4-3. デイミオンの秘密の特訓


 デイミオンが目を覚ましたのは、すでにとっぷりと夜がけてからのことだった。二人はすでに、どこかの半地下らしい石造りの部屋に移されていた。広くて部屋数があるが、手入れが行き届かない場所――連れてこられるあいだに廊下を歩いてきたリアナは、ここはうち捨てられた古い城ではないかと推測していた。

 管理する者がいなくなり、ならず者たちがたむろしているような。


 部屋にはあまり清潔ではなさそうな敷きわらと室内便器が置かれ、この部屋が頻繁に使用されていることがうかがえた。木製の分厚い扉は下の部分がおりのようになっていて、そこから男が一人二人、ときおり入れ替わりながら見張りについているらしいことが見えた。男が三人になると、カードにでも興じているのか、卓ががたつく音やジョッキの鳴る音にくわえて荒っぽい笑い声が室内にまで響いてきた。

 

 小柄で非力そうに見えるリアナはいましめもされていなかったが、デイミオンは頭上から下がった鉄の輪に両の手首を通され、体の動きを大きく制限されていた。

「……大丈夫? 腕、痛む?」

 近づいて、そっと問いかける。デイミオンはそれには答えず、「状況を説明しろ」とそっけなく言った。

(まぁ、こんな人だっていうのは、だいぶわかってきたけど)

 ため息をつくのは心の中だけにとどめ、リアナは言われたとおりにした。


「それで、アーダルの背から落とされて……あなたがわたしの下敷きになってくれて……」

 リアナは一生懸命、小声で説明したが、デイミオンはなぜかリアナを見ようともしない。「聞いてる??」

〔おい〕

「……っ!!?」

 ふいに〈呼ばい〉で話しかけられて驚く。

「な、なに……!?」

〔言葉に出すな。念話で応えろ〕

「む、無理だよ……!」小声で抵抗する。「わたしはあなたと違って、そういうことはできないもの」

〔できないはずはない〕落ちつきはらって言う。

〔いい機会だ、覚えろ〕


「いい機会って……!そういう場合じゃ」言いかけて、青年ににらまれ、はっと口もとをおさえた。

〔話すより聞くほうが本来難しいんだ、できないはずがない。順を追って教えるから、言うとおりにしろ〕


(それって、いまやること!?)

 青年と扉のほうとに交互に目を走らせて、やきもきする。扉の向こうからは相変わらず笑い声が聞こえてくる。

〔それから、水差しを持ってこい〕

 扉の近くには、水差しとコップ、それに見るからに日の経ったパンが載った木製のトレイが置かれていた。疑問を感じながらも言うとおりにすると、〔この水差しから、手を使わずに竜術だけで器に水をうつせ〕と命じられた。


「えっ」

 てっきり飲ませろと言われると思っていたので、水差しを持った手が固まる。

〔それができたら、水を沸かせ〕

「そんなことできないし……っていうか、いま、それどころじゃないよね!? わたしたち、野盗に捕まってるんだよ!?」

〔声に出すな。時間がもったいない、とにかくやれ〕

 人を馬鹿にする高慢な目つきにおいては、実にさまざまなバリエーションを持っているデイミオンだ。そのひとつを喜んで彼女に向かって披露するつもりらしかった。

 有無を言わさぬ調子に、仕方なく座りこんだ床に水差しを置く。どのみち、ほかにやることがあるわけでもないのだし。


「えーと」

 手のひらをいっぱいに開いてかざし、じっと水差しをにらむ。なにをすればいいのかまったくわからなかったが、ひとまず、水差しから水が噴きあがるところをイメージしてみる。そして、念じる。

 動け動け動け……と語りかけてみるが、水は当たり前のように、ぴくりとも動かない。


「えーい動け」

 さらに手を近づけ、さらにイメージし、口でも命じてみる。が、やはり水は動かない。

 デイミオンがため息をついた。〔まったくダメだ〕

「見たらわかるわよ!」

〔声〕

「うぐっ……」

 〈呼ばい〉だってまだ使えないんだから、声を出さなければ目の前の男をののしることもできないではないか。なんてことだ。


(冷血! 鬼! 万年王子!)

〔伝わってこんな〕


 くそう。

 頭の中で精いっぱいののしり言葉を浮かべても、それがデイミオンに通じる様子はない。水差しと同じだ。

〔白竜のライダーなら、かならずできる。腐らずにやれ〕

「どうしろって言うのよ!」

 ランプの灯りのせいでほとんど黒く見える瞳が、じっとリアナを見すえた。〔竜に命じさせるんだ〕

「竜に……?」

 リアナは目をぱちぱちと瞬かせた。


〔そうだ。おまえが頭の中で何を考えたところで、〈呼ばい〉は聞こえないし、何を命じてもおまえには水一滴も動かすことはできん〕

 それはそうだろう。リアナはうなずく。

。間違うなよ、竜に命じるんじゃない。おまえを通じて、竜に命じさせるんだ〕

「わたしを通じて、ルルに……」

〔声〕

「うぐっ」

〔古竜とのあいだにを開き、力が流れ込むに任せろ。……おまえは地中から水を吸い上げる一本の草だ〕

 ルルとのあいだに通路を開く……。わたしは草、一本の草……。リアナは青年の言うとおりに念じた。

「う……うおぉぉぉ……」

〔獣のように吠えるな、見苦しい〕

「吠えてないもん! 馬鹿!」

〔声!〕

「ううっ……」

 言うとおりにしているのに、『見苦しい』とは、なんたる言い草だろう。しかも、声を出すとぴしゃりとやられる。リアナはくじけそうになった。


 デイミオンに叱咤罵倒されながら、どれくらいの間続けたかわからない。だが、やり方を細かく変えながらの何十回かの失敗のあと、ふと額に違和感を感じた――自分の、それともレーデルルの額のような気もしたが――額が割れて、もうひとつ目が開いた。そんな奇妙な感覚だった。

〔あ――〕

 宙を見つめ、開いた両手を顔の近くにかざす。手のひらに、ひと粒の水滴が浮かびあがったかと思うと、それが雨粒の最初の一滴だったかのように急激に湧きあがる。


「わっぷ!」

 手のひらから急に湧きだした水が、顔に思いきりかかった。顔が濡れて驚いたのもつかのま、満面の笑みになる。


「できた!」叫んでから、思わず口を押えて扉に目を走らせる。が、相変わらず喧騒けんそうがやむことはなかった。

〔私が命じたこととは違うが、まあ結果は一緒だ、いいだろう〕


「へっへーん」顔はびしょ濡れだが、達成感でいっぱいだ。「やればできる!」


 デイミオンはさも当然という顔つきのままだ。

〔次は、それを沸かせ。ここにいる間、水を飲む前にそれを繰り返す。できるまで水は飲ませんぞ〕

「お、鬼!」

〔声を出すな〕


 その日、デイミオンの竜術特訓は遅くまで続いた。

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