1-2. 里のパン屋にて

 里でもっとも大きな岩棚は、それぞれ里に一軒ずつしかないパン屋と小間物屋があるため、いちばんにぎやかな場所と言っていい。小間物屋のほうはまだ閉まっていたが、パン屋はもちろん開いていた。ロッタの店は、間口が広いというだけで他は普通の家と変わらない造りだが、大きめに抜かれた窓からは焼きたてのパンの匂いがして、店内を物色ぶっしょくする里の女衆おんなしゅが見えている。


「おじさん! 今日のパン、何?」

 リアナは店内には入らず、窓の近くに立っていた店主に話しかけた。

「白パンと、くるみとマーシュベリーの入ったライ麦パンがあるよ。どっちにするかい?」

 パンをならべていた店主のロッタが、指さしながら尋ねた。

 小さな集落なので、パンはいつも二種類だけをていねいに焼いているが、里人のひいき目でみても上等のパンだし、妻が作る惣菜そうざいも人気がある。店主はパン屋にしてはなかなか体格がよく、さらにとびきりの男前なので、用もないのに女衆が近くをうろつくとよくはやしたてられている。が、当人は女あしらいが苦手で、たいてい妻がうまくさばいているようだ。

「白パンにする」

 リアナが持ってきたカゴに、ロッタが見た目よりも繊細な手つきでパンをつめてくれる。

「ほらよ。ハムはおまけな」

「わあ、ありがとう」リアナは笑顔でカゴをのぞいた。「でも、いいのに、毎日……」

「いいって。あんたのやしない親には世話になってるからな」

 毎朝、売り物のハムの切れはしやら、自分の家の夕飯の残りやらをおまけしてくれて、毎朝、おなじ台詞だ。


「ちょっと変わり者だけど、竜のあつかいじゃ里長もいちもく置いてるくらいだし。薬草にもくわしいしなぁ。ちょっと変わり者だけど」

 変わり者変わり者とくり返されるイニも気の毒だが、彼が薬草に詳しいのは事実で、医者も薬草医もいない小集落において親子が歓迎されている理由でもあった。職業柄、腰痛になりやすいロッタは、イニの処方する湿布薬がなければ朝も起きられないと苦笑しながら教えてくれたことがある。


「あら、リア!」ふたりの声が聞こえたのか、奥の戸を開けておかみが出てきた。

「ちょうどよかったよ。あんたの成人の儀のドレスが仕上がってるんだ」

「ほんとに?」リアナは笑顔になった。

「霜が降りてから頼んだから、もう間にあわないかと思ってた。ハニさん忙しいし……」

「あんたんとこのアミのお下がりを、サイズ直ししただけだからねぇ。仕事が終わってからやったって、三日もかかりゃしないさ」おかみは軽く肩をすくめる。

「でも、よかった。わたしはお裁縫ぜんぜんダメだし」

「あんたのは『裁縫も』だろ。男の子みたいに竜に夢中になって、朝から晩まで竜舎のなかをうろうろしてさ。……まあいいよ、昼すぎに取りにおいで。そのころなら手がすくから」

「うん。ありがとう」リアナはすなおにうなずいた。


 パンを並べていた手つきを一瞬とめて、おかみは「イニがいればねえ」とつぶやく。「あんたにお下がりを着せるなんてことはなかったはずだけど。あれはいい生地だけど、あんたにもっと似合う柄があったとあたしは思うんだよね」

「いないものはしようがないわよ」

 リアナは肩をすくめる。「それに成人の儀なんて一日だけのことだし。形がそろえばなんだっていいんでしょ。あんがいイニもそう言うかもよ」

 それを聞いたおかみは笑って、パイ生地のはじっこで作った子ども用のおやつを持たせてくれた。もう里人も数えるのをやめてしまった何人目かの子どもが、またお腹に入っている。タルトは子どもたちのおやつのおすそ分けだろう。甘くておいしいし、日持ちするタルトはうれしいおまけだった。イニがいれば、お礼に妊婦用特製栄養ドリンクを作ってあげられるのだが。

「うん、いないものは、しょうがない」

 もう一度、自分に言い聞かせるようにそう言って、パン屋を出る。


 帰り道の途中で、ふと空が気になったリアナは顔をあげた。縄ばしごをつかむ手を休めて見つめる。朝もやがすっきりと晴れだした東の空に小さく、一頭の竜の影がはっきりと見えた。


「誰か戻ってきたわ!」

 パンを持っていることも忘れて、ふたたび勢いよく発着場のほうへ登りだした。

 縄ばしごを上がっていると、肩の上からルルが跳ねて、トカゲのように器用に岩を登りだした。ところどころ、危なっかしく前脚をばたつかせているが、リアナは気にせずに登りつづける。慣れていることもあるし、竜は頑丈な生き物なのだ。そう教えてくれた養父がふらりといなくなって、そろそろ半年近くが経とうとしている。決まりに縛られない自由人といえば聞こえはいいが、もはや、気ままな放浪とばかりも言っていられなくなってきた。口の悪い里人のなかには、イニは邪魔になる娘を捨てて出ていったのだなどと言うものもいて、言い返せない自分に歯がゆい思いをすることもあった。


 ただ、おかみにはああ言ったが、リアナは自分の成人の儀には養父が帰ってくるのではないかとひそかに期待もしていた。発着場につい足が向いてしまうのは、そのせいだった。

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