2 呉越同舟(ちなみに孫子は呉である)
ヨリトモがアクセスしていたテロートマトンが気を失ったようにばたりとシートの中で力を失ったときの、ビュートの取り乱しようときたらなかった。
ヨリトモは唐突にがくりと首をおり、絶命した人のようにその手が操縦桿から落ちた。シートからずり落ちかけた身体が、ベルトに引っかかって止まる。
「ヨ、ヨリトモさまっ、ヨリトモさまっ!」ビュートの呼びかけは悲鳴に近かった。
「黙りなビュート!」アリシアは鋭く叫び、わーわー泣き叫びはじめたビュートを叱咤した。「あんたには今、やらなきゃならないことがあるんだ。ここでミスったら、ヨリトモは二度と戻ってこれないぞ。おまえがやらないと、本当にヨリトモは死ぬぞ!」
ビュートはびくっと身を震わせて黙った。アリシアの声に驚いたからではない。彼女の口にしたヨリトモの死という単語が、パニックに陥ろうとする彼女を引き止めた。
そして、きっとした目で画面の中からアリシアを睨みつけてくる。
「エッドール、あんたいい加減なこというと容赦しないわよ」
エッド―ルとは、アリシアの本名である。つまらないこと、覚えてやがる、このヘルプウィザードは。
「その名前で呼ばないでよ」毒づきつつも、アリシアはほっと安堵した。
現在彼女たちは、第六艦隊旗艦ユリシーズの格納庫にいる。
理由は、この艦には一部の上級プレイヤーやオフィシャルから招かれたビジター用のハンガーが多いため、人が少ないのだ。敵に接触する可能性が極めて低い。
まあ、見つかったとしても艦内だから、敵は攻撃してこられないのだが。
「いい? ビュート。ヨリトモがもどってきたときには、このテロートマトンが必要になるわ」
アリシアは、ヨリトモの
アリシアたちの力では、テロートマトンを一から作り出すことはできないから、これは貴重な物なのだ。
そしてヨリトモが地球からここへアクセスしてくるには、ヨリトモの惑星にあるシンクロルから、直接ベルゼバブへ海賊回線を開くしかなかった。
「ヨリトモをもう一度、この世界に呼ぶために、まず初めにあたしが手に入れなければならないものはなんだと思う? ビュート、それはあんたの協力なの。わかる? ヨリトモをここに呼び戻すためには、あんたの力がいるのよ」
「ふん」ビュートは頬をふくらませてそっぽを向いたが、「不本意ながら理解できるわ。あんたは嫌いだけど、ここは共通の目的のために呉越同舟といこうじゃないの。ちなみにあたしが呉だからね」
ほっと一安心したアリシアは、ヨリトモの身体をシートベルトから開放した。彼の身体をシート後部の空間に押し込め、シートに腰を下ろす。
「ちょっとあんた何してるの?」ベルゼバブのコックピットについたアリシアを、驚いた顔で見つめてビュートがたずねる。「まさか、あんたが操縦するってんじゃないでしょうね?」
「他にいないでしょ?」
「ちょっと冗談はやめてよ」ビュートの頬からすっと血がひいた。「これはユニーク機体にして、デーモン・シリーズの弐号機『ベルゼバブ』よ。そんじょそこらのレア物とは格がちがうわ。乗り手を選ぶ機体なのよ。あんたなんかに操縦桿握らせるくらいなら、舌噛んで死んだほうがマシだわ!」
「それなら、それでいいけど」アリシアはベルトで身体を固定して、腕組みした。「で、いつまでここにいるつもり? ヨリトモが戻ってくるまで?」
うぐっ。ビュートがそんな感じの嗚咽をもらした。ふふふ、かなり痛いところにヒットしたらしい。アリシアはちょっと意地悪な気分になって目を閉じた。
ユニーク機体のプライドとヨリトモに対する想いの間でいまビュートは葛藤している。しかしアリシアには確信があった。このビュートは絶対に折れる。
数秒して、あのくらくらする独特の感覚がアリシアの脳を軽くゆすった。神経接続が開始されている。
「とっとと始めましょ」ビュートは何か吹っ切れたような爽やかな声で告げた。「注意して。グリフォンのつもりで踏むと、向かい側の壁に突き刺さるから」
「素人あつかいしないでちょうだい」アリシアは口元に笑みを浮かべた。「こう見えても、天才と呼ばれた女なんだからね」
アリシアはゆっくりとベルゼバブを前進させた。異様に機体が軽い。注意しないと飛び上がってしまいそうだ。
側面の隔壁に歩み寄り、力任せに鋼板を引き剥がす。支柱を引きちぎり隔壁構造をかき分けてひとつ隣の格納庫まで穴をあける。たしかに腕力ひとつとっても、グリフォンとは段違いだ。ヨリトモのやつ、こんなもの凄い機体をぶっつけ本番で動かしてたのか?
