3 ストロベリー・アタック!


「あれ」芸能人に詳しくないヨリトモだが、さすがに苺野芙海くらいは知っている。が、なんでこんなところに顔が映っているんだろう。


「実は明日、このエミュ空間で新曲を発表することになってるのは、みなさんもご存知だと思います。でも、今は特別サービス。ここにいるみんなに、内緒であたしの新曲をお聞かせします。ただし、レコーディング版を流しちゃうわけにはいかないので、さっきカラオケに吹き込んだばかりのダンス・バージョン、あ、これ勝手に作ったんですけど、それで流しますね。で、そのあと、生でも歌うから、ちょっと待ってて。では、聞いてください。新曲『星の渚にて』です」


 通信画面の映像が消え、かわりに正面モニターにワイプ画面が展開される。


「消しますか?」ビュートが尋ねてくる。


「これ、なんだ。なにが起こっているんだ?」


「音楽と映像の配信です。一種のCMですね」


 言っている間に、宇宙空間の1点、天球の一部が四角く切り取られ、シアターサイズの映像が姿を現した。


 アストロ・シアターである。

 宇宙空間の一角が映画のスクリーンになり、差し渡し何光年に及ぶような広大なサイズの映像が投映されている。その星空に切り取られた画面のなかで、3D映像になった苺野芙海が、手足剥き出しのラフなトレーニングウェアで一人踊り出した。



「実際のアストロ・シアターではないですね。カーニヴァル・エンジンの視覚映像データに割り込ませて、合成している映像です。一種のSFXといっていいと思います」


「にしても、凄い演出だ。明日のコンサートってこんなことやるのか」


「感心している場合じゃないですよ。速く逃げないと」


「ああ、だが……」

 状況は絶望的である。シンクロル・レーダーの表示は、ヨリトモが的確に包囲されていく様を映し出していた。しかし、そのとき……。



『イエエエェェェェェェェェェーーーーーーーー!』



 ズズズンっと、大地が震えるようなドラムの音と、機銃掃射のごときギターのリズムがコックピットに響き渡る。4Dホログラム音響の銃弾に撃ち抜かれて、ヨリトモはびくりとシートのなかで飛び上がった。


 アストロ・シアターに大写しになった苺野芙海が拳を突きあげ、綺麗なアイアン・アームの敬礼を決めている。


「うわっ、なんだ?」

 ヨリトモが驚き、ビュートがあわててスピーカー音量を下げる。

「音楽データと映像データが、どっちも4Dの高干渉ホログラムで配信されています。これ、全機に個別配信する必要ないと思うんですが……、あ、ちょっと待ってください」


 アストロ・スクリーンの中で、苺野芙海が鋭いターンを決め、それを合図にダンスがスタート、そして彼女の低く静かな歌声が流れ始めた。


『星が溢れる海にひとり佇み──』


 まるで、目の前で歌ってもらっているようだった。ヨリトモの全身にさっと鳥肌が立つ。これがプロの歌ってやつか……、と一瞬自分の苦境も忘れて画面に見入る。


『押し寄せる波と潮風に、乱れる髪をおさえもせず──』


 歌いながらも、複雑なステップを決めた芙海は、息も乱さず背中越しに振り返る。まるで神話の時代の女神が降りてきているみたいな表情。ヨリトモは、生まれて初めて見る、天才少女のパフォーマンスに魅了された。


 これがいま噂のトップ・アーティスト、苺野芙海か!

 思わずごくりと唾を飲み込む。


『遠く遠く昏い水平線へ、歌声を投げるわたし──』


「やはりそうです」ビュートが報告してきた。「シンクロル通信で大容量の映像および音楽データが配信され、さらに全機への中継発振命令が添付されていますので、第六艦隊のシンクロル・データリンクが現在パンク寸前です。中継が中継を生んで、ハウリングを起こしかけています。この状況なら、敵味方識別データリンクは機能せず、わたくしたちの位置も不明瞭になっているはず。今なら、追跡を振り切れます」


『あの闇の果ては、黄泉へとつづく夜のみち──』


 激しいロックのリズムの上を、静かな歌が波乗りするように走っている。そして合間に鋭く入るハイキック。

 ヨリトモはスクリーンの中の芙海の蹴りに目を剥いた。

「……うまいな」




「……苺野さん、なにをやっているんだ。やめろ!」

 正面モニターに、別のワイプ画面が開いた。カシオペイアの真っ青な顔が写っている。そして、彼の取り乱した声が聞こえてきた。


 おそらく苺野芙海が全データを放送しているので、カシオペイアとの会話も流れてきているようだ。


「いまは大事な作戦中なんです! 悪質なハッカーを殲滅するための重要な作戦行動中なんですよ。それに新曲発表まではあと8時間あるでしょう。フライングは事務所としても困るはずだ」


「いいじゃないですか」

 ワイプ画面に映るコックピットの芙海が、いたずらっぽい声で答えた。

「新曲発表のイベントって言ったって、どうせゲームプレイヤーの暇つぶしなんでしょ。だったらこうしてイレギュラーなことするのも、話題になって面白いと思いますよ」


「いいからっ!」カシオペイアがヒステリックに声を裏返らせて叫んだ。「いまは、やめるんだ!」


 芙海が楽しそうにころころと笑って通信をぶち切った。


「芙海さん、おいっ! こらっ、芙海!!」カシオペイアが癇癪を起こしてコンソールパネルをどんと叩く音が聞こえる。その直後、くしゃっと丸められる演出でカシオペイアのワイプ画面が紙くずみたいに消えてゆく。



