竜の出産とデイミオン卿の憂さ晴らし ③

ⅲ.


 夕星ゆうづつ姫とも呼ばれる女性と、青年大公の組み合わせは、遠目にはお似合いの美男美女に見えるに違いない。

 二人は城の廊下を並んで歩いていた。


「今夜は御座所にお泊りに?」

 世間話程度に尋ねると、姫は笑って首を振る。「まさか」

「わたくしは還俗げんぞくした身。もう御座所に居場所なんてありませんわ」

 わざわざ説明してもらわずとも知っていたが、デイミオンはうなずいた。アーシャは心なしか沈んだ顔をしている。彼女がにんかれてから、まだ二か月も経っていない。物心もつかないうちに巫女姫として選ばれ、神のように崇められて過ごしてきただけに、現在の自分の境遇を受け入れかねているのだろう。

(御座所の、あのおかしな因習は辞めさせたいものだが)


 まだ幼いライダーの少女を、竜祖りゅうその花嫁に見立てて敬う。多産を願うオンブリアの、呪術めいた古い慣習だ。初潮を迎えた巫女姫は退任させられ、また新たな少女が選ばれることになる。何の役にも立たない成人前の少女を生き神のように崇める意味もデイミオンには分からなかったし、そのお付きの者たちの人件費も馬鹿にならない。

「……でも、こうなってよかったと思っていますの」

 デイミオンが頭の中で算盤をはじいている間にも、アーシャは喋りつづけていた。

「女性として成熟したからこそ、こうやってあなたの隣に立つこともできるんですもの」そう言って、デイミオンの腕に自分の腕を絡ませた。デイミオンは気のないそぶりでバルコニーの外を見やった。今日中にやろうと思っていた業務をなにひとつ片付けられないまま、そろそろ日が暮れようとしている。


「やあ、夕星ゆうづつの輝きもせるほどの美男美女がおわすと思えば、黒竜公、それにアーシャ姫」

 前方から廷臣ていしんたちのグループが近づいてきていた。陽気な声は首都近くに所領を持つ大貴族の一人だ。

「実にお似合いのお二人ですなあ。さみしい男やもめにはうらやましい限りですよ」

 本人が言うほどさみしそうでもない、色気の衰えない中年男は、廻船業を営む大商人。

 それ以外にも、見知った貴族が数人、取り巻きのように集まっている――その中心にいる老人が、穏やかに会釈した。


「デイミオン卿。ご多忙のおり、姪がご迷惑をおかけしていないと良いのですが。世間知らずに育ってしまい、こころ苦しい」

「まあ、叔父様。子どものように言うのはやめてちょうだい」

「そうですよ、エンガス卿。かように美しい女性と時間を共にするのは、まさに天にも昇る僥倖ぎょうこうかと」

「それにしても、黒竜公を物見に連れ出すとは。なかなか大したものだ、わが姪御めいごは」

 デイミオンは胸中で皮肉げに賛同した。あの強引さ、人を人とも思わぬ態度、たしかに大したものと言える。


 アーシャ本人は、かしずかれて特別扱いをされることに慣れきっているただのわがままな少女だが、養父のエンガス卿はより注意すべき人物だった。娘――実際には姪だが――の在位中には彼女の権限をかさに着てあれこれと不穏な動きを見せていたが、還俗してからは女性としての使い道を考えているらしい。その一番の標的が、オンブリアの独身男性のなかでもっとも王位に近いデイミオンだった。


 婚約などという馬鹿げた約束をねだったのはアーシャで、人間と竜族の悲恋を扱った芝居で観たのがきっかけらしい。人間の世界にはそういった関係があることを知ってはいたが、デイミオンは呆れかえってすぐには返答もできなかった。少子化がいちじるしい竜族では、なによりも子孫繁栄が重視され、世間の規範はすべてその上に成り立つ。婚姻関係があろうとなかろうとあらゆる恋愛関係は称賛される一方、子どもが生まれてもいない間柄で結婚の約束をするなどは時間の無駄であるだけでなく、ほかの相手との間に子が生まれる可能性を低下させるという意味で大変なマナー違反とされる行為だった。


(子もなしていないのに、になどなって、何の意味がある?)

 まっとうな竜族の男であるデイミオンは当然、そう思ったのだったが、エンガス卿に「小娘の戯言と思って、口約束だけでも」と言われれば、断るのは得策でないことくらいわかった。エンガス卿の領土が戦略的に非常に重要な場所を含むというだけではなく、老齢で五公の信任が厚く、彼の承認を得ずしては王の施策をひとつも通すことができないからだった。


 リアナの登場によって、エンガス卿との同盟関係は現在、さらに重要性を増している。

 そういうわけで、婚約の実態は、「次の繁殖期シーズンに一定期間、アーシャと床をともにする」という口約束に、アーシャの好むロマンティックな名称がついたものにすぎなかったのだが、リアナはもちろん知るよしもなかった。



ⅳ.


 ようやくアーシャから解放されたのは夕食後だった。式典の打ち合わせはひとつも進んでおらず、机の上には今日中に彼の裁可を求める書類がうずたかく積もっている。デイミオンは疲労しきって竜舎に向かった。謹慎きんしんと療養を兼ね、アーダルを竜医師に預けているのだ。数日ぶりに様子を見に行くつもりだった。


 夜の竜舎はぽつぽつと壁掛けのランプが灯り、静かななかにもそこここに竜の気配があった。クルルル……と低く喉を鳴らす声が聞こえる。ささくれた心が多少ほぐれるようだ。


 竜は家族というよりは政争の道具であると割り切った考えをするよう心がけてはいるが、デイミオンは竜が好きだった。アーシャは「竜と心を通わせておられるのね」などと世辞を言うが、かれ自身は竜と心が通じるなどと思ったことはない。竜は力の化身だ。理不尽なほどに巨大で、はかりしれない力を持つ生物。それを御しきれるかどうかは竜族の血と強い意志によっている。デイミオンほどの血筋と力をもってさえ、力ある古い竜を制御するのには非常な困難をともない、それに失敗すれば先日のような暴走をまねく。ただ、そういう点を含めても、やはり竜にはあらがいがたい魅力がある、と思う。


 竜医師とその助手の青年が起居する部屋に入ったデイミオンは、思わず目を見開いた。入口付近に寄りかかって座る弟の姿があったからだ。毛布を身体に巻きつけ、胸の前に剣を抱くようにして瞑目していたが、眠ってはいなかったらしく、顔を上げて兄の姿を見る。と、うっすらと笑んで口元に指をあてた。静かにしろという意味らしい。

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