傘さし狸と迎え人 ――蛙――3


変に隠し立てするような事柄でもない。特に中学校以来の付き合いであり、親友の一人でもある侘美には。


けれど――。


「たーくみくーん」


直後、にゅっとのびた浅黒い腕が侘美の首に絡みついた。


 ――榊暁乃介。


 彫りの深い目鼻立ちに、頭一つ分抜けた長身。道に迷った外国人に母国語で話しかけられることもあるというその外見は、遊び人のサーファー風だ。しかしその正体は、休日になると袴姿でオミクジ売りに精を出す影繪神社の跡取り息子である。


「なんかよさげな話してんじゃーん、俺もまぜて?」


「えー、暁乃介かー。なんか海のイメージが似合いすぎて、カレー屋のインド人とか、北海道産の木彫りの熊とか、意外性なさすぎて微妙っていうか」


「生粋の山育ちにこの言いぐさって涙出るよね?」


「しかも、どーせ地酒目当てじゃん! サボって買いに行く気だろ絶対!」


「やっぱ伊豆なら〈萬耀〉の原酒かなー、あと〈あらばしり〉は外せないよねー」


「うるせえ、アル中予備軍! でもって女子に逆ナンされんだろ、滅べ今すぐ!」


「……え、怒るとこそっち?」


 早速、やんやと言葉のドッジボールが始まった。おかげで話をはぐらかすことのできた漱也は、内心ほっと息を吐く。


 その時だ。


「ふざけるのもいい加減にしろ!」


 突然の怒声に、しん、と教室中が静まり返った。


「羽根川だよー」


 うへー、と侘美がげんなり顔をする。


 声の主は、学級担任の羽根川聡人だった。担当科目は美術だが、黒フレームの角縁眼鏡をかけた痩せぎすの風貌は、教師よりも銀行員という肩書きの方がしっくりくる。


「お前、この前の中間テストで一体何位だったと思ってるんだ。それがこの上アルバイト? 思い上がりもいい加減にしろ! どうせ遊ぶ金欲しさなんだろうが、まったく馬鹿ほどろくなことを思いつかんな!」


 叱責された女生徒は、半泣き顔でうつむいている。どうやらアルバイト許可証の申請をしようとして羽根川の逆鱗に触れたようだ。


「うわ、きっつー」


「当社比一・五倍に増量中って感じだな」


 学生の本分が学業である以上、羽根川の言い分も正論ではあるのだろう。しかし、これでは公開処刑だ。


 と、そこに堂々と割って入る声があった。


「羽根川先生」


 久世一成だ。細フレームの眼鏡の似合う細面は、優等生のイメージそのものだ。


「お取りこみ中失礼ですが、美術部の人が探してましたよ」


 さすがの羽根川も無視するわけにはいかなかったらしい。


「とにかく、よく考え直せ」


 捨て台詞を吐いて教室から出て行った。たちまち、ほっと空気が弛緩する。そして見事スタンドプレーを成功させた一成は、パチパチと拍手で迎えられた。


「よ、お手並み鮮やか! やっぱ造り酒屋の若旦那は押し出しのよさが違うねー」


「いや、べつに。ただ本当のことを言っただけだ」


「あれ? じゃあ、美術部の人たちが探してたってのはホントなんだ?」


「ああ、校庭でデッサンに使うらしい紫陽花をな」


 しれっと言った一成が、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げる。


「嘘を吐いたわけじゃない。単に何を探してたか言わなかっただけだ」


「……いや、詐欺だよね?」


「まあ、そうとも言うかな。ところで、暁乃介」


 さっとのびた一成の手が、こそこそ距離を取りつつあった暁乃介の肩をつかんで止めた。


「お前、さっき伊豆でバイトがどうとか言ってたが、ウチの奉納酒を盗んだ罰で、夏休みは神社の掃除じゃなかったか?」


「い、いやー、さすが地獄耳だねー、なーんて……いだいだギブギブギブ」


 流れるようにプロレスの絞め技がくり出される。


 共に由緒正しい歴史を誇る影繪神社と久世酒造は、昔から浅からぬ縁にあるらしく、同い年に生まれた一成と暁乃介は、兄弟同然に育てられたらしい。結果、すでに小学校に上がる頃には、隙さえあれば酒を盗み呑みしようとする暁乃介と、それに教育的制裁を加える一成――という仁義なき関係が成立したようだ。


「そういえばさー」


 スリーパーホールドをきめた一成を横目に、ふと思い出した顔で侘美が言った。


「羽根川って、変な噂があるんだよな」


「どんな?」


「アイツ、春に赴任してきてからずっと、仕事帰りに商店街をうろついてんだって」


「単に夕飯の買い出しじゃないか?」


「それが店をひやかすでもなく、ただずーっとうろうろしてんだってさ。噂だと無許可でバイトしてるヤツを見つけようとしてんじゃないかって」


 まるで怪談話でもするような口ぶりだ。


「本当だとしたら、ご苦労なことだな」


 幸い面接先のコンビニは隣町だが、はなから無許可無申請しか選択肢のない漱也には、とても他人事とは思えない話だ。


「まー、暇なんじゃないの? あーゆー奴ってさ、仕事終わってからも、ずっとひとりぼっちだったりするんだろうし、帰りを待ってる人とかいないんでしょ」


 その何気ない呟きが、妙に漱也の耳に残った。

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