ビュートに気づかれないよう、アリシアは密かに舌をまいた。
カーニヴァル・エンジンの母艦には全く知られていない格納庫がいくつもある。そこには特殊攻撃艦やミサイル巡洋艦などといった比較的小型の艦載艦が収納されていて、実はこれはカーニヴァル・エンジンのような認証は全く不要で操縦することができる。
ただこれらの格納庫に至るルートは普段完全に隠蔽されており、通常のプレイヤーの目に触れることはない。アリシアの操縦でベルゼバブはこの秘密格納庫に力づくで侵入すると、比較的小型で鮫のように細身な一隻の快速艇に向かった。
外部のアクセス・スイッチを操作して、ベルゼバブを快速艇の格納庫に踏み込ませる。比較的小型の快速艇といっても、カーニヴァル・エンジンを三機搭載して航行することが可能なため、大きさとしてはかなりのものだ。
快速艇のデッキに入ったとたん、アリシアはベルゼバブをその場にしゃがみこませた。
全身から汗が噴き出している。ほんの少し歩かせただけなのに、恐ろしく消耗した。
ベルゼバブが直接どうこうという話ではない。ただ歩かせるだけなら、子供にもできる。ただ彼女はこの機体が隠し持つ巨大なポテンシャルを本能的に感じて、激しく消耗した。
「平気?」ビュートが驚いてたずねるが、悔しいのでアリシアは「ちょっと疲労がたまってるみたい」とごまかした。
「早くハンガーに入れてよ。お腹の穴を修理したいの」ビュートが催促するが、アリシアは一笑にふした。
「なにバカなこといってるのよ。ハンガーに入れれば、自動的に修理が始まるわ。そんなことをすれば、お腹の穴もろとも、左胸の良心回路まできっちり修復されちゃうわよ」
「あ……」ビュートが口に手をあてる。「でも、じゃあいったい」
「すべてのカーニヴァル・エンジンがそうなんだけど、データベースの中に各機体の詳細な補修データが保存されているの。つまりカーニヴァル・エンジンの設計図ね。それを書き換えて、良心回路の部分を先に削除する必要があるわ。少し解析に時間がかかるけど、これはあたしがやるより仕方ないと思うの。もちろんあんたにも協力してもらうけど、まずは安全な場所に逃げる必要があるわ。ビュート、あんたこの状態で快速艇と戦術リンクを開設して、あたしの航法サポートをお願いできるかしら?」
「ええ、もちろん、それくらいは容易です。でも、安全な場所って、この近くにあるのは……」
「惑星カトゥーンしかないでしょうね。だいじょうぶ。上空からのスキャンでは見つからない秘密のポイントがあるのよ。そこに引きこもって不正アクセスやらチート・コードの準備をする時間はあると思うわよ」
アリシアはベルゼバブのコックピットから出ると、快速艇の操舵室まで移動した。
快速艇といっても全長1000メートルに及ぼうかという艦であるため、自走路を使っての移動だが、多少の時間がかかる。アリシアはこの時間を少しでも短縮するため、自走路の上を走った。
アリシアがブリッジに入るころには戦術リンクで接続したビュートが、操舵席のサブモニターで退屈そうに待っていた。
「どうしよう」少し息を切らせながらアリシアはいった。「走りながら計算したんだけど、どう考えても時間が無いわ。この艇の隠し認証を洗いなおして良心回路やスパイウェアを削除する。ヨリトモのプラグキャラをこちらのラインで接続確立する。ベルゼバブの補修データを解析して書き直す。これを第六艦隊が移動するまでに行わないといけないの。とてもあたし一人じゃ間に合わない。艦隊が移動してしまうと、今ヨリトモとあたしたちを繋げている唯一のラインが消失することになるわ。艦隊はサーバメンテナンスと称してリニア・ドライブに入るんだけど、おそらくその後掃討艦隊が到着して、この惑星表面は完全に焼き払われるから、こっちもとっとと逃走しなきゃならないし……」
