2 SU37ベルクト


 電話番号はだいたい一人ひとつは持っているものだ。携帯カード端末の通話番号に使ったり、モバイル・ルーターの接続番号につかったり。そして、それらの番号は、『ボイド宇宙』では、個人認証に使われる。プラグキャラのツールに、この番号を登録することは、いわゆるフレンド申請をするということなのだった。



 もらったカードを見つめながら歩いていると、いつのまにか校舎を出て、校門手前の車寄せまできていた。

 運転手兼ボディーガードの郷田が立つジャガーの前まで来てしまっている。だまって郷田が後部ドアを開けてくれた。


「あのさ」頼朝は毎度の仏頂面の郷田に声を掛けてみる。「この、ドアを開けてくれるの、やめない? なんかお嬢様みたいで、格好悪いよ」


「そうですか」郷田は低い声で答える。そういえば、お互い話すこともないから、声を聞いたのはこれが初めてかもしれない。「研修で、やれと言われたのですが」


「ケース・バイ・ケースじゃない?」


「そうですか。では、次からはやめましょう」


「うん」


 なんかお見合いしている男女みたいなぎこちなさで、二人して車に乗り込む。



 家の車寄せに停車すると、素早い身のこなしで降車した郷田が、いつもの癖で後部ドアを開けにくるところを、頼朝はあわててシートベルトを外して身を起こし、ドアを自分であけた。


 はっとなった郷田が、慌てて伸ばした手を引っ込める。

 ゴホンとわざらとしく咳払いして降車した頼朝は、ドア脇で直立不動の郷田に、敬礼した。

 郷田が反射的にぴしりと敬礼を返し、あっという顔で表情を歪める。頼朝は逆に、郷田の敬礼があまりに様になっていたので、びっくりして目を見開いた。

 が、なにも言わずに玄関に行く。


 家に入ると、靴を脱ぎ放ち、そのまま階段で三階まで。

 制服の上着を椅子の背もたれに放り投げて、ワークステーションを起動。無線カスクをとりあえず頭に乗せながら、寝台に腰かける。

 真澄にもらったメモはとりあえず保留にしておいて、そのままボイド宇宙に接続した。


 仮想空間で、アバターである頼朝のもうひとつの肉体、プラグイン・キャラクター『ヨリトモ』がロードされる。ホームをすっ飛ばして、ショートカットでゲーム空間『エアリアル・コンバット』へ。



 日本の時刻ではそろそろ夕方という頃合いだが、『エアリアル・コンバット』のエミュ空間では明け方。朝焼けが美しい時刻だ。


 ヨリトモは、冷たい風が渡ってくる砂漠に、唐突にぽこぽことあるカマボコ型の格納庫の列を歩いて、自分のハンガーまで移動する。決められた自分の場所、赤い線で区切られた長方形の中に、黒い機体が静かに羽を休めていた。

 一見ステルス機かと思うような黒いボディー。丸いノーズ。二枚の垂直尾翼。そして、特徴的な、前へ突き出した前進翼。ロシアの試作戦闘機スホーイ37ベルクトである。


 ヨリトモは『エアリアル・コンバット』では、ずっとF4ファントムⅡにこだわって、どんなに負け続けてもあの機体を降りようとはしなかった。が、いまは違う。考えを改めたのだ。


 いまヨリトモがここでやるべきことは、こだわった結果の負けではない。なにがなんでも勝ちに行く。そういうスタイルの追求だ。


 自分はいつも、ゲームの中に強いこだわりを持ち込んでいた。それを信念といえば聞こえはいいが、そこにこだわって負けることも厭わないプレイスタイルだった。だが、それではいけないのだ。


 つぎに自分があのコックピットに入る時、それは絶対に負けられない戦いの始まりだ。


 自らのスタイルを貫いて、その結果負けてもいいなどという甘い戦いではないのだ。なぜならば、あれは本当の戦争であり、侵略者から自由を守るための闘争であるのだから。

 つぎにあの『ベルゼバブ』のコックピットにもどったとき、ヨリトモはそれまでのヨリトモであるわけにはいかない。そのための準備として、ここでヨリトモは、絶対に負けない戦いの訓練をしているのだ。



 ヨリトモは梯子ラダーに手を掛けると、いっきにコックピットまでよじ登る。計器に囲まれた狭いコックピットに納まり、スホーイ37ベルクトのエンジンをスタートさせた。

 通信画面でフレンドの状態をチェック。どうやら現在モモタロウもレムリアも出撃中。空にのぼっているようだ。表示では交戦中となっている。平日の午後だってのに、すでにお楽しみ中というわけだから、ハードゲーマーは凄い。二人ともいい大人のはずなんだが。


