第4話 追跡者と逃亡者

1 暴力


「おい、小笠原!」

 怒声をかけられ、びくっとして頼朝は振り返った。


 前回と同じ、昇降口を出たところ。松下大樹が三浦と酒井を従えて、鋭い表情で近寄ってくる。若干急ぎ足だった。


 虚をつかれた感じで頼朝が身を固めていると、松下は腕をのばし、頼朝の襟を摑んで締め上げた。


「おい、おまえ吉川真澄とは付き合ってないって言ったよな」


 いきなり襟を摑まれて目を白黒させた頼朝は返答できずに松下大樹を見上げる。相手の方が背が高いため、踵が浮いて爪先立ってしまう。


「付き合ってないなら、なんで昨日も一緒に帰ったんだよ」


 たしかに昨日は真澄と校門まで一緒に行った。しかしそれは校門まで歩いただけであって、二人で帰ったわけではない。


「おまえ、おととい、おれに吉川とは付き合ってないって言わなかったか? ああ?」

 ものすごい剣幕で松下が頼朝を詰問する。頼朝は頬をこわばらせて否定も肯定もできずにいた。


「おまえ、おまけに、この前いきなり石野を殴ってたよな。おい、いいかげんにしろよ。あんま嘗めたことしてっと、クラス全員でボコるぞ」


 松下は頼朝を投げ飛ばした。

 頼朝は土がむき出しの地面に倒れこみ、身を丸めた。口中に砂が入って苦い。起き上がろうと地面に手を付いたところを、再び松下が襟首を摑んで引き上げ、力任せに振り回して放り投げた。


 再び頼朝は地面の上に転がって、倒れこんだ。

 そばを歩いていた女子生徒の足元に倒れこみ、女子生徒が「きゃっ」といってよける。

 彼女は頼朝のことをまるで悪者を見るみたいな目で見下ろして去ってゆく。


 何人かの生徒がこちらを見ている。


 松下は腕組みして立ったまま、周囲に宣言するように大声でいった。

「いいか、小笠原、あんまフザケた真似してっと、こんなもんじゃ済まないからな。おれが許しても周りがタダじゃおかないぜ」


 松下は、三浦と酒井に「さ、こんなやつ放っといて行こうぜ」と普段通りといった声をつくって歩き去った。



 頼朝はのろのろと立ち上がり、制服の土を払った。地面にこすりつけた手のひらが泥で汚れ血がにじんでいる。そばの水道で手を洗い、ハンカチでぬぐう。


 スポーツバッグを肩に背負いなおし、校門のところで待っている郷田の脇までいった。


 いつものように仏頂面でドアをあけようとする郷田を手で制し、目線をあわせず後部座席に乗り込む。



 郷田はいつもと全く変わらぬ無表情で運転席に乗り込み、車を発進させた。



「ボディーガードのくせに、助けてくれないんだな」

 窓のそとを眺めながら、囁くようにつぶやいた。


 ちらりとミラーごしに頼朝を見た郷田は、低い声で答えた。

「助けた方がよかったですか?」


 ややあってから、頼朝はつぶやくように答える。

「いや」


 しばらく無言がつづいた。


「これでも、おれ、300人相手に戦ったこともあるんだぜ」ふと口をひらく頼朝。すこし自慢げな笑顔でミラーごしに郷田の目を見る。「……ゲームでの話、だけど」


 郷田はミラーごしにちらりと目を合わせ、運転に集中する。



「郷田はなにか格闘技をやってるの?」


「どうしてですか? 坊ちゃんも格闘技を始めてあいつらをやっつけるつもりですか?」


「いや、もう少し上手に投げ飛ばされたいな、って」

 このとき郷田が声をあげて笑った。頼朝は郷田の笑い声を初めて聞いた。


「じょ、冗談だよ」あわてて頼朝は訂正した。「本当は、仕返ししたいなって思った。でも基本的に強くなりたいってのもあるんだ。喧嘩がとかもあるだろうし、それ以外にも、なんていうのか、自分自身を鍛えて強くなりたいって、思ったんだ」


「それは別に不思議なことじゃありませんよ。男は、最近は女も、みな強くなりたいと考えます。若い頃の自分もそうでした」


「うん……」

 頼朝は口ごもった。


「お母様に話して空手の道場に通いたいとでも言えば……」


「郷田はなにをやってたの?」


「え? 自分ですか?」郷田はちょっと照れたような顔をしつつ交差点の信号を確認した。「……自分は徒手空拳格闘術ってのを少し、昔の職場で教えられました。その前にキックボクシングと、いまの仕事を始める前に外国を放浪した時期がありまして、そこでムエタイをほんの少し」


「ぼくに教えてよ。月謝はちゃんと払うから」


「坊ちゃんが? それともお母様が?」


「あ」頼朝は自分の顔がかっと赤くなるのを感じた。思わず叫んでしまう。「ぼくが! で、いくら、くらい?」

 郷田はまた声をあげて笑った。


「いいでしょう。早速明日からはじめましょう」


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