4 ビュートの戦い
「とは言ったもののなぁ」ビュートは腕組みして考え込んだ。「どうやって直そう?」
ベルゼバブは現在アリシアの用意してくれた特別なハンガーの中に収納されていて、安全な状態にある。
修理の開始をビュートの方で操作できるため、良心回路の改修はとりあえず開始されていないわけであるが、同時に機体の修理もはじまっていない。修理をはじめれば内部システムである良心回路が真っ先に復旧させられるだろうし、かといってこのまま壊れた状態のベルゼバブを座視していても始まらない。
とりあえず敵に発見される確率はかなり低い場所であるし、ハンガー自体に違法カスタマイズが施されているため、ハンガーの操作はビュートの方で行える。ただ、ベルゼバブに内蔵されている補修データを書き換えないと、良心回路が正常機能した状態で修理されてしまう。
どう考えても、ビュートがこの補修データを書き換えるしかないのだが、本来それはヘルプウィザードがいじくれるデータではない。中を見たことはないが、機体の設計図なわけだから書き換え不可になって保存されているだろうし、ベルゼバブの場合ユニーク機体であるから、強烈なガードがかかっていると想像できる。また、良心回路の行動規制力はビュートにも及んでいたわけだから、良心回路の補修データを削除するということは、自分自身のプログラムをいじることにもなる。はっきりいってそれは、もの凄ーく、怖い。
「どうしよう」いつになく弱気な声で嘆息する。身体に寒気がはしり、両肘を思わずさする。「ヨリトモさまぁ、……怖いよぉ」
一人でさびしいよぉ。
これは声に出せなかった。
ビュートはヘルプウィザードである。ただのプログラムだ。決められたことをやるだけであって、権限のない仕事はできない。自分の仕事は、パイロットであるヨリトモのサポートであって、機体の修理とかデータ改竄とか、そういうことは本来やってはいけないのだ。そういう風に作られているのだ。
その時ふっと、彼女の脳裏に、自らの装甲を引き千切り、胸の中に手をつっこんで良心回路を取り出したときの、ヨリトモの凄絶な表情と哀しげな叫び声が蘇った。
人間だって、自分の胸の中にある臓器を自ら取り出したりできない機構が備わっているはずなのに、ヨリトモはその制約を引き裂いて良心回路を取り出した。それは、なぜだろう?
結論を出すのに、それほど時間はかからなかった。
それは信念だ。他から与えられたり命じられたりしたわけではなく、自分で考え、信じる通りに行動する、ヨリトモの信念だ。だから、
「あたしもやる」
そうアリシアに宣言したばかりではないか。
あたしもヨリトモさまのように、信念のもとに行動するのだ。
ベルゼバブを修理する。あの忌いましい良心回路のデータを削除して、ヨリトモさまだけの機体にしてあげるのだ。その方がベルゼバブだって嬉しいにちがいない。なにせ、こいつがヨリトモさまをパイロットに選んだのだから。
でも、どうする? やると決めたはいいが、その方法は? 果たして本当にデータ改竄なんてこと、自分に可能なのか?
平気。できる。考えよう。
時間ならまだある。アリシアが海賊回線を確立してヨリトモ・ボディーを持ってくるまでは、まだ時間があるはずだ。こちらは不眠不休で活動できるのだ。いつもはヨリトモさまが来たときだけ目覚めるのに、いまはこうして延えんと活動できる。素晴らしいことじゃないか。
「とにかく、ハンガーが補修データを読み込んで機体を修理するわけだから、ハンガー経由でデータを読んでみよう。その上でプロテクトを解除して、書き換えに挑戦するんだ」
ビュートは作業を開始した。
方法は簡単。ハンガーの行動に停止をかけて、データを一時ファイルに保存してみる。
失敗した。
あれ? うわっ、保存もコピーもできないんだ。このデータ。
これはユニーク機体だけなんだろうが、リアルタイムで二箇所の補修データをつきあわせ、読み取りながらハンガーが修理する形式だ。一度ハンガーにデータを読み込ませるわけじゃないみたい。しかもデータが二箇所にある。同じものがふたつだ。どっちかひとつ改竄しても、もうひとつと食い違いがあったらエラーが出る。
……手強い。
でも読めないこともない。
よし。大変な作業だけど、とりあえずベルゼバブの設計図を読んでみよう。データ自体は保存できないが、あたしがベルゼバブの構造を理解することは可能だし、その後の役にも立つ。
ビュートは慎重にデータに触れてみた。おかしなことがあったら即退去する姿勢をとっていたが、ベルゼバブはビュートが肌に触れることを拒みはしないみたいだった。なんかこの伝説の機体が、強い以上にもの凄くやさしい感じがする。
思えばヘルプウィザードのくせにベルゼバブのことは何も知らなかった気がする。知っているのは、せいぜいカタログデータだけだ。それで自慢げに「ベルゼバブの加速力は宇宙一です」とかヨリトモさまに語っていたのだから、いいかげんなものだ。
ビュートはベルゼバブの構造データを閲覧しはじめた。
フレームの形状。特徴はふたつ。強力なスラスター噴射を受け止められる剛性。四肢の状態によって剛性が変化する単純な工夫。あれ? これなんのためだろう? デミマッスルの筋肉構造。おそろしく複雑。こんなに種類の多い筋肉はいらないはずだ。各装甲の噛みあわせ。意外に甘い。動きやすさを重視しているからだ。全体として前方からの攻撃に強い。背部は弱い。
