第8話 1機vs1個艦隊

1 忘れ物


 ヨリトモはペダルを床まで踏んで、ベルゼバブを最大加速で上昇させた。


 複雑な曲線を描いて手近な敵機を入れ違いざまに両断する。旋回中も両断中も視線を周囲に飛ばして状況を確認しつつ、ベルゼバブの噴射をコントロールする。


 咆える反物質スラスター、唸るエマモーター、火花をちらすライトニング・アーマー。帰ってきた。おれはここに帰ってきた。


 飛ぶこと自体が快感だった。限界ぎりぎりまで加速して、思いっきり旋回に入る。逃げ惑う敵機を追い詰め、殺戮する。殺しはじめたら止まらない。


 熱にうかされたようにヨリトモは目に入った敵機から斬り捲った。殺戮の興奮。しかし……。


「よし」ヨリトモはすばやくベルゼバブをロールさせて周囲360度を確認した。

 混線の最中に状況を見渡し忘れて撃墜されたことは何度もある。今回も臆病なくらいに四方を確認しつつ、そろそろ危険な状況に陥りはじめている感じをとらえたヨリトモは撤退の決心をつけた。「ビュート、もどるぞ」


「あ、あのヨリトモさま……」ビュートが言い出しにくそうに口を開いた。「もう時間って全くありませんよね?」


「は? なにいってるんだ? 時間もなにも、とっとと逃げなきゃ」


「あ、そ、そうですよね、やっぱ」


「お、おいビュート」ヨリトモは一瞬怒鳴りかけたが、ぐっとこらえて訊いてみた。「なにかあるのか?」


「あの……、じつは」ビュートはうなだれて言いにくそうに口をひらく。「忘れ物が、あるんです」


「はあ? 忘れ物? なんの話だ? おまえが忘れ物? なにそれ、大事なものなのかよ? どこにあるんだよ?」


「あの」ビュートは最後の質問にだけ答えた。「十三番艦ゲルハルト級、あたしたちの元のハンガーです」


「え? あんなところに? アリシアのハンガーじゃなく?」

 ヨリトモは時間稼ぎにヒパパテプス級の裏側に回りこんだ。艦体の腹ぎりぎりを飛行して敵の目を眩ます。


「なにがあるんだ?」


「いまはまだ、言えません」意外にきっぱりと否定してくる。


「大事なものか?」


「いまはまだ必要ないんですが、いずれ使うときがくると思うんです」


「なんだよ、それ?」


「言えません」


「おれにも?」


「はい。だって言えばヨリトモさまのことだから、きっと……」早口にまくしたてて急に口ごもる。

 ヨリトモは不機嫌なため息をついた。


「どっちだ?」


「はい?」


「ゲルハルト」


「え?」


「行くんだろ? 忘れ物とりに」


「わーい、だからヨリトモさま大好き!」


「つまんないものじゃないんだろうな? クマのぬいぐるみとか」

 言ってしまってヨリトモははっと口をつぐんだ。冗談で言ったつもりだが、もしかしてそれが本当にぬいぐるみだったとしても、それはビュートにとって命より大事な物であるかもしれないのだ。


「もう」ビュートはしかし上機嫌に答えた。「あたしそんな子供じゃないですよう」


 十三番艦ゲルハルトの位置情報がくる。


「ソニック号のリニア・ドライブ始動のゼロアワーに合わせたタイムテーブルも表示してくれ。間に合わなかったら、元も子もないぞ」


「わかってます」


 右の情報パネルにカウントダウンの赤い文字が来た。

 まだ20分以上ある。

 現段階では余裕で間に合いそうだ。ヨリトモはシフトを2にいれつつ操縦桿で姿勢制御して、手足でベルゼバブの機体をくねらせながらペダルを踏み込む。

 残っている慣性とスラスターの向き、重心の位置と推力の方向を指示された方位に向けてぴたりと合わせた。


 一瞬ペダルをリリースしてシフトを6。このときにはもう修正はしない。思いっきりペダルを踏み込んで最大加速をする。



 ベルゼバブは矢のように飛び出した。








 最初カシオペイアは物思いにふけりながら、窓の外を眺めていた。


 苺野芙海が約束の時間に現れなくても気にならなかった。メイン・マネージャーの板倉はあたふたと電話をかけまくり、GPSを確認し、こんなこと滅多にないんですと必死に言い訳したが、カシオペイアは「ぼくは別にクライアントじゃないですから、気にしないで下さい」とはぐらかして窓の外を眺め続けた。