 ヨリトモはヘルメットを被り、インカムのスイッチを入れた。


「ヨリトモっ! このバカっ! 早く上がってこい!」モモタロウの怒声。ひどい挨拶である。「敵襲を受けている。3対10なんだ。手が足りねえ!」


「おれが上がっても4対10じゃねえか」ぶつくさ言いながら、スロットルを開いて機をタキシングさせる。大きく右折させて、カマボコ型の格納庫から朝焼けに染まる空の下に出て、そのままフルスロットル。芝生の上を突っ切って滑走路から斜めに急上昇した。



 東雲の向こうに、いくつかの飛行機雲コントレールがのたくっている。たまに、機銃の曳光弾がぽつぽつとオレンジ色の光輝を空に飛ばしていた。


 最近、別の戦闘機ゲーム空間を運営していた企業がゲーム事業から撤退したため、結構人気のあったそのゲーム空間が閉鎖され、そこから流れてきたプレイヤーたちが『エアリアル・コンバット』に多数参加してきている。以前は過疎っていたこのエミュ空間も、だからいまは一時的な盛況を見せていた。


 おかげで、隣国からの領空侵犯や基地爆撃が増えて、古参のプレイヤーは嬉しい悲鳴を上げているところなのだ。


 ヨリトモは、モモタロウたち3機を囲い込むように追撃している10機の敵の背後からスプリット旋回で襲い掛かると、ミサイルを連射した。ベルクトが装備しているミサイルは8発しかないから、あまり無駄遣いはできないが、本来手馴れたパイロットたちの空戦では、ミサイルはほとんど使われない。ドッグファイトの主武器は機銃である。


 ヨリトモはミサイルを回避しようと急旋回に入る敵機を追って、機銃で2機を落とし、包囲されるのを嫌って急速離脱。が、3機のラプターが追ってくる。


 だが、振り切るつもりはない。

 距離をとって相手の特異なレンジで中距離ミサイルを撃たれたら厄介だ。ここは近接のドッグファイトで形をつける。


「モモタロウ、フォローに回ってくれ」ヨリトモは指示を出す。「レムリア、残りの敵の気を引いておいてくれるか? それと、タイガーさんかな?」


「シンでいいです」


「シンさん、初めまして」


「ははは、初めまして。挨拶している場合じゃないですけどね」


 ヨリトモは苦笑しつつ、高度を落とす。敵の3機は高い位置に占位して、降下からの加速でヨリトモのケツに食らいつくコース。後方斜め上、真後ろだ。


 位置を確認したヨリトモは、すばやく左コンソールのゲーム設定画面から、操縦アシストをオフすると、一気に操縦桿を引いた。


 突風に煽られた雨傘のように、ヨリトモのSU37ベルクトがその場で機首を跳ね上げる。直進飛行しつつ、仰け反るように機首上げするその角度、実に120度オーバー。

 空中で仰け反った状態で飛行する、常識ではありえないこの機動の名は『コブラ』。


 急減速したベルクトの上を超えて前に飛びだしてしまう敵の3機。そのオーバーシュートの瞬間を逃さず、ヨリトモはトリガーを引き、鞭のように撓って走った火箭が、2機の敵機を切り裂く。


 ぱぱっと火球が走り、黒煙を吹いて落ちてゆくF22ラプター2機。

 あまりにことに機首を揺らして安定を欠いた残りの1機を、上から被せてきたモモタロウのF18ホーネットが撃墜する。


「すっごーい」レムリアが歓声を上げる。


「ほら、見ろ」モモタロウがしてやったりとキャノピーの中でガッツポーズをとっている。「やっぱお前がくると、ツキがまわってくるのさ」


「バカいうな」ヨリトモはコブラ状態から機体を復旧させながら、口を尖らせる。「おれに4機も落とさせておいて、なにいってんだ!」


「ははは、でも凄いよヨリトモさん」シンが賞賛の声を上げる。「実戦でコブラなんて使えるんですね」


「使えねえよ、ふつうは」モモタロウが吐き捨てるように言う。「真似するなよ、レムリア」


「はぁーい」女の子の声で素直に肯定するのは、前に真似して酷い目にあった過去のあるレムリア。


「すでに、4対5だ。勝ちに行くぞ」ヨリトモはスロットルを全開にし、高度をあげる。「ビュート、残りの敵の編成を……、っと」

 言いかけて口をつぐむ。


 そう。この機体にビュートはいない。


「本当に4対10から、逆転できそうですね」

 シンが感嘆の声をあげている。


「まだまだ気を抜くな。絶対に勝ちにいくから」

 ヨリトモははっきりと宣言する。


 絶対に負けない。なにがなんでも勝ちに行く。それがいまのヨリトモのスタイルだった。

 なぜならば、今度あの『スター・カーニヴァル』に行ったとき。そのときは、以前のようにスタイルにこだわった負け方は許されないからだ。


 あそこは、リアルな戦場である。そこで負けることは、味方の死を意味する。だから、なにがなんでも、絶対に勝ちにいかねばならない。そのための練習を、いまここでしているのだ。


 待っていろ、ビュート。そしてアリシア。


 待っていろ、おれの機体ベルゼバブ。


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