第6話 1万光年彼方からのメール
1 愛機ファントム
はじめてサンドバッグを叩いたとき、あまりの硬さに頼朝はおどろいた。
詰まった砂というのはこんなにも硬いのかと、拳をさすり、傍らの郷田を見上げた。
「人間の頭はもっと硬いですよ」
郷田はむすっと答え、拳を固くすることと手首がパンチ力を支えられるように鍛えることを頼朝に説明した。
そしてパンチとキックを教えてくれた。
ムエタイには肘打ち膝蹴りもあるが、最初はストレート・パンチとハイキックだけ。技を学ぶのと同時に身体を作っていく計画らしい。
「どっちも基礎からじっくり時間をかけてやる必要があります」
ほぼ正対したフォームから、両腕を頭の高さまであげる独特な構えをとる。
腕をあげて防御をとるのは、自分の腕の上から攻撃を喰らわないため。また、相手の腕の上から攻撃できるように高くとる。絶えず肩をあげて守り、パンチを繰り出すときも肩はあげたまま。突き出したパンチも顎を守るように腕をのばす。
ハイキックは首を刈る角度を使う。大技だが、相手のストレートパンチに合わせて打つと、相手のガードが崩れていることが多いため、ヒットの確率があがる。
頭を狙うと外れやすく、ダメージも小さいので、首を刈って脳をゆらすらしい。
鏡のまえで窮屈な構えからパンチとキックの練習をつづける。単調で根気のいるトレーニングだ。郷田に細かいフォームを直されながら、一時間、腕と脚を振り続けた。
郷田が帰ってからも、頼朝は一人で振り続ける。サンドバッグを叩くときは思いっきりやらず、鏡の前でのフォームをチェックしながらの素振りを多めにやれ、と言われていたので、鏡の前で無心に手足を振り続ける。
そういえば格闘技を習いはじめたせいで、めっきり『エアリアル・コンバット』にいく回数が減っている。
あんまり行かないのもまずいよな、とは思いつつも、夕食の前と後で自主練習していればゲームしている時間は自然と削られる。
身体を動かせば、筋肉が疲労して汗を流そうとシャワーを浴びれば、筋肉が緩んで気持ちがよくなり、寝てしまう。そもそも何が目的で強くなろうとしたのか忘れてしまいそうだ。練習をはじめて一週間も経つと、すっかり練習自体が目的になりつつある。
まあ最近は練習で疲れ切って早く寝てしまうこともなくなったので、夕食後に『エアリアル・コンバット』に行って見ることにした。ハンガーにほったらかしのベルクトも少し気になる。
無線カスクを頭に被ってエミュ空間に入る。
『エアリアル・コンバット』のロッカールームからぶらぶらと歩いてハンガーまで移動した。カマボコ型の建物に入り、自分の駐機スペースまでいって愛機を眺める。黒い機体は静かにそこで待っていた。
「小笠原くん?」
ヨリトモはおどろいて振り返った。そこにはフライトスーツを着込んだ女性のプラグキャラが居心地悪げに立っていた。
「え? もしかして吉川さん?」
ヨリトモは目をぱちくりさせた。
眼鏡をかけていないので、一瞬だれだか分らなかったが、よく見ればクラスで隣の席に座っている吉川真澄。『エアリアル・コンバット』では、頭の上にキャラ・ネームが表示されるので、そこに浮きあかった文字の『マスミ』という名前もヒントになった。
「……なにしてんの、こんなとこで?」ヨリトモは驚きつつも、なんかこの場に不似合いなマスミの姿に苦笑してしまった。クラスの真面目な女子生徒が、戦闘機に乗る格好をしているのだから、そりゃー面白い。
「いま検索したら、ここにいるの見つけたから」マスミはうつむいて言いにくそうに口をひらく。「ちょっとだけ、サンプルプレイで入ってみたの」
お互いにナンバー交換していれば、相手がどこにいるかは分かってしまうので、プライマリーのプラグキャラでは、そこを非公開にし、ゲームキャラで公開にするのが、普通のやり方だ。
「それ、吉川……」言いかけてヨリトモは一応周囲を見回した。ゲーム空間で相手の名前をいうのはマナーに反する。「そのマスミって、ゲーム用のプラグキャラ?」
「うん。これで『スター・カーニヴァル』にも行ったの」
「へえ。でもここは、戦闘機に乗るゲーム空間だよ」
「小笠……、ヨリトモくんは、『スター・カーニヴァル』に来る気ないみたいだから、ちょっとこっちから、押しかけてみた」
マスミはちらっと舌を出して照れくさそうに笑った。
「あ、いや、ごめん」ヨリトモは頭をかく。「ちょっとこっちのゲームとか習い事とか忙しくて。あ、そうだ。せっかく来たんだから、少し空を飛んでみる?」
「うん、いく」マスミは微笑む。
「ちょっとまって」
ヨリトモは操作盤で駐機スペースの機体を切り替えた。
ボタンを押すたびに二人の前に駐機している戦闘機がぱっぱっと姿を変える。
この辺りは非現実的でゲームとしてどうかと思うが、文句を言っても仕方ない。最近はゲームと現実の区別がつかなくなってしまう精神病も増えてきているらしいから。
何度かボタンを押してヨリトモはファントムを表示させた。こいつなら副座だから二人で乗れる。
