第6節 ②

 それは予想外の言葉だった。自分から危害を加えるつもりはないが、こちらからの危害には抵抗するつもりはない。

 彼女はおそらく、己が化物になってしまったことは理解している。昨日、暴走してしまったことも覚えているのだろう。


 だが彼女の振る舞いを見るに――おそらく、思考能力が正常に戻り正気になっている。


 どうすればいい。思考能力が失われ凶暴性に目覚めた変異血種ミュータントなら、駆除しなければならない。


 けれど、こうの目の前にいるのは、正気がある変異血種ミュータントだ。

 変異血種ミュータントになり正気を失うほどに精神性が侵食された人間が、時間を経て自然に元に戻るなんて症例を、こうは知らなかった。けれど、現実としてそのようなヒトが目の前にいる。


 仁後にごは彼女の実験結果は特殊だが失敗したと言っていたが――実は、彼も理解していないだけで実験は成功していたんじゃないのか?


「どう、したの? 殺さ、ないの?」


「……そのつもり、だったんですけどね。あなたが危険な変異血種ミュータント――化物になっていったら、殺して駆除するつもりでした。けど、今のあなたは思考状態も正常だし、危険性もない。このまま何もせず時間が経つとわかりませんが――すぐに適切な処置をすれば、あなたは人間に戻る……ことは難しいかもしれませんが、人間に近い化物として生きることは出来る可能性があります」


 そうだ。あの男の元ではなく――他の研究所・研究者に頼れば、なにか変わるかもしれない。

 片萩劫かたはぎこうの正しい行動としては、彼女がどんな状態でも駆除すべきなのかもしれないが――助けられる可能性があるのなら、それに賭けたい。


 助けられるかもしれないのに、助けないなんて――あの日の自分に示しがつかないから。


「そっか……でも、ね。おねがい。わたシを、殺して」


「なッ――! 何を、言ってるんだ! さっきも言っただろう! あなたは、まだ助かる可能性がある!」


「……だとしテも、殺シてほしいの。こうして話してるけど、たぶん――それもそろそろ限界だから」


「だとしてもだ……! あなたはこうして今、正気を取り戻せている……! あの男では力不足だったせいで、あなたは化物にならざるを得なかったのかもしれないが――他の優秀な人物の力を借りることができれば、まだ可能性があるはずだ!」


 少年は必死になって説得を続ける。けれど、そんな少年のなりふり構わない声を聞いても――化物になってしまった女性は、静かな笑みを浮かべるのみ。


「……それが、こたえだよ。かれに頼った結果が、これなんだったら……わたしは、それでいいの」


「わからない……あなたの考えてることが、何もわからない! そこまで覚えていて、考えることができて――なんで、どうして、一縷の希望に縋って、助かろうと思わないんだ!? そうでなくても――あの男に報復しようと思わないんだ!? あの男は、あなたを――自分の恋人を、化物にしたんだぞ!」


「……きみは、勘違いしてる、けれど。わたシね、嬉しかったんだよ。たしかに、かれはわたしを、化物にした――けどね、ほかの人には、ひみつにしてたんだよ。わたしは、それが嬉しかった……だって、それは、彼が……わたしのことを、独り占めしたい、ってことだから。だから――かれのしたことを、のぞんだことを、否定したくない」


「……狂ってる。あなたも、あの男も――狂ってるよ」


「そう、かモね」


 少年の思いは届かない。どうして、誰も助かろうとしないんだ。なんで、助けようとしないんだ。あの男は、もっと最善を尽くせたはずだ。この人は、もっと最良を選ぶべきなはずだ。なのに、どうして――彼らは、彼らだけで完結してしまうんだ。

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