6 あらわになる陰謀

6-1. 教師の思惑

 夕刻ゆうこく、教師ヤズディンは城下街を歩いていた。王太子リアナへの講義が終わったところで、史料しりょうを包んだ布袋を肩から下げている。街は山の中腹から下る形で広がっており、登城とじょうするのは大変だが、帰りはいくぶん楽だった。石畳いしだたみが敷かれた坂道をゆっくりと下っていくと、建物の合間から、左手側に湖を見下ろすことができる。今の時刻は夕焼けが反射して、湖をバラ色に染めていた。


 美しい町に見とれていたせいか、それとも考えごとをしていたせいだろうか、館に着いた頃には約束の時刻をかなり過ぎていた。そこは瀟洒しょうしゃな私宅で、階段の上の扉には、ドラゴンの首をかたどった真鍮しんちゅうのノッカーがついている。鳴らすと、変わった衣装の従僕じゅうぼくからすぐに中へと通された。


 館の持ち主はさる中級貴族だが、美しい邸宅とセンスのいいもてなしで王都に名を知られており、ここでのパーティは城内に上がるような位の高い貴族も顔を出していたりする。季節のちょっとしたもよおし以外にこれといった特徴はないが、秘密厳守だとは聞いていた。領主貴族たちはここでカード遊びや賭け事にきょうじたり、竜や選挙や議会について夜どおし議論したりすることを楽しむとのことだった。


 いかにも学者然とした上着と帽子を預け、ヤズディンは火酒の誘いを断って薄めたワインを頼んだ。食事以外でアルコールを嗜む習慣はヤズディンにはない。耽溺たんできは頭脳を鈍らせ、判断を誤らせると信じていた。


 ゴブレットを手に客間を渡っていく。目当ての集団はすぐに見つかった。


 見知った顔の青年貴族が、屋敷のあるじエヴァイアン卿と向かい合ってボードゲームで対戦していた。ゲームを眺めながら、陶製の鉢からピスタシオをつまんでいるのは城の御用ごよう商人。城内で見たことのある顔がそこここにあった。


 ヤズディンは周囲を見まわす。

(有力者ばかりじゃないか。……さすがは、五公の重鎮、エンガス卿の威光というわけか)

 ヤズディンは優秀な学者だったが、どちらかといえば研究者肌であり、人をきつける魅力に欠いている自覚はあった。「計画」に必要な人脈にはまだ穴が多い。周囲から一目おかれているような魅力的な人物が味方につけば、一気に計画を進められるかもしれない。


 


 そのとき、歌うような甘やかな声が彼に呼びかけた。

「先生、どうぞこちらへ」

 そこにいたのは、とりわけ目を引く豪奢ごうしゃなドレス姿の女性――アーシャ姫だった。


 ヤズディンは竜祖りゅうそは信仰しているが、この国の神官制度は気に入らなかった。託宣たくせんと称して年端もいかない少年少女を大神官に担ぎだし、政治経済に口をさしはさむ。ばかばかしいにもほどがある。

「言っておきますが、まだ協力すると決めたわけではありませんよ」中年教師は、慎重に言った。


「先日も申し上げましたが、あなたがたの計画には穴が多すぎる。が正式に玉座を得る前の今という焦りはわかりますが、成功するとは思えませんね。……〈試しの儀〉でも、やはり失敗したでしょう?」

「ええ」アーシャは認めた。


「〈ばい〉が通じなければ、〈門〉のなかにも入れないと思ったのですけれど。神殿のなかにもネズミがいるようですわ。テヌーは頼りにならないし」

「〈御座所おわすところ〉でことを起こすのは、おやめになったほうがいい。あなたの、ひいてはエンガス卿の足もとが揺らぐことになりかねませんよ」

「おっしゃるとおりですわ」

 アーシャはしおらしく目をふせる。髪と目の色に合わせた銀糸の縫いとりのある青いドレスが、テーブルランプの灯りを映してオレンジ色の模様を浮かびあがらせた。すくなくとも美貌だけは認めざるをえない、とヤズディンは思った。


「でも、城にはわたくしの協力者がおおぜいいます。これから戴冠式まで、チャンスはいくらでもあります」

「〈黒竜大公〉のいる王城で?」ヤズディンは鼻で笑った。「最強の竜を従えた後継者が、彼女と〈ばい〉でつながっているんですよ。なまなかな暗殺者では手も出せますまい。を起こすなら、王城に着くまでに済ませるべきだったんだ」

「竜騎手の協力者もいたのですが、さすがにデイミオン卿が目を光らせていては、難しかったようですわ。……ですから、先生の協力が必要ですの」アーシャはしれっと言った。

「私の?」


「デイミオン卿といえども、四六時中王太子に張りついているわけではありません。式典の準備もありますし、国境沿いではデーグルモールが出没しているとか。黒竜に乗っても、すぐには飛んでこられない距離に離れることだってあるはずですわ。先生はかなりの時間を殿下と過ごしておられますし……」


「なにを寝ぼけたことを」

 ヤズディンは眉間みけんをおさえ、美姫を脳内でののしった。


「いくらふたりきりになろうとも、近衛このえ竜騎手ライダーつきですよ。今となっては、警備に隙などできようはずもない。かりに彼らを遠ざけることができたところで、あの〈竜殺しスレイヤー〉がいては……」


 アーシャは笑みを深めた。「それも、もう解決しました」

 衝立ついたての後ろから、影そのもののように出てきた人物を見て、ヤズディンは今度こそ息をのんだ。


 〈竜殺しスレイヤー〉フィルバート・スターバウが、そこに立っていたからだ。



  ♢♦♢


 一方、同時刻のタマリス城下街。


 夕方からの葬儀そうぎに出る予定のリアナだったが、城下街に降りるのは初めてで、詳しく場所を聞いてこなかったことを後悔しはじめていた。護衛の竜騎手ライダーは、「このあたりの住宅については、よく存じませんので」とそっけなく答えるのみ。

 貴族たちのタウンハウスや、公使、役人たちの邸宅が立ち並ぶ山の手からは、だいぶん距離がある。竜車りゅうしゃが入れない狭い路地が多かった。振り返れば竜騎手たちの不満顔を見ることになりそうで、あえてさっさと歩く。

 メドロートは、ライダーが葬儀に参列しては遺族のほうが気をつかうだろう、と言っていた。今ごろになって、(彼が正しかったのかもしれない)と思いはじめていた。


 家はごく小さく、リアナたちがそこにたどりついたときには、すでにカロスという名前のその兵士の棺は運び出されようとしていたところだった。黒衣の男たちが担ぐ棺の後ろを、家族の近くについて歩いていた一人の男が、リアナの姿を認めて驚いた顔をした。


「殿下」

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