……なにかが居る気がする

 

 先程、繭をしょっぴいてきた刑事、伊佐木順平いさき じゅんぺいは先輩刑事の沼田が繭と話しているのを聞きながらも、時折、取調室の隅の方に視線を泳がせていた。


 記録をとるために、角のデスクでノートパソコンを打っている可愛らしい女性警官が居るのだが。


 そのデスクに腰掛け、恥ずかしそうに、刀の先で、のの字を書いている小さな生き物が居る……。


 甲冑姿のおっさんに見えるのは気のせいだろうか。


 幻覚かな。


 ……幻覚だろうな。


 最近、寝不足だもんな。


 スマホのゲームアプリのせいで、と思う。


 忙しいときは早く眠ればいいのに。


 気分転換に、とか思って、ついつい、やりすぎてしまうのだ。


 目の前のことに、集中しなければ――。


 さっき、此処出身の年配の刑事、浜口に、

「あの山本繭ってやつ、長谷川代議士の息子の友達だからな。

 気をつけろよ」

と脅されたことだしな。


 っていうか、さっき、何故か庭先に立っていたのが、噂の長谷川環だよな、と思い出す。


 驚くような男前だった。

 身長があって、体格もいい。


 こんな街では、かなり浮いている存在だろう。

 でも、あれなら、女性はみんな投票しちゃうよなー。


 っていうか、横に居た美人が噂のほとりさんか。

 やっぱり、垢抜けてるっていうか。


 顔立ち以前に、ぱっと人目をひくものがあるよな。

 僕なら、緊張して口もきけないかも、とぼんやり思ったあとで、


 でも、さっき、あの人、なんか変なこと言ってたな、と思い出す。

 神様がどうとか言ってた気がするんだけど。


 あの家、寺じゃなかったっけ?


 美人が言ったのでなければ、おかしな人だと思うところだが、あんな美人が言ったのだから、なにか深い意味があるに違いないと思ってしまう。


『警察でどんな目に遭わせられても、いつも神様が貴方を見守っているから頑張って、繭』


 そうやさしく繭に微笑みかけるほとりは、伊佐木の頭の中では、何故か、クリスチャンになっていた。


 あんな人が居たら、通っちゃうな~、教会、と思っていると、もうのの字を書くのが飽きたらしいその生き物が、とっとっとっとっと、とデスクの上を走り出した。


 それに合わせて視線を動かす自分を、何故か、山本繭が窺っていた。





 こやつ、私は見えてないようだな、と伊佐木を見ながら、神様は思っていた。


 視線がノブナガ様を追い、今も、ちょろちょろと動いている。


 繭は、沼田の話に、のらりくらりと答えていて。


 その繭を、部屋の隅で、記録を取っている女性がチラチラ見ながら、

『繭さん、頑張ってっ』

という視線を送っていた。


 この娘御むすめごも繭の店の常連か?


 まあ、特に問題はなさそうだな、と思い、神様は、すうっとその場から消えた。






 繭のことを気にしながら、ほとりとミワが黙って、こたつに入っていると、いきなり、ひとり、こたつの住人が増えた。


「大丈夫そうであったぞ」

 突然、こたつに座って現れた神様がそんなことを言う。


「そうなんですか?