 ベルゼバブの破壊にはムサシに行ってもらった。ジェロニモも一緒だから間違いはあるまい。ラスト・ジェノサイダーも貸したし、人形館から艦内破壊の許可もとりつけてある。万全の準備が整っていた。


 ただし、自分は苺野芙海の相手をしなければならないので行けない。ムサシにはそう言い訳した。

 もちろん嘘ではないのだが、実は行けなくてほっとしていた。

 ユニーク機体のベルゼバブを起動しないうちに破壊するのが心底嫌だったのだ。


 頭ではそれがベストな選択だと思いつつも、それを実行するのはなんとしても避けたかった。だから、武器の手配や破壊許可の申請のタイミングを計って、破壊計画の発動時期を、自分の都合の悪い時間帯になるよう無意識に調整していたのかも知れない。


 さっきムサシから届いた連絡では問題なくベルゼバブを発見し、これから破壊するとのことだった。

 カシオペイアはムサシからベルゼバブ破壊完了の通達が来るのをじっと待っていた。楽しみに待っているのとはちがう。かといって、届いてくれなければ、困る。


 クロノグラフに信号がきた。メッセージの着信だ。


 カシオペイアはため息をついて文字盤を開き、文書を読んだ。


『ベルゼバブ起動。ジェロニモ被撃墜。スクランブル発令中』


 ぎょっと目を剥いた。

 そして全身の血がかっと熱くなり、ぞくぞくする興奮が腹の底から湧き上がるのを感じた。この燃えるような高揚感はどうすることもできない。


 きたか、ヨリトモ。とうとう。

 カシオペイは振り返った。

 もう苺野芙海のことはどうでもよくなった。出撃するつもりでシューターの方へ早足で歩き出したとき、板倉が「もう! いまどこにいるの?」とクロノグラフに叫び返す声が聞こえた。カシオペイアは無視してシューターに飛び込もうとしたが、駆け寄ってきた板倉に肘をつかまれた。


「もうしわけありません。芙海からです。将軍にかわってくれとのことです」

 板倉が差し出した手首を、カシオペイアは苛立たしげに見詰めた。


「もしもし」ハンズフリーマイクに語り掛ける。早く切り上げて出撃したい。彼女の相手は今日は無しだ。もうすっかりそのつもりでカシオペイアは声を投げた。「どうしました?」


「ごめんなさい」

 かわいい声で謝ってくる。ちっちゃくなって頭を下げているのが目に浮かぶような声だ。

「ちょっと遅れちゃいました。これからすぐに、もう全速力で行きますから、おねがい、待っててください」


 声だけ聞くと、もの凄くかわいい。事実、苺野芙海は美人だし、愛らしい顔をしている。だが残念ながら、彼女のかわいさも美しさも、宇宙空間で敵としてまみえるベルゼバブとヨリトモの魅力には遠くおよばない。


「また次回にしましょう」カシオペイアは通話をぶち切って板倉のクロノグラフから顔を背けた。

 そのままシューターに飛び込もうとしたが、板倉と他二人のマネージャーに「もうしわけありません」「すぐに参りますから」と連呼され、強引にソファに連れ戻される。


「いや、ちょっとまってください。スクランブルが……」カシオペイアは抵抗したが、そうこうするうちに当の苺野芙海がアクセスしてきて、結局出撃できなくなる。


「ごめんなさーい」遅れてきた芙海はぺろっと舌をだして頭の上に手でネコミミをつくった。

 今日は別人のように愛嬌を振りまいているが、そんなものに騙されるカシオペイアでもない。


 不機嫌なカシオペイアを見て、なぜか上機嫌になった芙海は「ちらっ」とか言って短めのスカートを太腿のあたりまでめくって見せる。

 カシオペイアがちょっと驚くと、「あ、いま見ましたね。前払いですから、訓練しましょう」ときた。


 喰えない。心底喰えない女だと思う。


 カシオペイアは一瞬考え、「いいでしょう。早速いきましょう」と答えた。もちろん外に出てしまえば、そのまま芙海を放り出してベルゼバブを追うつもりだ。


 ポーカーフェイスで騙したつもりのカシオペイアだったが、芙海の方もしたたかである。


「じゃ、パイロットスーツ、選びますね」とでっかいスーツケースを引きずり出した。


「急いでください」と言いつつカシオペイアは窓に寄る。外ではぱらぱらと対消滅炉が吹き飛ぶ独特な閃光の花がつぎつぎと開いている。


 やつが暴れている……。



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