第5節 ③

 沙月は、スカートのポケットに入れていた物を取り出す。

 それは、センセイから護身用にと渡されたナイフ。

 ナイフケースから取り出し、右手に構える。

 さっき吹き飛ばされて、地面に叩きつけられたとき、手や足にできた切り傷を見る。


「……これだけじゃ足りないよね」


 沙月は、左腕の袖を捲った。


(訓練では手のひらや親指に押し付けてたけど、今はそんなゆっくりしてる時間はないよね)


 一呼吸。

 きっと、とても痛いと思う。

 ちょっとだけ、怖いと感じる。


(だけどこんなの、穂村さんを助けるためなら、どうってことはない――!)


 そして、右手に持ったナイフで――自分の左腕をざっくりと切りつけた。

 そしてその切り傷から流れ出てくる血をナイフの刃と塗りつけると、ナイフの柄にあるボタンを押す。


 すると沙月が手にしているナイフは、刃の部分が急速に伸張した。

 数秒後。沙月が手に持つナイフは、取り出したときとはまるで別物に変形していた。

 変形した刃の大きさは、およそ日本刀と同等。


 その形こそ少々歪であれ、得物として使うなら十分な殺傷力を誇るだろう。

 沙月が〝先生〟から護身用に渡されたナイフ。それは、沙月の血に対してのみ反応する特殊な武器。一定量彼女の血を染み込ませることによって変形が可能となる、神倉沙月という変異血種ミュータントの研究データから作られた産物。

 その銘は、変異刀・紅月こうげつ


「穂村さん。……少しだけ、ううん、めちゃくちゃ痛いかもしれない。ごめんね」


 その刃を結花に向けて、沙月は呟く。


「……なにそれ。アハハ、すごい……! ほんとすごいね神倉さん! とっても、カッコいいよ!」


 そんな沙月の姿を見て、結花はアニメの中のバトルヒロインを初めて目にした子供のようなはしゃぎようだった。


「でもそんなにカッコいい神倉さんを見せられたら――もっと、殺したくなっちゃう」


 冷酷にそう呟き、変異血種ミュータントと化した右腕を振りかぶる。異形化した右腕がさらに膨張し伸張し、沙月のいる場所へと向かって、その腕は地面に叩きつけられた。

 その衝撃で、大きな砂埃が宙に舞う。


「アッハハハ。これでも生きてたらもっと、もっとスゴイよ神倉さん! わたし、わたしね、もっともっと神倉さんと――」


 ゆっくりと、砂埃が晴れていく。

 だがそこに、沙月の姿はない。


「え……?」


 周囲を見渡す。だがどこにも神倉沙月かみくらさつきの姿はない。

 逃げた様子もしない。それなら、地面を走る音がするはずだ。

 地面に叩きつけた右腕の中にも、彼女を潰した感触はない。結花は、右腕を伸縮させながら3メートルほどの長さに戻しつつ沙月を探す。


「どこに……!」


 そして、ふと――。

 空が、暗くなったことに気づく。

 結花は、空を見上げた。

 そこには、月がある。歪な形の月だった。

 ほとんど雲がなく、月の光が輝いている。

 そして――


「嘘……!」


 そして、沙月は――そこにいた。

 地上から十数メートル先の上空。

 沙月は地面を蹴って、その高さまで跳躍していた。

 人間が生身でそんな高さまで飛ぶのは絶対に無理である。しかも、そんな高さから落下してきたら無事では済まないだろう。


 だが、神倉沙月は――変異血種だった。

 彼女はこの瞬間、人間という種を、完全に超越していた。


「ああああああああああ!」


 人間では不可能な高さまで飛んだ沙月は、身体をひねり返して、月を背にしながら真っ逆さまに落ちていく。

 刀を両手で構えて、ただ一点だけに狙いを定めて。


 それは見た目通りの、月への跳躍ムーンサルト

 月明かりに照らされた沙月の姿は――

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