第2節 ②

 劫が事務所から出て行ってしばらく、沙月は書類の整理、センセイ重要書類の確認を終わらした。


「あー終わった終わった! いやー多かった! さっちゃんも終わった?」


「うん、終わりました」


「そっか! おつかれ! よーし、じゃあ一緒に買い置きしてたプリンでも食べよっか!」


 一仕事終えると、なんらかのデザートを食べるのがこの事務所のルーチンワークだった。実は沙月も、このルーチンを密かに楽しみにしている。

 だがセンセイが向かった台所から聞こえてきたのは、予想外の言葉だった。


「んー、アレ? プリンが無くなってる……って牛乳とかベーコンもほっとんどないじゃん! あんのガキ……また漁るだけ漁って買い増し忘れてる!」


 センセイは事務所に備え付けられた冷蔵庫の中身を勝手に荒らされたことに対し、わなわなと手を震わす。そして長い溜息を吐き、冷蔵庫のドアを占めると「よし!」と意気込む。


「しゃーない。コーちゃんに連絡して帰りに買ってきてもらうかー。ついでに晩ご飯用のお弁当もたのもっと」


 それは流石に、劫さんがこき使われすぎなのではないだろうかと沙月は思った。


「センセイ。私が今から、買い出しに行ってきましょうか?」


 なので、沙月はセンセイに提案した。


「あら、頼んでいいの? なんだか悪いわね」


「私も、劫さんと同じく気分転換に散歩がてら出かけたいと思ったところですし」


 沙月はロッカーからフード付きで大きめのパーカーを取り出し、セーラー服の上に羽織った。

 もう日が傾いて来ているこの時間。学生服のまま外に出かけるのは補導される可能性が高い。かと言ってわざわざ着替えるのも面倒なので、制服風ファッションに見える程度のカモフラージュをして買い出しに行くことに決めた。


「それじゃあ、行ってきま――」


「さっちゃん、ちょい待ち。忘れ物!」


「え? ――わっ、とと」


 センセイから、ある物が沙月へ投げ渡される。沙月はそれをキャッチする。


「……あの先生。ただの買い出し行くのに、これ必要ですか?」


「備えあれば憂いなしよー。護身用として持ってきなさいな」


 〝先生〟から沙月に投げ渡された物。それは小型のナイフだった。流石に刃が剥き出しのまま投げ渡されたのではなく、ちゃんとレザーのナイフケースに収納されていたが。


「あの、いつも思うんですけど……これ護身用でも、銃刀法違反になるんじゃ?」


「あっはっは。その時は『ナイフを持ち歩くキャラクターに憧れてるんです!』って言えば大丈夫よ。アタシも中学生のときはそう言って誤魔化してたわ」


 そんな言い訳で誤魔化せるものなのか、と沙月は疑問に感じたが、センセイの若い頃なら警察官相手にもそんな無茶を通してもおかしくないなとも思った。


「だからって……」


「もしも、のためよ。持っときなさいな。変な奴に絡まれたとき、さっちゃんが凄みながらコレを見せたら、そんな奴らすぐ逃げ去るだろうし。それに――トラブルに巻き込まれたとき、手ぶらだったせいでやりすぎたなんてことしちゃうよりはマシでしょ?」


「…………」


 沙月は言い返せなかった。

 あの時のことを例えに出されると、非常に困る。一年ほど前、バス停で女の人にちょっかいを出しているヤンキーが鬱陶しくて、注意したことがある。その時、軽いトラブルになったのだが……。そのヤンキーに腕を掴まれた直後、反射的に少し捻っただけなのにその男の腕を折ってしまったときがあった。

 あの時は本当にセンセイに迷惑をかけてしまったと、沙月は思い出す。


「……わかりました。でも」


 沙月は先生から渡されたナイフを、スカートのポケットに入れた。


「うん、よしよし。さっちゃんはえらいねー!」


 ちゃんと護身用ナイフを持った沙月の頭を、センセイは撫で回した。


「あの、ずっとそうされると出かけられないんですけど……」


「あはは、ゴメンゴメン! ほいやめた!」


「……それじゃ、行ってきます」


「行ってらっしゃーい。あ、もしあのバカも見つけたら、引きずってでも連れて帰ってきてね! その時はザクッと刺していいからー」


「刺しはしませんけど、もし見つけたらどうにかしてでも連れ帰ってきます」


「うんうん。お願いねー。――それともし野良に出会ったら、その時ばかりは躊躇せず使いなさいな」


「……はい」

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