傘さし狸と迎え人 ――蛙――16


 月曜日。


 梅雨時らしい薄曇りの空の下、県立影繪高校の校舎は、賑やかな喧騒に充ちていた。ここ二年C組の教室でも、窓辺の机でくつろぐ漱也の耳に、どこか興奮気味の話し声が聞こえてくる。


 声の主は、先週の土曜日にアルバイトの件で羽根川に叱責されていた女生徒だ。


「ホントだって! さっき職員室に呼ばれて〈そもそもどうしてバイトしたいんだ?〉なんて訊かれたから、ヤケ起こして〈お母さんの誕生日にルンバ買いたいです〉って正直に答えたのね。そしたら羽根川のヤツ、あっさりバイト許可証にサインしてくれちゃって」


 ええー、と一斉に驚きの声が上がった。


「どうしちゃったの、羽根川? 先週までと別人じゃん」


「転んで頭打ったとか? あ、ついに誰かが夜道でぶん殴ったとか?」


 自業自得とは言え、ずいぶんな言われようだ。


 しかし漱也には、たった数日で羽根川が変わった理由がわかる気がした。


 ――彼女は今、きっと彼と共にいる。


 帰りを待ち続けてくれる人が、できたのだろう。


「あー、そういやさ、漱也。コンビニの面接どうだった?」


 スポーツ雑誌をめくりつつ訊ねた侘美に、思わず漱也は頭を抱えこんでしまった。


 正直に答えたいのは山々だが、〈離れ森の妖怪相談所で、アラウンド卒寿の美少女の助手をすることになった〉とはさすがに正気の沙汰ではないだろう。


「実は、別の店で働くことになって」


 とりあえず無難に切り出してみたものの、何ともしどろもどろな漱也の説明に、侘美は「うーん、正直、さっぱりわからないな」と首を傾げた。


 けれど。


「まあ、よかったんじゃない?」


 ニッと笑顔が返ってきた。


「なんか漱也、楽しそうだしさ。正直、お祖父さんが倒れたころから、ずーっと顔が曇りがちだったから、そんな風にしてんならよかったなって」


 思いがけず漱也は胸が詰まるのを感じた。


 その時――。


 不意に雲の裂け目から光が差しこみ、にわかに空が色を取り戻した。ひるがえったカーテンから差しこむ陽射しに、束の間、盛夏のごとき鮮烈さで目を射られる。


 ――青。


 蒼生の瞳によく似たその色を見つめながら、ふと漱也は今日が六月の終わりであることを思い出した。


 

 夏が始まるのだ。


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