4-2. 落ちたふたりと人さらい

 ぼろぼろになった鎧の前半分を外し、胴着の上からそっと手のひらを押し当てた。太い首、厚い胸板、引き締まった腹部。が、骨折がはっきりしている左腕以外ではデイミオンのうめきが漏れることはなかった。リアナは安堵のあまり涙が出そうになっていることに気がついた。竜騎手ライダーとしてできることはまだなにひとつないが、イニに習ったことは少しは役立つはずだ。


(……でも、よかった)

 ケガはそれほど重くない。今、眠ってしまっているのは、アーダルに呼びかけ続けた疲れもあるのに違いない。むやみに動いたり、動かしたりせず、茂みに隠れて迎えを待とう。アーダルには主人の居場所がわかると聞いていたが、当の本人が意識を失っても有効なのだろうか? じっと待つにしても、この場所は夜には冷えそうだ。雨が降らないといいが。騎竜のための分厚いコートで間に合うだろうか?……


 安堵のせいだろうか。やるべきことを考えているうちに、リアナは眠気を覚えはじめた。襲撃からの緊張の糸が切れはじめているのかもしれない。


 どれくらい経っただろうか。

 ぽつ、ぽつ、とかすかな雨音が聞こえる。デイミオンにコートをかけなくては、と頭の片隅で思う。

「ほーら、ディッパー。やっぱりいただろ? 十ギル寄越せよ」

 人の声……ついで、舌打ちの音が聞こえる。

「剣だけだと思ったんだがなぁ。本体もいやがったか。……まあいい、収穫だな」


 うとうとしはじめていたリアナは、はっと目を見開いて飛び起きた。誰かに見つかった!

「おっ、女もいるぜ」

 デイミオン、と呼びかけようとしたときには、もう遅かった。


  ♢♦♢


 次に目を開けたとき、リアナの目にまっさきに映ったのは炎だった。宵闇の色を青く薄める、大きなオレンジの火が生き物のように揺れている。ぱちぱちと爆ぜるおだやかな音が耳に届く。一瞬、すべてが夢だったのではないかと思い――空中から落ちたことも、アーダルの暴走も、フィルの鬼神のごとき戦いぶりも、なにもかも――手首に食い込んだ縄の感覚で、すぐに現実に引き戻される。


 デイミオンは気を失ったまま、手だけではなく胴にも足にも縄をかけて転がされていた。

「痛っ……」

 つぶやいて体の傾きを立て直そうとすると、近づいてくる数本の足が見えた。

「おお、お目覚めかい、お嬢さん」

 かがみこんで顔を覗き込まれる。整った顔立ち、銀の髪は竜族に間違いない。が、服装はどちらかというと人間風だ。たてがみのような銀髪をところどころ、赤い石と一緒に編み込んでいる。日焼けして傷の多い顔には、油断ならない表情が浮かんでいた。リアナのあごをつかんでぐっと上向かせると、しげしげと眺める。


「よーく顔、見せてくれ。……ふうん、こりゃやっぱり竜族の女かな? 金髪はまぁ、人間にもいるが、目の色がな」

 リアナが黙ったままでいると、男はあごをつかんだ手に力を込める。「ほれ、どっちだよ、お嬢ちゃん。聞かれたことには素直に答えるもんだぜ。痛い思いすんのは、お互い嫌だろう?」


(わたしは、どっちの娘にも見える。竜族にも、人間にも)

 リアナは慎重に考えた。

 〈里〉の住人は、竜族にも人間にも見える者が多かった。

 まったく異なる種族のように言われる両者だが、里に混じって暮らしていれば、外見の違いは実はそれほど大きくはない。リアナはその典型だった。

 少なくとも、この男には区別がつかないのだ。これを利用できるだろうか?

「……よ」

 もしも、あのデーグルモールたちが自分を探すなら、最初にリストに挙げるのは竜族の娘だろう。もっとも、すでに顔は見られてしまっているので、嘘をつくメリットはないかもしれない。だが――

『相手の情報をかく乱させるために、陳腐な嘘はいつでも有効だ。少なくとも時間を稼ぐ役には立つ』

 イニはそう言っていた。そして、もし相手に信じさせたい嘘があるなら、それは真実という布でくるんで出すのだ、とも。


「竜族のお坊っちゃんに、人間の女か」男は訳知り顔にうなずいた。

「かわいそうになぁ。……嬢ちゃん、あんた、騙されてるよ。このおきれいな顔にさ」

 そういうと立ち上がり、炎のそばから料理の皿をもってきて、隣に座った。「ほれ、食うかい」

(騙されてる? きれいな顔に? なんのこと?)

 このときは、男が言ったことの意味が理解できなかった。

 リアナはまた一瞬考え、首を横に振った。まだおびえたままだと思わせておいたほうがいいと思ったのだ。


「あーあ、またお頭のビョーキがはじまったよぉ」

 炎のすぐ横に陣取っていた別の若者が冷やかした(この男も竜族の顔立ちだった)。「女にゃ、すーぐ同情すんだから……」

「まぁ女は大事だよな」隣の無骨そうな男が言った。

「そこだけはどうしても、あいつらのやり方には慣れねぇよ。犯して殺して、火つけて、なんざ……女がいなかったら、だれが子どもを産んでくれんだ、なぁ? いくら人間の女つっても……」

 背筋が寒くなるような話を、なんでもないことのように言う。お頭、と呼ばれた銀髪の男が、にっと笑った。

「あいつらのセリフ、聞いたろ? あんたもまあ、こんなとこで足止め食って不運だったけど、そこだけは安心していいぜ。竜の男は女を大事にする。人間みたいに、犯して殺したりはしねぇよ」

 優しい声でいい、皿につっこんだ木の匙を舐めた。

「ま、子どもは産んでもらうかもしれねぇけどな!」さらに別の男が言って、ぞっとするような声で笑った。「あんただって悪かないだろ?人間の街には、竜族の男を買う場所があるって言うじゃねぇか……」

 どっと笑い声が漏れた。下卑た笑いだった。


(結局、同じなんだ、人間の男たちと)

 隠れ里が襲撃されたときのことを、嫌でも思い出さないわけにはいかなかった。ほんの小娘のリアナにでもわかる。

(顔がきれいで、殺すほどのことはしない、と口にしているだけで。それだって本当かどうかわからない)

 あのときは、フィルが助けてくれた。でも今は離れ離れだ。デイミオンはいるが、むしろ自分が彼を助けなければいけない立場だろう。


 泣いている暇はない。どうすればいいのか、考えなくては。

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