アリシアは苦悩の表情を浮かべながらも、快速艇の起動行程を手早くすすめていく。
ビュートも「うーん」とか口をまげて困った顔をしているが、アリシアの知るどんなコンピュータよりも速い速度で軌道計算を終わらせてきた。
「なんかいいアイディアある?」
「あたしに聞くの?」ビュートは目を丸くした。「えーと、こういうときってヨリトモさまなら、どうするだろう? あの人はいつも誰も思いつかない方法を思いつくから……、あ、そうだ、仲間を呼ぶってのはどうです?」
「いないわよ。みんな死んだわ」
「でも広い惑星上には一人くらい生き残ってるかも」
「探している時間はないし、そんなことすればこっちがキャッチされちゃう」
「じゃあ、あたしがやります。ベルゼバブの修理はあたしが責任もってやり遂げます」
ビュートはきっぱりと言い切った。
「なに言ってるの。ヘルプウィザードが補修データにアクセスして改竄する権利なんて与えられてないでしょ。どうするのよ?」
「やります。絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対……」そこで息が切れたらしく、おおきく吸い込んでビュートはつづける。「絶対絶対絶対絶対絶対絶対──」
そこからかよっ、とアリシアはがくっとずっこけてから、ビュートが、
「──絶対絶対絶対絶対絶対やります」
と言い切るのを待った。
最後の「やります」はやはり息がつづかなくて喘ぎに近かった。
「わかったわよ」うんざりとアリシアは答えた。「じゃあベルゼバブの修理はあんたに任せるわ。でもハンガーに入っちゃったら問答無用で補修がはじまるから、準備が整うまで修理を開始できないわよ。となると、ベルゼバブを隠す場所が必要ね」アリシアはすばやく候補地を記憶の中から検索した。「そうだ、あそこがいいわ。いい? ビュート、あたしはあんたのそばに居られないけど、ベルゼバブの修理、一人でちゃんとやれる?」
「任せてください」ビュートはどんと胸を叩いた。「ベルゼバブは宇宙一の機体なんです。ヨリトモさまはそのベルゼバブに選ばれたパイロットなんです。だから、だから、あたしもそれに相応しいヘルプウィザードでいたいんです。ヨリトモさまみたいに、こうありたい自分ってのがあるんです。だから絶対にやり遂げます」
「頻繁に連絡とるってわけにいかないけど、艦隊出発前にこっちはヨリトモがアクセスできるように準備したヨリトモ・ボディーを、必ずあんたのところに届けるわ。だからあんたは、ヨリトモのためにあいつの機体を完全な状態で仕上げとくのよ。約束の時間にヨリトモは絶対アクセスしてくるから」
「はい」画面の中でビュートの目がアリシアをまっすぐ見つめていた。
不思議なウィザードだとアリシアは思った。
「行き先を変更するわ。航法よろしく。変なスパイウェアが動いてないかチェックしてね」
「良心回路の起動を確認。簡易航法プログラム始動します。反物質タンク、エントリー。対消滅炉始動、正常を確認。ウォールアーマー展開。行けます、アリシア。ロックアーム、リモート解除、隔壁開きます」
アリシアはH字型の操縦桿をにぎり、両サイドのスロットルを開いた。両舷微速で快速艇を前進させ、前方に見える円筒状の射出チューブにゆっくりと艇体を滑りこませてゆく。
快速艇の良心回路が作動しているので、敵に発見される心配はない。
とにかく時間との勝負だ。ヨリトモと彼のウィザードを信じて、自分は自分のやるべきことに集中するしかない。
ビュートがベルゼバブを用意する。
あたしはヨリトモのプラグキャラと接続環境を用意する。タイムリミットは第六艦隊が出発するまで。
それまでに、ビュートじゃないが、絶対絶対絶対、間に合わせる!
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