 繭、ムチで叩かれたりしてなかったですか?」

と言うほとりに、ミワが、


「どんな警察よ」

と言う。


「繭を好きなおなごが取調室におったし、ムチで叩かれたら、止めるであろう」


 一瞬、黙ったミワが、

「ちょっと祟ってくる」

と言って立ち上がった。


 どっちにっ? と思いながら、ほとりは止めた。

 ちょっと繭に声をかけただけで、未來も殺されかけたからだ。


「終わったらこっちに来るように言えばよかったわね。

 寒いから、あったかい鍋でも用意しとくのに」


「あんたが?」

「環が」


「……どうしようもない駄目嫁ね」

とミワが言う。


 ええ。

 前の結婚でも、今の結婚でも、変わりなく、その一言だけは言われ続けております、と思いながらも、まだ、ほとりはこたつにしゃがんでいた。


 そういえば、この間、流しに皿を置いて、水を出しっぱなしにしてたら、皿が綺麗にならないだろうかとぼんやり眺めていたら、環に、しこたま怒られたっけ。


 そんなことを思い出していたとき、

「ただいまー」

と繭の声がした。


 みんなで慌てて玄関に走っていきかけたが、ミワが思い出したように、和室に脱ぎ捨てていた人形に戻る。


 どんな恥じらいだ……と思いながら、すりガラスの戸を開けると、広い玄関に繭と法衣姿の環が立っていた。


「帰りに拾って来た」

と草履を脱ぎながら、環が言い、繭が、


「取り調べは終わってなかったんだけど。

 環が、

『長谷川だが、繭を出せ』

 って署長に言ってくれたから帰れたんだよ」

と言って笑う。


「そんな言い方はしていない。

 そして、たまたま帰ってきたところで、署の玄関に署長が居ただけだ」

と環は言うが、環が、長谷川環ですが、と名乗るだけで、相手は脅されている感じがしたに違いない。


 しかも、この格好……。


 余計迫力あるよな、とほとりは環の墨染の衣を見た。


「名前変えられないんだから、仕方ないだろ」

と言う環に、


「じゃあ、うちに養子に来る?」

とほとりが笑って言うと、


「同じことだろうが」

と環の父と同じ職業のほとりの父を思い浮かべ、苦い顔をしていた。





「ひとり見える刑事が居たようだぞ」


 環たちもこたつに入ったので、神様は環の横で、少し狭そうにしながら言ってきた。


 いや、貴方、入らなくても寒くないと思うんですが。


 っていうか、他の人と被っても、邪魔にならないので、狭そうに入らなくてもいいと思うんですが、とほとりは思ったが、黙っていた。


 なにかこう、生きているような気分を味わってみたいのかと思って。


「だが、その刑事。

 ノブナガは見えるのに、私は見えてはいないようだったがな」


 そう神様が言ったので、ようやく思い出し、

「あれっ? そういえば、ノブナガ様は?」

とほとりが見回すと、環が、


「繭を連れて出てきた、伊佐木とかいう若い刑事の肩に乗ってたな。

 そういえば、あの刑事、不自然に真正面だけを向いていたが」


 もしかして、あの男か、と言ってくる。

 神様は頷いた。


 伊佐木という刑事は、おのれの肩に乗っているものを信じたくなくて、肩の方を見まいとし、不自然に真正面を向いていたのだろう。


「そうですか。

 でも、ノブナガ様、ひとりで帰ってこれますかね~?」

と神様に向かって言ったほとりは、環に、


「子どもじゃないんだぞ。

 おっさんだぞ」

と言われ、


「あー、でもまあ、また繭が呼び出されるわよね、きっと」

と呟いて、繭に、


「なんでそう決め付けるんだよ。

 もう勘弁だよ。


 僕、関係ないからねっ、ほんとにっ」

とわめかれた。


「ていうか、なんで、ミワ居るのっ」

と繭はほとりの斜め向かいを見て言う。


 そこには、人形のミワがこたつにちょこんと入っていた。


 全裸で……。


 繭が帰ってきたので、照れて、人形に入ったようだが。

 人形に入らなければ、いっそ、繭には見えなかったのにな、とほとりは思う。


 そのとき、ほとりのスマホが鳴り出した。

 今回の依頼人で、宅配業者の坂本からだった。


「あっ、坂本さん。

 お訊きしたいことが……」

と言い終わらないうちに、


『いやー、すみません。

 いろいろ巻き込んじゃったたみたいで。


 僕も今、事情聴取受けてたんですよ。

 今から、ちょっとそっち行っていいですか』

と坂本は言ってきた。




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