「どうぞ」と促して、梯子からマスミを後部座席にのせ、自分は操縦席に腰を落とす。
「狭いのね」驚くマスミにシートベルトを締めるよう指示してヨリトモはエンジンをスタートさせた。
タキシングで滑走路へ出る。
先にランプに出ていたF15イーグルの離陸をまって、フルスロットルをくれ、アフターバーナーを噴かして上昇した。
うしろでマスミが「うわっ」と小さく叫ぶ。
「だいじょうぶ?」ヨリトモは後部座席を振り返る。
「うん」マスミは楽しそうに笑った。「こういうの、初めてだから。戦闘機ってすごいね」
ヨリトモは笑い返した。
高度をとり、周囲を確認する。敵機はいない。
「峡谷に下りてみよう」ヨリトモは機体を180度ロールさせて天地を入れ替えた。頭上に地面がある。
「え? えええええっ?」状況が理解できずにマスミが叫ぶ。
ヨリトモは彼女の悲鳴を楽しみながら、頭上の地面へ向けて急上昇。一気に地表にせまり、大地に穿たれた長大なクレバスに突っ込むと、さらにロールさせて機体を渓谷の中で水平飛行にもどした。
「なになに?」おどろいてマスミが四方を見回す。自分がどこにいるのか理解できてないらしい。
キャノピーの外は、左右から迫ってくるような岩壁。下は機体の腹をこすりそうなほどの近さに地表がある。
ヨリトモはフルスロットルでアフターバーナーを吹かし、最高速度までファントムをもってゆく。左右の岩壁が近づいたり遠ざかったり、うねった渓谷の底をヨリトモの駆るファントムがバカみたいな高速ですり抜けてゆく。
後部座席をニヤニヤとのぞくとマスミが身を硬くしている。
「おねがい、小笠原くん、前見て」泣きそうな声でさけぶ。
「だいじょぶだよ」ヨリトモは笑ってこたえる。「ここはいやってくらい飛んでるんだ。目をつむっても激突しない自信がある」
ちょっと広くなる場所でバレルロールをぶっぱなす。機体に螺旋を描かせて、絶えずコックピットが回転の中心方向を向く機動。普通はこんなこと、峡谷内ではやらない。マスミが無言で抗議するのが伝わってくる。
すかさず峡谷が左右に激しくうねるスネーク・ゾーンへ突入する。ヨリトモは素早く機体を左に90度傾け、傾け切らないうちに今度は右に180度もどしながら、操縦桿を引き続ける。
眼前に迫る岩壁が視界の外に吹き飛んでゆき、頭上から別の岩壁が迫る。
機体が回転して、迫ってきていた刃のような岩肌が横に流れ、ファントムの主翼が岩石を切り裂くように接近して抜けてゆくのを、マスミは驚愕の眼差しで見つめる。
「あれでも間隔は数十メートルあるんだ。一見ぶつかってるように見えるけどね」
ヨリトモは解説して高度をとった。
さっと周囲が明るくなって二人は青い空の中に上昇した。
マスミの肩からすっと力がぬける。
「いつもこんなことやってるの?」
「いや」ヨリトモは首をふった。「いつもはもっと激しいのやってる」
ひさしぶりに乗ったファントムだが、やはりこいつはいい機体だ。ヨリトモは愛しむようにスロットルレバーをそっと撫でた。
ベルクトよりも遅いし、動きも鈍重だ。視界も悪いし反応も鈍い。はるかに劣る機体だと理解できるが、それでもこれは自分にとって特別な機体であり、自分を育ててくれた機体でもある。
おれは少し勝つことにこだわりすぎていたのかもしれない。
ヨリトモはすっと腹の辺りから力が抜けるのを実感した。
アリシアとともに人形館と戦う決意をした自分ではあるが、しかし今の自分にできることといったら、結局ゲームをすることくらいしかない。人形館側に騙されてゲームするか、アリシアにたのまれてゲームするか。ただそれだけの違いだ。こんな小さな自分が気負いこんで踏ん張って、宇宙の何が変わるというのか? 無理する必要はないのではないのか?
自分はただアリシアの要求にこたえて、プレイヤーとしてあそこにもどるだけでいい。それ以上はできないし、やろうとして狂うことは間違いだ。
ありがとう、ファントム。ヨリトモは何か、自分が原点に帰れた気がして心の中でつぶやいた。
「もどろうか?」ヨリトモはマスミをふりかえった。「ごめん、乱暴な操縦しちゃって」
「ううん」マスミは嬉しそうに首を横にふった。「たのしかった。おどろいたけど、小笠原くんがうらやましい。あんな風に自由に空を飛べて」
ヨリトモはすこし照れつつ、ファントムをロールさせた。
頭上に地面がきて、それから操縦桿を引く。機首が地面の方をむき、一瞬一直線に墜落するように見えるが、そのまま引き起こして水平飛行にもどす。
降下する過程で速度がついて高度がかなり下がるが、その前に計器で確認してあるから、墜落するなんてことはない。
手早くユーターンするためのスプリットSという機動だ。
「で、でもね」マスミは早口に抗議する。「いまのは普通に右か左にまがっても良かったんじゃないの?」
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