示導界でも懲罰界でも転生界でもない、天使界の大部分の場所は『本界ほんかい』とも言われている。

 その本界を鼻歌混じりにファライラは歩く。

 上機嫌そうな少女の姿に、すれ違う天使達もつい笑顔になった。

 そう、少女。

 地上では天使に性別が無いと信じられてもいるようだが、天使にも人間と同じように性別がある。

 ただし、少女に見えるからといってファライラが『少女という年齢』とは限らない。

 人間よりゆっくりと成長する天使は、人間年齢でいう十七歳で成人を迎え、その時に自分の好きな外見年齢を選ぶのだ。十七~二十五くらいの外見を選ぶ者が多いのだが、中には面白がって老人や幼児の姿を選ぶ者もおり、天使の年齢は外見からは推し量れない。

 ファライラは特に理由もなく、十六の年齢を選んだ。

 天使の中でも珍しい、膝を超えるほどの金髪を一本の三つ編みにして、お気に入りのワンピースを着て穏やかな本界を歩いていると、仕事のことを忘れられる――仕事に誇りは持っているが、それとこれとは別の話だ。

 ファライラは大通りから少し奥に入った喫茶店へと入る。

「リリア、元気?」

「あら、ファライラ、いらっしゃい」

 薄茶の髪を肩で揃えた女主人が笑顔で出迎えてくれる。

「『にじつゆ』を飲みに来た」

「グッドタイミングよ! ちょうど良いのが手に入ったの」

『虹の露』というのは、茶葉の名前だ。特別高価な物でもないのだが、淹れるのにコツがいるので、ファライラは虹の露を飲む時は必ずリリアの喫茶店を訪れていた。

「あと、パンケーキ。クリーム増量で」

「いつものとおりね」

 クスクスと笑いながら、リリアは厨房にいるロークスという天使に声をかける。茶はリリアが、その他の菓子や軽食はロークスが担当しているのだ。

 お気に入りの窓辺の席に座って、ぐっとファライラは伸びをする。

 自分で思っていた以上に、あの裁判で疲れたようだ。

「お疲れのようね」

「まあな」

 虹の露の注がれたカップを置きながら、リリアが微笑む。

「お役目のことはよく解らないけれど、折角ここに来たんだからリフレッシュして頂戴」

「ありがとう」

 ファライラが微笑んだその時。

 カランカラン、と扉のベルが鳴った。

「あら、リフレッシュ出来そうにないわね」

「……逃げようかな」

「聞こえていますよ、ファライラ」

 苦笑したのは、青年の姿をした天使だった。

 長い銀髪に紫の瞳をした彼は、ファライラと同じく示導界で役目を持つ天使で、ファライラの相棒でもある。

「仕事は一日一件までだろう? 私は一件こなしたんだ、もう自由のはずだぞ」

「正論ですが、それでは仕事が山積みになっていくことはご存知でしょうに」

 示導界はイレギュラーな仕事が多い。一日一件こなすだけでは、足りない日もあるのだ。

「リリア、私にも虹の露とパンケーキをいただけますか? あと、後ろの彼女にも」

 銀髪の青年――アーリストは当たり前のようにファライラと同じテーブルにつき、少し困ったような表情をしている少女天使を手招いた。

昇格天使しょうかくてんしか? 珍しいな」

 人間として生まれ、清く生き、清く死んだ者の中に、ごく稀に天使としての再びの生を授かる者がいる。

 栗毛の少女天使の額にある小さな花模様は、昇格天使の証だ。

 珍しくはあるが、それよりも気になってファライラは眉を顰める。

「なんで、羽に光がないんだ?」

 天使の羽は純白。だが、それぞれ淡く光を放っているのである。

 例えば示導界の示導天使しどうてんしは紫、転生界の転生天使てんせいてんしは緑、懲罰界の懲罰天使ちょうばつてんしは青。

 あまり出番はないが一応存在している天使軍の者は赤。

 それ以外の役目のない――ファライラにとっては喫茶店のオーナーだろうが、本屋の主人だろうが立派な『役目』だと思うのだが――天使は黄色。

 それは、昇格天使でも同じはずなのだが、目の前の昇格天使の羽は光っていない。

「それが、私達の所に彼女が預けられた理由ですよ」

「私……心残りがあるんです」

「……とにかく座れ。それから、敬語は要らない。そんなの一人で充分だ」

「は……うん」

 頷いて、少女天使は空いている椅子に腰を下ろした。

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