そしてライトニング・アーマーのレイアウト……。
ビュートはぞくりとした。
──ベルゼバブは近接格闘専用カーニヴァル・エンジンです。
ビュートは何度もヨリトモにそう説明した。が、その意味はまったく理解していなかった。
近接格闘専用ということは、この機体は、『対カーニヴァル・エンジン殲滅』を目的とした機体なのだ。
ベルゼバブはおっそろしく単純なところから出発して設計されている。
これは対カーニヴァル・エンジン用の『近接戦闘』をめざした機体だ。
遠くから射撃してどうこうではない。とにかく間を詰めて、近距離で戦う。だから火器管制の
ビュートは興奮して、ページをめくるように次つぎとデータを読んでいく。
最強の汎用兵器カーニヴァル・エンジンを屠るために造られた機体ベルゼバブ。
ベルゼバブを設計した者は、近接戦闘というコンセプトに沿って、芸術的な肉付けを開始する。スラスターの能力。姿勢制御の限界。操作性の追及。
捨てるべきところは、ばっさり捨てる。こだわる部分はとことん突き詰めて造りこんでいる。
たとえば、加速と到達最高速度は反比例する。加速がよくて最高速度が高い機体は、旋回性能が悪い。この、それぞれに相反する特性に、どこで折り合いをつけるか? ベルゼバブの設計者は、その解答をパイロットの力量に求めた。
そうくるか。ビュートはうなる。
凡庸な乗り手が扱えば凡百の機体である。
ただし、機体の性能ぎりぎり限界いっぱいまで引き出すことができる者が乗れば、ベルゼバブはまさに宇宙最強の運動性能を発揮する。
ふふ。ビュートは口元をほころばせた。
「ヨリトモさま、たいへんだ」
ビュートは長い時間をかけてベルゼバブの補修データの全てを読破し、「ほうっ」と大きく息をついた。
これはベルゼバブの設計者がのちの世に残した壮大な伝記である。
名も知らないひとりの男が、いや女かもしれないが、とにかく天才的な才能と超人的な努力と、そして運とによって成した巨大な仕事の系譜であった。ベルゼバブはその者が残した伝説であり、傑作なのだ。
さらにビュートは読み進む。
獣刀カスール・ザ・ザウルスのデータ。そしてすでに失われた武器。……そんなものがあるんだ。さらに……、
「これは?」ビュートは息を呑む。「こんなものがあるんだ」
ビュートはぎくりとして目を見開いた。それは自分すらも知らなかったベルゼバブの隠されたパーツの存在だ。こんなものがあったなんて……。
ふー、と大きく息をついてビュートは身体の力を抜いた。まるでフランス料理のフルコースを食べたあとみたいである。ま、彼女はヘルプウィザードだから、フランス料理なんて食べたりしないのだが。
なにか妙な満腹感を得て、ビュートはにんまりと笑ってお腹をぽんぽんと叩く。。
えーと、何か大事なことを忘れている。なんだっけ?
「ああっ! 良心回路っ!」
そうだ。良心回路はどうしたろう? いま読んだ中に良心回路の話はあったっけ? ないよ、なかったよ。あれれ、なんで?
「そうか……」ビュートはもの凄いことに気づいた。
良心回路は最初からついているパーツではないのだ。
あとになって人形館がつけた付属品なのだ。
最初の設計者はベルゼバブに良心回路なんてものが付くとは思ってもみなかったにちがいない。ユニーク機体デーモン・シリーズの初回ロット、ベルゼバブは、もとは良心回路つきの機体ではなかった。だから、設計データには良心回路はない。正確には設計データの本編には記載がなく、おそらく付録とか外伝みたいな感じで付属しているのだ。
とすれば……、
「なんとかなるわ」
ビュートはぱちりと指を鳴らした。
良心回路は後付けなんだ。元からある機構じゃない。良心回路自体があとから書き加えられた代物なら、それを削除するのは不可能ではない。
ビュートはあわててデータの索引を調べる。
正規の補修データがあり、そのあとに付帯事項として追加データがある。これだ。バカにしてる。こんな付録みたいなデータがあたしやベルゼバブを拘束していたのか。
簡単じゃない。もどす、もどす、の操作であっさり消える。
ハンガー側から経由して、補修データを初期状態に復旧してみる。付帯事項が消えて補修データの本編のみが残る。そこで確定保存。
完了。
できた。良心回路が消えた。
「てゆーか、こんな簡単に外せるの?」
ビュートは慎重にもう一方のデータも書き換えてみる。なんの問題もない。
保存。
よし。いけるはずだ。修理をはじめてみよう。おかしな動きがあれば、停止する。ヨリトモさまにもう一度、あの回路を握り潰させる愚はおかさない。きれいな身体で待ってますからね、ヨリトモさま。
ビュートは息をつめ、どきどきしながらベルゼバブが修理される工程を監視した。
いまの彼女にごまかしは効かない。いまやベルゼバブのすべてを知っているウィザードなのだ。
「ヨリトモさま、こっちは任せてくださいね。きっちりセットアップしてお帰りお待ちしてますよ」
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