傘さし狸と迎え人 ――蛙――8

 そうして漱也の向かった先は、影繪町商店街だった。


 表町と裏町の境目をなぞるようにして南北にのびた、昔ながらのアーケード街である。昨今の不況でシャッターの下りた店もあるものの、なかなかの盛況ぶりを誇っていた。


 目指す先は、柑子庵という老舗菓子舗だ。


 悲しいかな、片田舎というだけに全国に名を馳せるような知名度はないが、それでも名物の栗どら焼きには老若を問わず人気がある。


 まさか離れ森の妖怪にまで知られているとは思わなかったが。


(しかし、まったく一体どうしてこんなことに)


 溜息を吐きつつアーチをくぐり、店のトレードマークである柑子色の暖簾を目指した。


 と、意外な人物を見つけてしまった。


「げ」


 なんと担任の羽根川だった。


 とっさに思い浮かんだのは、つい先ほど侘美から聞いた噂話だ。


〈噂だと無許可でバイトしてるヤツを見つけようとしてんじゃないかって〉


 慌てて回れ右をしようとした、その時。


「早冬か?」


 時すでに遅し。見事呼び止められてしまった漱也は、嫌々足を止めて向き直った。


「まさか今が期末テスト前だってことを忘れたのか? こんな所でうろうろしてる暇があったら――」


「ええと、家が近所なんで、それでつい、その」


 あたふたと言い訳を口にした漱也に、羽根川がふと眉根を寄せた。


 てっきり尋問でも始まるのかと思いきや、


「……そうか、早冬の家はこの近所だったな。確かお祖父さんと二人暮らしか」


 独り言のように呟いた羽根川は、何かを迷う目で漱也を見た。


 そして、どこか思いつめた表情で口を開くと、


「この辺りで化け狸の噂話を聞いたことはないか?」


 あまりに突拍子もないその問いかけに、思わず漱也は固まってしまった。


「は、はい?」


「いや、最近の話でなくてもいいんだ。お祖父さんが子供の頃、いや、もっと昔でもかまわない。この辺りに化け狸が出るって噂を聞かないか? たとえば、軒下で雨宿りをしている子供がいると、傘をさした狸が迎えに――」


 ふと羽根川の声が途切れた。


 ようやく漱也の困惑ぶりに気づいたのか、はっと我に返った顔で口をつぐむと、


「変なことを聞いて悪かったな、忘れてくれ」


早口で言って、そそくさと漱也に背を向けてしまった。


「……どうせくだらない与太話だ」


 その呟きを聞いた瞬間、ふと漱也は胸をつかれた心地がした。


 力なく肩を落とした後ろ姿が、普段とはまるで別人に見えたからだ。ハリネズミめいた刺々しさなど微塵もない。それどころか途方に暮れたような背中には、どこか置き去りにされた子供にも似た寄る辺なさがあった。


 ちり、と胸に小さな痛みが走る。


 思い出すのは、紅い紅い夕暮れだ。羽根川の背中にあったのは、かつて山麓の祠の前でうずくまっていた漱也と同じ、行き場のない淋しさだった。


「羽根川先生」


 だから、思わず呼び止めてしまったのだ。


「あの、すみません、実は俺、妖怪にくわしい知り合いがいて――」


 脳裏に浮かんだのは、折紙堂にいる蒼生の姿だ。


 先ほどの話が本当なら、彼女は妖怪たちの相談役ということになる。誠意をもって頭を下げれば、化け狸の一匹や二匹、紹介してくれるのではないだろうか。


 だから。


「もしよかったら、話を聞かせてもらえませんか?」


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