竜の出産とデイミオン卿の憂さ晴らし ④

 その理由は問うまでもなくわかった。部屋の奥、ふだん竜医師が仮眠するのに使っている長椅子に、リアナが眠っていた。フィルのものと同じく清潔だが粗末な毛布から、金茶の巻毛がこぼれだしている。手を丸めてすやすやと眠る姿が、どうにも子どもっぽい。

 そして、診察台の上でやはり布切れにくるまってうずくまる幼竜を見て、彼女がここにいる理由もわかった。


「ケガか?」

「いや、腹具合が悪かったらしい」

「原因は」

「神経性の胃腸炎だとかで」


 デイミオンはため息を漏らした。幼竜こどもだから、すこしの体調不良でも竜医師に診せるのはまあいいとして、これから王になろうかという身でこんな場所で夜を明かすのは自覚が足りないとしかいいようがない。いつもの彼ならお説教の一つもくれてやっただろうが、あいにく今夜は疲れすぎていた。


「警備状況を知らせずにすまない。自室で寝るつもりだったらしいんだけど、あとでやっぱり気になったみたいで」

「まあ、おまえがついているならいいだろう。……ロラン先生はどうした?」

「急患もいないし今日は帰るって。タビサがいま食事をもらいに行ってるよ」

「そうか……ん?」うなずいて踵を返したデイミオンは、背中のあたりに何かがこすりつけられる感触で振り返った。羽毛も抜けきらないちいさな幼竜が、伸びあがって頭を押しつけてくる。


「どうした?」

 頭を撫でてやると、ますますぐいぐいと押しつけてくるしぐさが、いかにも幼い竜らしかった。うれしいのか目を細めて、ガッガッと甘え鳴きをしている。

「さっきから元気なんだ、退屈してるみたいで」

「そうはいっても病後だろう、……ほらおまえ、甘えるな」


 言いながらも構ってやっているあたり、やはり竜好きだなとフィルにもばれている。厳しいようでいて、特に弱いものや小さいものには優しい。

 そもそも、リアナのことにしたって、自分が王位に就くためには邪魔な人物のはずなのに、警備上の務めはきちんと果たして守っているのだ。そのあたりの冷酷になりきれなさがこの男の美点だろう。

「なにを笑っている」「べつに」


 弟の思惑になどさほど頓着しない兄は、腕を昇ってこようとする幼竜を無造作に肩に乗せて、

「……仕方ないな、散歩に来るか? アーダルを見回るだけだぞ」

 と出ていった。フィルはこらえきれずにくっくと笑っている。


ⅴ.


 特大の竜房りゅうぼうをまるひとつ占拠せんきょしたアーダルは、前肢まえあしの上に巨大な頭をのせて休んでいた。王国の古竜たちのなかでは年若いほうだが、つやつやと黒光りする表皮はかれがすでに立派な成竜であることを示している。あまりに大きいために、竜房そのものが鼓動しているかのようにどくん、どくんと波打なみうっていた。主人に気がついたアーダルは、顔を持ち上げて目の高さを合わせた。


「竜が主に似るのか、その逆か?……おまえも頑丈だな、アーダル」

 首あたりの皮膚をぽんぽんと叩いて、あらためる。襲撃と、その後のあれこれで負った傷のほとんどはすでに治りかかっているようだ。主のほうはまだ折った腕をかばってはいたが、吊ってもおらず、すでに日常動作に不便はないあたり、やはり竜族にしても異常なほど頑丈といえよう。

 アーダルは冴えた月のように色のうすい黄色の瞳を開いて、喉の奥で軽くうなった。そして、のそりと体を持ち上げて、レーデルルそっくりのしぐさで頭をこすりつけてこようとした。


 さすがのデイミオンもこれには慌てる。

「ちょっと待て、おまえ、甘えようたって幼竜こどもとはサイズが違うんだぞ」

 押しのけようとするが、巨大な竜の頭部はびくともしない。デイミオンはたたらを踏んで後ろに下がった。アーダルは身体をくねらせて、今度は壁にこすりつけている。

「……?……」

 その様子には覚えがあった。

「……まさかおまえ、繁殖期シーズンか?」

 自分で言って、首をひねる。「いや、まさかな」

 つがいのいない成竜の繁殖期シーズンは数年に一度で、計算上はまだ当分先のはずだ。目の前の竜の様子も、本格的な求愛行動とはほど遠い。しかし、〈ばい〉を通じて感じるアーダルの感情にはまぎれもなく興奮の色があった。


「……待て、相手はレーデルルか?……おい、こいつはまだほんの幼竜こどもだぞ」

 たしなめるが、黒竜は知らぬそぶりで小さな白竜の匂いを嗅ぎ、また喉を鳴らした。白竜はといえば、大きな目を好奇心いっぱいにぱちぱちしている。その様子に、デイミオンはよけいに説教がましくなる。

あきれたな、俺の騎竜ならもうすこし分別を持て。獣といえども倫理というものが……こら、おまえもと寄っていくな」

 つまみあげられたレーデルルが、キュウッとまたかわいらしく鳴いた。


「あーっ」

 子どもっぽい声がしたかと思うと、リアナがずんずん近づいてくる。寝ていたと思ったが、アーダルとのやりとりあたりで起きたのか。

「なんだ、その頭は? 鳥が巣でもかけたのか?」

 くしゃくしゃの金髪に竜の寝ワラをくっつけて、貴婦人にあるまじき格好だ。そう口に出さない竜騎手ライダーつつしみは持ちあわせていないので、デイミオンは思う存分せせら笑った。


「いやぁ臭い臭い、なにか匂うと思えば、おまえの髪か。寝ワラだらけだものな。ははっ」

「ルル、そこから降りなさい!」

 逆鱗に触れた竜のごとく、リアナは毛を逆立てた。

「どうしてそんな奴の肩に乗っかってるの!? そいつは『政敵』なのよ!」

 使い慣れなさそうな言葉を使いながら、ぷりぷりと怒っている。それが面白くて、さらにデイミオンは甲高く笑った。アーシャを怒らせるのは面倒くさいが、この少女を怒らせるのは妙に爽快だ。後ろ盾になるジジイがいないからだろうか。


「レーデルルは、私のほうがいいとさ」

 ひとしきり笑ってから、意地悪く告げる。

「おまえの母は黒竜と白竜を従えた当代随一とうだいずいいちのライダーだったが、娘はどうも違うようだな」

「なんですって!? 未来の大ライダー様に向かって! もう一回言ってみなさいよ!」

「このまま、私が次の〈双竜王〉と呼ばれるのも、悪くないかもな」

「うぐぐ……」

「……おっと、おまえにできることは私にもできるんだぞ。煮えたぎる粥か? 頭上にはよく注意するんだな」

 どうやら、わざわざ〈ばい〉を使ってリアナの考えを読んだらしい。


「デイミオン……ちょっと大人げないぞ」

 あまりの言い草に、フィルもあきれた様子だ。後ろから、少女の頭の寝ワラを払ってやっている。

「あー、笑った」

 通りすがりざまにリアナの肩の上にレーデルルをつまみ置き、黒竜大公はすっきりした顔で竜舎を出ていった。疲労の多い一日だったが、爽快な気分で眠れそうだ、と思いながら。


 そしてその見込み通り、久しぶりに農夫のようにぐっすり眠ったのだった。

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