた。

 光華は生き残る事を一番の優先事項として、方々へ散っていく仲間達と別れた。


 それなのに。

 九十九衆はまるで千里眼を持つものがいるのか、ことごとく別れた仲間達を探し出し、彼等を殺していった。そして屍は葬られる事なく、街道で無惨な姿をさらし続けていた。


 光華はその光景を見ている事しかできなかった。

 仲間達の屍に近付くことすら許されなかった。

 彼等は館林忍軍の生き残りをおびき出すために、傷つき、腐りゆく身をさらし続けているのだ。

 そして――。


「また、逃げなくちゃいけないわね。……私達、いつまでこんなことを続けなくちゃいけないのかしら」

「お嬢。弱気になっちゃぁいけねえ。お嬢の事は、儂等のために命を捨てた頭のためにも必ず守る」


 三郎太の声はやっと聞き取れるほどの小さなものだったが、光華を慰めるように優しい響きを伴っていた。

 しかし光華は、己の不手際を胸中で呪っていた。激しく悔いていた。


「どうして奴等、ここがわかったのかしら」


 今いる本堂からでも、九十九衆の放つ荒々しい殺気を感じ取れる。

 一人や二人ではない。

 仲間を殺しつくした彼等は、最後の生き残りが潜むこの場所を見つけ、梶尾の殿の命令を遂行すべく、集まりつつあるのだ。


「ごめんね、三郎太。きっと私、つけられたんだわ」


 光華は指の関節が白くなるほどぐっと強く己の腕を掴んだ。

 そう。

 月のある夜に、よりにもよって、敵の住まう天守閣で、紫嵐の清月と待ち合わせたのが間違いだったのだ。


『月の大事を軽んずるな』

 隠密行動に出る時は、月の出る前か沈んだ後だ――そう説いた父の声が、こうなったのはお前のせいだといわんばかりに、繰り返し繰り返し頭蓋を響かせる。


 今は亡き――館林忍軍二十三組の頭領だった父は、阿湖耶あこや姫毒殺の一件で、梶尾藩主に無実を訴え、その嫌疑を晴らすために甘んじて主君の太刀を受けて死んだ。


『光華。お前は皆を連れて逃げのびよ』

 父の首は斬り落とされた上、それは館林の城下に入る門の前に、主君へ弓を引いた者への見せしめとして、今も野ざらしのままにされている。


「光華、三郎太、早く隠し通路の中に入って!」


 その時、右手の土間の方へ行ける障子が動いたかと思うと、光華は凛とした声が呼び掛けるのを聞いた。


「ゆ……夕香ゆうか姉さん!」


 それは五つ年上の、光華の従姉妹にあたる夕香であった。彼女は紺の忍び装束をまとい、血まみれの小太刀を左手に握りしめていた。頭巾は被ってはおらず、高く結い上げた黒髪からは、はらりと長い乱れ髪が落ち、華奢な鎖骨の上に流れている。剣呑さを増した切れ長の目の中に、途方にくれたような、けれど自らの運命を悟ったような、不思議な穏やかさを秘めた光を光華は見た。


「夕香、日和ひより左太郎さたろうはどうした? 外で見張ってたあおい夕夜ゆうやは?」


 副頭領・三郎太の問いかけに、夕香はきりとした眉をしかめ首を振った。


「葵と夕夜は背後から斬られた。左太郎は私を庇って斬られた。日和のほうは……土蔵で『紫嵐の清月』を見張ってる五月さつき河太郎かわたろうに、九十九衆のことを知らせに行かせたわ。さ、早く! 本堂へ九十九衆が入ってくるわ」

「は、はい!」


 光華と三郎太と夕香の三人は、薄暗い本堂の観音像の裏へと回った。夕香は、忍びの訓練を受けた者でないとわからない、微妙な忍び文字が刻まれた板壁を探り当て、それを決められた手順で動かす。

 一つ奥へ押せば、数時間前、紫嵐の清月を案内した茶室へと繋がり、上に動かした後で下に押せば、彼を捕らえ閉じ込めている、土蔵への通路に行くことができる。


 夕香は素早く動かした。上と下に。

 人ひとり入れる入口が開いたかと思うと、三人は風のように通り抜けた。光華と三郎太が通路に入ると、その後ろに続いた夕香が再び板を動かしてそれを閉ざす。

 その時だった。本堂に多くの人の気配を察知したのは。

 同時に闇夜を切り裂くような、鋭利な絶叫が響き渡る。


「今の声は日和だわ。ゆ、夕香姉さん……! 日和がっ、日和が!!」


 光華は思わず夕香の腕に取りすがった。手が震えて自分でもそれをとめる事ができない。唇をわななかせながら、光華は込み上げてきた悲鳴を抑え込んだものの、津波のように押し寄せる恐怖に耐えきれず、夕香を見つめた。


 ――こわい。

 ここで、死んでしまうの? 私達は……。



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