第2節

第2節 ①

「それなら別に、行ってきてもよかったのに!」


「え、でも。今日は整理する書類がいつもより多いって聞いてたから……」


「もー、そんな細かいこと気にしてぇ。まったくこの子はー!」


 長い黒髪を雑把にまとめた、とても背の高い二十代後半ほどの女性が、沙月の頭をぐりぐりと撫でた。

 沙月が今いる場所は、四階建ての小さなビル。そこの二階フロアを利用している事務所。沙月は、そこで居候先の仕事の手伝いをしていた。


「だってさっちゃん、なかなか友達作ろうとしないしさー。アタシ、結構心配してたんだぞ?」


「……だって、センセイがどうしてもって言うから学校通ってるだけだし。友達なんて、作らなくてもいいじゃないですか」


「くぁ~~! 何もわかってないなこの子は!」


 頭の固い沙月を柔らかくするが如く、センセイと呼ばれた女性は沙月の頭を撫で回す。


 〝センセイ〟は、沙月の保護者のような存在だ。

 そして此処は、センセイが住居兼仕事場として使っている事務所である。

 一階がガレージ。二階が事務所。三階と四階が住居になっている。


 沙月はここの三階の一室に住ませて貰っていて、その対価としてセンセイの仕事の手伝いをしている。

 このビルの住人はセンセイと、居候が沙月の他に二人の計四人。センセイ以外は全員未成年であり、センセイは保護者として三人の面倒を見ている。


「それにさっちゃんが友達と遊びに行ってても、その分はコーちゃんがどうにかしてくれる!」


「そうやって、いつも僕に無茶ぶりするのやめませんか?」


 センセイにコーちゃんと呼ばれた少年――片萩劫かたはぎこうはキーボードを高速でタイプしながら、ツッコミを返す。


 片萩劫かたはぎこうは、居候の中で最も年上の少年である。

 唯一の高校生で、この事務所を事実上仕切っているのは、センセイではなくこの少年だった。


 彼が座っている机の上には、大量の書類やコピー用紙が山積みになっている。片萩劫かたはぎこうはそのアナログなデータの集まりを、PCのデータベース上に入力する作業を行っていた。

 研究所や本庁から送られてくるデータや依頼に関する印刷された書類や、データが入力されているCDの数々。二十世紀が終わってしばらく経つというのに、それらはほとんどが郵便やFAX、手渡しで送られてきていた。


「あっはっはー。いやーごめんね? でもさー、コーちゃんって何でもしてしてくれるじゃん? だからアタシも思わず頼っちゃうのさ! 感謝してもしきれないわ~」


「そう言うなら、データ入力を手伝ってください。元はと言えば、先生の書類管理が杜撰すぎることから始まったんですからね、コレ」


「いやーアタシ、そういうのからっきしだし? 依頼書とか見ないといけないし? アタシが生まれたときには、パソコンなんてもんなかったし?」


「……先生が知らないだけで、パソコン自体は数十年前からありますよ。僕が物心ついたときには、一般家庭に普及し始めてましたし」


「あ、そうなの? コーちゃんは博識ね。今じゃそういう歴史も学校で教わるのかしら」


 センセイは沙月と劫から渡された重要書類を流し見しながら、飲むヨーグルトをズビビと音を出しながら吸いこむ。


「まぁ、もうそろそろ今日の分は終わるので、センセイの手伝いは必要はないんですが」


「お、さっすがー! よっ、秀才高校生!」


「……それ、褒めてるのか、茶化してるのかどっちです? ――あ、沙月ちゃん。そっちの進歩はどうだい」


「えーっと。こっちもそろそろ終わりそうです」


「そうか。悪いね。友達とお遊びに行くのを自重させちゃったどころか、アイツの分も任せちゃって」


「いつものことだから、いいですよ」


 沙月は黙々と書類や郵便物の仕分けを続ける。

 彼女はいつもこんな様子だった。センセイや劫に任された仕事を、文句一つ言わずにこなしていく。そんな少女を見て、劫は彼女に言葉をかける。


「――沙月ちゃん。僕が言うのもなんだが、君は人を頼ることを知らなすぎる。たまには、センセイや僕に我儘を言ってもいいんだよ」


「…………善処します」


「無理に頼れ、とは言わないけどさ。……今ここに居ないアイツと君で、足して半分に割るとちょうどいいぐらいなんだけどね」


「結局、今日もサボりですかね」


「みたいだね。まったく……」


 沙月と劫は、一緒に「はぁ」とため息を吐いた。

 二人がそうして嘆息を漏らしていると、パソコンからメールの着信音が鳴った。劫はすぐさま、そのメールを確認する。


「コーちゃん、なんか連絡来たの?」


「この間、僕が処分した個体の検死結果が出たみたいです。それをまとめたデータを取りに来て欲しい、と。……全く、そういうのは一括してメールに添付してくれてもいいと思うんですけどね」


「あ、そうなの。それアタシが行ったほうがいいヤツ?」


「いや、僕が行きますよ。ちょうど気分転換にもなりますし」


「そっかー。んじゃ、よろしくぅ」


 劫はパソコンをシャットダウンし、ロッカーから少し大きめの鞄を取り出し、外出の準備を済ます。


「じゃ、行ってきます」


「はいはいー。気をつけてねーん」


「行ってらしっしゃい、劫さん」


 二人に見送られて、劫は事務所から出て行った。彼が階段を降りていく音が、少しずつこの部屋から遠くなっていく。

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