第二章 もう一人の澄心

1

 ファライラとアーリストは示導天使の制服に着替えて、アルフィナを伴って人間界に降りる。

 アルフィナに先導される形で、透のアトリエへ向かった。

 何やら金持ちの息子らしく、家族と住む家とは別の建物が与えられているそうだ。

「あ、あそこよ」

 アルフィナの指差した家を見て、ファライラは思わず腰の宝石に手をやった――そこには、有事の際に使う武器が収められている。

 アルフィナは気付いていないようだが、透のアトリエだという建物はどす黒いモノに覆われている。

 アルフィナ――澄心を失った悲しみだけではない、何かがある。

「どういうことだ、アーリスト」

「私に言われましても。イルチェラ様は何も仰ってはいませんでしたが」

 アーリストも無意識なのか手の甲の宝石を確かめていた。

「透に何かが起こっているのは確実として、下手をすればアルフィナも食われるかとされる。思っていた以上に面倒そうだな」



*********************



 屋根をすり抜けてアトリエに入る。

 折れた絵筆。

 まき散らされた絵の具。

 割られたパレット。

 そんな中でも、飲酒や喫煙の痕跡がないのは、透らしいとアルフィナは少し笑った。

「天使の絵は無いようだな」

 荒れたアトリエを見回しながら、ファライラは放置された幾つかの絵を見る。

 美しい物が溢れた天使界で生まれ育ったファライラが見ても、美しいと思う絵。

「…………どうやら透は聖画力せいがりょくの持ち主のようだな」

「セイガリョク?」

「そのまま、聖なる絵を描く力ですよ。きちんと飾っておけば、場を清めたり、幸運を呼んだりします…………ですが……」

 透の足跡なのだろうか、それらの清い絵は踏み躙られたことによって穢れた物が多かった。

「天使界で話した不思議なことも、その聖画力?」

「いえ、それは多分、予知能力ですね。貴女をモデルに天使の絵を描いたのも、彼自身は気付いていない予知能力によるものでしょう」

 アーリストとアルフィナが話しているのを横目に、ファライラは気配を探る。

 幾つかある扉の一つの向こうから、酷く清らかな気と、酷く穢れた気が同時に感じられた。

「アルフィナ、この扉の向こうは?」

「透が絵を描く時に、休憩場所に使っていた部屋よ。そこにいるのかしら」

 入ろうとするアルフィナを制して、先にファライラが入る。

 栗毛の天使の絵。

 額縁に収められ、壁に飾られた天使の絵は、アルフィナにそっくりだった。

「これか……」

 アルフィナ……いや、澄心を描いたからなのか、天使という題材だからなのか、その聖画は清らかな力が強い。

 清らかな気はこれとして、穢れた気は……と部屋を見回すと、少年が一人床に倒れていた。

 泣き疲れて眠ってしまったような彼は、資料で見た透だ――少しやつれているけれども。

(おかしいな……)

 扉の向こうから感じた穢れた気……あんなに強かったのに今は弱い。

「ねえ、透はいた?」

 アルフィナが扉をすり抜けて入ってきた。

「透!」

 アルフィナが透に近寄り、肩に触れようとするが、その手はすり抜ける。

「あ……」

「触れるのは無理ですよ。非常事態ではない限り、許されません」

「そっか……」

 アーリストはさり気なく透からアルフィナを離す。彼も、ファライラの感じる穢れた気を感じ取っているのだろう。

 ぴく、と透の手が動く。

「透?」

 聞こえないと解っていてもアルフィナは声をかける。

 目を開いた透が億劫そうに体を起こすと、爆発的に穢れた気が高まった。

「何だ!?」

 くすくすと女の声がする。

「アルフィナ、離れていろ!」

 ファライラは腰の宝石に手をやる。

「出でよ、双竜剣そうりゅうけん

 宝石から引き出されたのは、双頭の竜の描かれた両刃の剣だった。

綾月姫りょうげっき!」

 アーリストの手の甲の宝石から出てきたのは、芸術品のように美しい白い弓。

「いったい、何だっていうんだ」

 くすくす、くすくすと女の声が大きくなった。

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