3
昇格天使はアルフィナと名乗った。
虹の露とパンケーキが三人分揃ったところで、アルフィナの話が始まる。
「私、人間の時の名前は
「ちょっと待て、名前を覚えているだと?」
昇格天使は人間として生きた時の記憶はそのままだが、名前だけは記憶から抹消される。それは、天使として生まれ変わった以上、人間の名は不要だという遙か昔からの決まりだ。
羽の光が無く、人間の時の名前を覚えている……アルフィナは立派に昇格天使ではあるが、天使になり切れていないということだ。
「幼馴染に
「恋人か?」
身も蓋もないファライラの言葉に、アルフィナは薄く頬を染めて、けれど首を傾げた。
「私は透が好き。透も……多分だけど意識はしてくれていたと思う。でも、告白されていないし、私も告白していないから『恋人』とは言えないのかもしれないわ」
「初々しい話ですね。ですが、心残りは『正式な恋人になれなかった』ことではないでしょう?」
「だろうな、私達の所に連れてこられてるんだから」
「?」
「その程度の心残りを抱えた者なら、他の示導天使にもどうにか出来る。イルチェラ様……示導天使の長官がわざわざ私とアーリストにどうにかしろというなら、もっと面倒くさい事案だ」
「ファライラ、せめて『ややこしい』くらいにしておきましょうよ」
アーリストが苦笑してたしなめるが、ファライラはどこ吹く風だ。
アルフィナは虹の露を一口飲むと、はあ、と息を吐いた。
「うん、面倒くさいと思う。あのね、私の心残りは、私だけじゃ解決出来ないの……透が戻ってくれないと……」
「戻る?」
「透は絵が上手でね、風景画も人物画も静物画もいっつも先生に褒められてたわ。ちょっと不思議なこともあって…………透が空想で描いた風景画がね、遠足で行った地方の景色にそっくりだったり、何となく描いた人物画にそっくりな人に会ったり。それでね……透が私をモデルに天使を描いたの」
「天使……」
「白いワンピースを着て、お花を抱えて、微笑む私を描いてくれた。羽はさすがに用意出来なかったから、透が付け足して描いたけど。私、モデルなんてしたことなかったから緊張したけど、出来上がったら凄く可愛い天使の絵だった」
アルフィナは泣きそうな顔で目を閉じる。
「そして、完成したその日の帰り道に、私は居眠り運転のトラックにはねられて死んだの」
つう、とアルフィナの頬に涙が伝う。
「気付いたら自分が天使になっていて、びっくりしたわ。天使界からのお迎えが来る前に、ちょっとだけ透の所へ様子を見に行ったら……凄く泣いていた。きっと、透のことだから自分のせいだと思ってるの」
「まあ、タイミングが悪すぎたな」
「天使界に着いてから、私がこんなだし、気になって人間界の様子を見せてもらって……透は荒れたアトリエで泣いて、毎日何かしら絵を描いていたのに、それも一枚も描いてないみたいだった。私……私、死んだことは気にしていないの。トラックの運転手さんだって恨んでない。でも……透が絵を辞めてしまうんじゃないかって、それだけが気がかり……ううん、心残りなの」
アーリストが差し出したハンカチで、アルフィナは涙を拭った。
「私が本当の意味で天使になるためにも、透のためにも、力を貸して欲しいの。私に出来ることなら何でもするから」
「面倒くさい……が、やるしかないか」
パクリとファライラはパンケーキを口に運んだ。
何かを考えるような表情をしながら咀嚼し、飲み込む。
「よし、とにかくそいつの所に行こう」
「ファライラ、示導天使が人間界に降りるには長官の許可を取らないといけませんよ」
「二人分、取って来てくれ。あ、ついでにアルフィナの
「まったく」
呆れたような口調で、けれど微笑みながらアーリストが立ち上がった。
「探すのが面倒ですから、ここで待っていて下さいよ?」
「解ってる。早く行ってこい」
「はい」
ゆっくりとアーリストが出て行くと、ファライラはまたパンケーキを食べ始める。
「ねぇ」
「ん?」
「ファライラさんは、アーリストさんより偉いの?」
「『さん』づけは要らない。質問の答えだが、同格の相棒だ。だが、アーリストのほうが色々と細かいことは得意でな。許可申請なんて面倒くさいことは、だいたいやらせている」
「へえ」
アルフィナもパンケーキを食べ始めた。
「あ、美味しい」
「だろ? 私のお気に入りなんだ」
「クリームたっぷりなのに、くどくないのね。いくらでも食べられちゃいそう」
「ここはミルクレープも美味いんだが、食べるか?」
「食べる!」
そうして、アーリストが戻るまでファライラとアルフィナは甘い物を沢山沢山堪能した。
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