8-2. 戴冠式の凶行
そのとき、いくつものことが、一度に起きた。
後ろから男の叫びがしたと思った瞬間、リアナは背後から誰かにのしかかられたように感じた。驚いて悲鳴を上げ、ふり返ると、見知った金髪の頭がゆっくりとかしいでいくのが見えた。なぜだか不思議と、すべてのものがスローモーションに感じられる。少年のようなあどけない顔だち、見開かれた目に浮かぶ恐怖。倒れこみながら自分の胸を手で押さえようとするが、そこには剣の切っ先が見えていた。右手には剣ではなく、なぜか小型のナイフを持っている。
リアナが叫ぶのと、竜騎手のレランがもんどりうって床に倒れ込むのは、ほとんど同時だった。背後からその背中を蹴って、見知った男が自分の剣を抜いた。
少年の返り血を浴びて、鬼のような形相で立っていたのは、フィルだった。
聴衆から女性の悲鳴がした。まるで、どこか全く遠くの世界から聞こえてくるように思える。
「――フィル! どうして……」
リアナの声など聞こえていないかのように剣を構えなおし、フィルはふたたび彼女のほうへと向きなおった。怒りに満ちたハシバミ色の瞳とかち合う。彼が剣を振りあげ、リアナは思わず目を閉じてしまう。レランのように、自分の胸に剣が突き刺さるのをなかば予想していたが、衝撃は来ない。からん、と軽い何かが倒れる音がした。思いきって目を開けると、フィルはリアナの隣の男を斬っていた。白いローブに血がゆっくりと広がっていく。地面に、長い錫杖が転がっている。
「ヤズディン先生!」
リアナがヤズディンに駆けよろうとすると、フィルがさえぎるように叫んだ。「デイミオン!」
その声に
何も見えない。男たちのうなり声と、いくつもの剣がぶつかりあう重い金属の音が響く。リアナはデイミオンの大きな体の下でもがいた。
――なにが起こっているの?!
彼が自分の体を盾にしたのだ、と気づくのに時間がかかった。そして、剣の音が、いっとき止む。ばたばたっという足音が〈王の間〉に響く。
「シメオン! 回廊にまわれ!」デイミオンが手を振って怒鳴った。「やつらを確保しろ!」
それからようやく、リアナの体から身体を起こした。左肩を押さえていて、そこから血が滴っていた。リアナもなんとか立ちあがった。ふたりのまわりでは兵士たちが戦っていた。三人がかりで、デイミオンを斬り殺そうとしている。信じがたいことに、彼らは竜騎手だった。そして、フィルはデイミオンの側で応戦していた。このふたりが戦っていないことで、リアナは混乱した。フィルはわたしを殺そうとしたんじゃないの?
「テオ! ケブ! 殿下の両脇へ!」フィルが叫ぶのと、兵士たちが動くのはほぼ同時だった。フィルと同じ、
竜騎手が〈ハートレス〉に剣技でかなうはずもなく、さらに近接戦闘では竜術の優位も通用しない。ケブと呼ばれた〈ハートレス〉の兵士はいともたやすく第一の竜騎手の剣を剣ではらいのけ、バックステップを踏んで第二の剣からのがれる。目が追うよりも早くその竜騎手の背後にもう回っていて、体当たりでその体ごと第一の竜騎手にぶつかった。結果として重なりあった二人の竜騎手の背中を、ケブとデイミオンがそれぞれ切りつけた。
それで、終わりだった。
剣を打ち鳴らす音が、だんだんと止んできた。戦いが収まりつつあるのだ。リアナが群集のほうに目をやると、
「ハダルク卿! アーシャ姫を捕獲しろ! 柱の影にいる!」
「誰か! わたくしを助けて!」
アーシャは悲鳴をあげた。「あの男はヤズディン先生を殺したわ! わたくしも殺される! 助けて!」
アーシャの義父、エンガス卿の領兵たちが数人集まってきたが、ハダルクたち竜騎手たちが追ってくると、どうしていいかわからないように道を開けた。王の竜騎手に歯向かう愚は犯せないのだろう。
「お父さま!」
エンガス卿は驚いた顔で、兵をとどめた。
「これはどうしたことだ――フィルバート卿?
「アーシャ姫を含む一派は、リアナ陛下の暗殺をたくらんでいました」フィルが淡々と説明する。
「ヤズディン師はその一員だった。残念だけど、竜騎手のなかにも裏切者がいたようだ」
「裏切者はあなたよ!」アーシャが叫んだ。「わたくしに協力すると言ったくせに! 〈ハートレス〉の秘密を知りたくないの!? わたくしを離すように命じなさい!」
フィルはなにひとつ弁明することなく、にっこりした。血に染まった抜身の剣を手にしたままなので、妙な迫力がある。説得が通用しないことを悟ったのか、アーシャの顔色が変わった。
リアナはあらためて二つの死体を見た。ふたりとも、この場にあるはずのない短刀を手にしている。死んでいては言い逃れもできないだろうが、フィルの言うことは間違いないようだった。
「まさか……にわかには信じられん」エンガス卿のつぶやく声が聞こえた。
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