 ぷっと吹き出したヨリトモの、クロノグラフがじりじりと震動した。通話の着信だ。

「あれ? これって番号は前と一緒なの?」ヨリトモはビュートに聞いた。


「一緒ですけど、海賊回線で接続してるんで、追跡されたりしませんよ」


 番号が一緒ということは、ヨリトモの番号を知っている者からの直接通信で、その人間は限られる。このクロノグラフの番号は頼朝の携帯端末の番号と一緒だから、これでかけてくる相手は何人もいない。



 ムサシか、アリシア。せいぜいケメコかナスタフ。他にマスミ……。しまった。ここにいるのがマスミにバレたか?


 ヨリトモは軽くパニクって通信に出るのを躊躇したが、ことここに至っては言い訳してもしかたない。あきらめて、通信画面のパネルをタッチし、クロノグラフではなくメインの通信画面から通話を受けた。


「ちょっとぉ、ずいぶん待たせるじゃない?」比較的大型の画面に美しい少女がきらきら光る瞳で現れて、まっすぐヨリトモを見つめた。


「あれ?」首をかしげる。「い」ヨリトモはぽかんと口をあけてから、やっと一言。「ちごの芙海」


「ヨリトモさまのお知り合いなんですか?」


「いや、テレビで見てるけど」ちらりと宇宙空間のアストロ・スクリーンを一瞥する。おんなじ人だ。「……それだけだ」


「ねえ、ヨリトモくん」画面の中の苺野芙海はすこし照れたように微笑んでみせた。「これからちょっとだけランデブー飛行するから、敵とまちがえて斬ってこないでね。あたしは今フェンリル・ゼロってのに乗ってるから、注意して」


 注意して、のあとにハートマークがついていそうな声だった。

 か、かわいい。胸にずきんとくるくらい可愛い。そして、顔がちっちゃい。

 これなら石野裕一が騒ぐのもわかる。そういえば吉川真澄も「かわいいよねえ」とかため息まじりに言っていたっけ。


「なんか向こうもヨリトモさまのこと、知っているみたいですけど」ちょっと棘のある口調でビュートがヨリトモを現実世界にひきもどす。


 なんだか訳がわからないが、旗艦から上昇してきたとおぼしき一機のカーニヴァル・エンジンがまっすぐベルゼバブに接近してきた。ビュートが誘導したらしい。


 ものすごい加速力でベルゼバブに並ぶと、すぐ隣を美しい白銀のカーニヴァル・エンジン、フェンリル・ゼロが編隊を組んで飛行しはじめた。


 通信画面をのぞくと、真剣な表情で操縦に専念する芙海の横顔が映っている。大きな瞳がまっすぐ前を見つめていた。


「ほら、こうして飛べば」ふいに芙海が画面を振り返って話しかけてきた。「他のカーニヴァル・エンジンに射撃されないでしょ。安全圏まであたしが守ってあげるよ」


「え」ヨリトモは真っ赤になって照れた。「あ、いや」


「なに持ってるの?」フェンリル・ゼロがベルゼバブの抱えたコンテナを指差す。


「あ、さあ? おれも知らないです。なんか大事なものらしくて……」


 芙海はヨリトモの返答にくすくす笑った。

「今度見せてよ」


「あ、でも。もう、これっきり」


 再び芙海は前を向き、パネルのスイッチをいくつか操作しはじめた。口元に楽しげな笑みが浮かんでいて、ヨリトモから見ても彼女が楽しくてしょうがないのがよく分かる。


 アストロ・スクリーンの映像が、芙海のコックピット映像に切り替わる。


 音楽に被せて、口元のマイクの位置を直した彼女が叫ぶ。


「みんなー! ここからは、生で歌うからねっ! 拡散よろしくね」

 言ったあとで、ちらりとこちらを見ていたずらっぽく笑い、腹の底から響く声を張った。


「あたしの曲を中継および放送してないやつは、すべて敵だぁぁぁっ!」



『聴いて聴いて、あたしの慟哭──』


 芙海は、フェンリル・ゼロのシートを少し下に落とし、コックピットの中で立ち上がる。

 細く狭い空間で、パイロットスーツの芙海がくるくると二回転、超高速の連続ピルエットを披露し、息つく間もなく歌い続ける。


『抱いて抱いて、冷えた肢体からだ──』






 ベルゼバブとフェンリル・ゼロは並んでしばらく飛行したが、曲が終わり、映像が切れると、芙海は「じゃあ、そろそろ」と別れをつげた。


「あの」ヨリトモが引き止めるように声をかけると画面の中の芙海は細い眉をちょっとあげて、何?と表情でたずねた。


「あの、今日はありがとうございました。なにかお礼ができるといいんだけど……」


「あ、そういうのって、あたし絶対忘れないからね。ちゃんと考えとくのよ」芙海は人差し指をたてて片目をつぶった。「じゃねえ、ヨリトモくん。ビュートちゃんにもよろしく」


「あ」小さくビュートは声をあげた。「あいつか……」



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