熱砂の記憶

第2話 熱砂の記憶

 



目を開けると、そこには……


見渡す限りの砂漠。

広大な、灰色の空。


どうやら、しばらくの間、意識を失っていたらしい。


俺は砂の上から、ゆっくりと立ち上がった。



こんな乾いた光景は、特別でも何でもない。

この時代には、ごくありふれた風景だ。

それが、加速しすぎた文明の代償なんだろう。


立て続く異常気象と、世界地図を塗り替える戦争。

それらは、自然環境を壊し、人口を激減させた。


それでもなお回り続ける文明の歯車。


止まらない車輪は、人々の欲望を掻き立て、また、それが車輪の動力となる。


踏み出した足の下で、砂礫が乾いた音を立てた。

高度な科学とは不釣り合いな、乾ききった砂のうねりを俺は一人踏みだす。


高温や砂風から身を守るため、肩から足首まであるマント。元は白地だったが、砂埃に煽られて、煤けていた。




「助けてくれ!何も思い出せないんだ!」


不意に、悲しげな絶叫が響き渡る。


足を止めて振り返ると、白服を纏った金髪の男が、こちらに向かって駆け寄ってきた。

そして、俺の元にたどり着くと、男はよろめいて、砂礫に両膝をつく。


砂飛沫が、熱風に散った。


俺は、足元にひざまずく金髪の男を見下ろしながら、腰の太刀に、そっと手をかける。


すると、男は血を吐くように叫んだ。


「記憶がないんだ……!自分が誰なのかも……何も思い出せない!」


そして、砂に膝をついたまま、俺を仰ぐ。

俺は、無言でその男を見下ろした。


男の乱れた金髪の合間から、硝子のような美しい緑眼が覗く。

その目に潜む何かがないか、注意深く探った。


だが、その男の瞳には、俺の疑う「それ」は見当たらなかった。

腰の太刀から手を離す。


「刺客じゃなさそうだな」


俺は、小さく息をついた後、髪を軽く掻きあげながら言った。


「……シカク?……君は、一体?」


澄んだ男の瞳が、訝しげに俺を映す。


「おそらく、お前と同じだ。俺も、軍が開発中の新型の仮想現実兵器バーチャルリアリティーの実験で、記憶を失った人間だ」


俺はそう言って砂上に屈むと、男に肩を貸した。


見ると、男の服は随所が焼け焦げ、白磁のような顔や首筋にも傷がある。

その痛々しさに、思わず目を細めた。


「お前、軍の研究所ラボから、よく逃げ切れたな。だが、これは逃亡劇ゲ-ムの始まりだ」


「ゲーム……?」


理解できないといった風に聞き返してきた男に、俺は答える。


「ああ、そうだ。強制連行してきた人間を……自我を持たない戦闘兵器に作り変える。そんな違法な実験を行っている事実を揉み消したい軍組織は、プロの刺客を放って、脱走した実験体……つまり、俺達のような人間を狩ってるんだ……」


俺はそう言うと、男の腕を肩に背負い、立ち上がった。

熱砂の中、二人で歩き始める。


「俺の名は、カズキ」


そう名乗ると、男は少しだけ驚いた表情をした。


「思い出せたのか?」


「ああ。三週間くらい前にな」


感覚が、すでに麻痺しているから、本当に三週間前なのかは分からないが。


大部分の記憶を失っていることに加えて、あまりにも長い時間を独りで歩き続けてきた。

体の感覚も、時間の感覚も、精神も……何もかもが狂っていた。


ただ砂礫の中を。

どこへ向かうともなく、さ迷っていた。


薄暗い空の真上に、おぼろげに見えていた太陽が、西へと落ちていき。

陽炎のような夕陽が消えると、夜の闇が広がっていく。

その自然の変化だけが、俺の中の感覚をかろうじて支えていた。


「カズキ、か。いい名前だね」


金髪の男は、そう言うと、小さく笑う。


「普通だと思うが?」


そう答えながら、悪い気はしなかった。


人とまともに話すのは、本当に久し振りだ。

普通の会話とは、どういうものだったか?

次の言葉を探していると。


「俺は……いつ記憶が戻るんだろう?」


金髪の男が、呟くように言った。


硝子を思わせる緑の瞳に、陰が落ちる。

俺の焼けた首筋に、絹糸のような金髪が振りかかった。

うつむく男の頭をそっと叩く。


「すぐに思い出すさ」


そして、俺は天を仰ぐと、漆黒の瞳に、灰色の空を映し言った。


「それに俺だって、名前以外は、ロクな記憶がない。例えば……俺のはるか遠い先祖が『ニホン』とかいう島国に住んでた、とかな」


「ニ、ホ、ン?」


金髪の男が、たどたどしく聞き返す。


「あぁ。初耳だろ?なんせ小さな国だったらしいから。一時、それなりに栄えたようだが。今はもう、存在しない」


髪が、砂風に靡く。


「あと、俺が腰に下げてるのは『カタナ』って名前の剣だとかさ」


俺は、腰の太刀を指しながら言った。


「それにしても、お前、意外とタフだよな。軍の研究所から逃げてきたってのに、擦り傷程度で、血の一つも流れてな……」 


そう言いかけた時。

脳裏に、新たな記憶が過ぎった。


それは、軍が極秘で研究を進めているといわれる人造人型兵器アンドロイドプロジェクトの噂だ。


「俺も早く……名前ぐらい思い出したいよ」


金髪の男は呟くと、俺を見つめた。 


風に煽られて、あらわになった男の首筋には、朱色のナンバーが刻まれている。


男の硝子細工のような緑の瞳から。

一滴の潤滑油オイルが、涙のように零れ落ちていった。



風は変わらず、渇いた砂礫を吹き上げ続けている……。





                



 

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