神を驚かせた男
「ただいまー」
と寺に戻ったとき、ほとりはなんだかわからないが、ぞわぞわっとした。
なんの気配だろうな、と鯛焼きの入った紙袋を手に、辺りを窺う。
霊なら、そこ此処に居るが、そんなもの、ぞくっと来る類いのものではない。
尻尾を振ってやって来たシロを構いながら、変だなーと庭先で周囲を見回していると、
「ふふふふふ」
と声がした。
……おっさんの笑い声だ。
ほとりが振り返ると、松の木の首吊り男が笑っていた。
「ほとりさん、ふふふふ……」
首吊り男は、何故か、笑って、その先を言わない。
「……なんなんですか?」
と不審げに見上げてみたが、いやいや、まあまあ、とよくわからないことを言うばかりだ。
なんだろうな。
怪しいぞ。
なにか面白がっている風なのだが。
霊が面白がるなんて、ロクなことじゃないに違いない、と思ったとき、
「今帰ったのか」
という環の声がした。
渋い顔で、本堂から出てきた環に、怒られる前に、はい、とほとりは鯛焼きの入った茶色い紙袋を差し出す。
「お茶にしよ? 環」
と微笑んだ。
側に来た環は、それを受け取りながら、
「また、繭のところに行ってたのか」
と言う。
鯛焼き屋は繭の店の三軒先だからだ。
「あいつ、まだ、自首しないのか」
と言ってはくるが。
早くに繭がミワ殺しの犯人だとわかっていたのだろうに、放置していた環が本気で繭の自首を望んでいるのか、よくわからない。
教え
あの蔵の中の物だって、美和さんに頼まれたからじゃなくて、単に、めんどくさいから、成仏させなかっただけなんじゃ……と思ったとき、
「あーっ!」
という叫び声が寒空に響き渡った。
神様の声だ。
えっ? 何処から?
とほとりは周囲を見回す。
「また、あの神様か。
少し声が反響してたから、蔵じゃないのか?」
と言って歩き出す環の後ろをシロと一緒について歩きながら、
「……神様も叫ぶんだ?」
とほとりは苦笑いした。
いや、まあ、あの神様はよく騒いでいるのだが……。
あーっ! と神様は叫んだ。
暗がりの隅にしゃがんでいるものが居たからだ。
霊ではない。
霊ならなにも驚かない。
生きた人間が
あー、びっくりした。
何故、この者はこんなところにしゃがんでおるのだ?
と姿が見えていないのをいいことに神様が覗き込もうとしたとき、
「神様ー?
どうかしましたかー?」
とほとりが現れる。
すると、その人影は、すすすすすっ、と更に奥へと入り込んでいった。
「神様?」
と少し扉を開け、呼びかけてくるほとりに、神様は、無言で行李の向こうを指差した。
ん? と覗き込んだほとりが、けたたましい悲鳴を上げる。
そこに男がしゃがんでいるのに気づいたようだった。
「出たーっ!」
「出たーってなんだーっ」
と立ち上がった男が、ほとりに向かって、叫び返す。
「ほとりっ」
と環が駆け込んできた。
そんな環の姿を見た男は、今度は環に向かい、叫び出す。
「お前がほとりの新しい夫かっ」
「なに、その言い方っ。
なんか人聞き悪いわよっ!」
揉め始める二人に、環はそれが誰だかわかったようだった。
「……お前が
環が大きく扉を引き開けたせいで、男の姿が見えていた。
恐ろしく整った顔の男だ。
だが、垢抜けてはいるが、何処か無骨な環とは違い、その服装も雰囲気もなんとなく気障ったらしい感じがする。
ほとりの手をつかんだ環は、彼女を外へと連れ出しながら、
「よし、ほとり、鍵をかけろ」
と言う。
「此処は、いわくつきの物を閉じ込めておくのにいいところだからな」
そう言う環たちを、
「待てこらっ」
と和亮が追いかけていく。
だが、薄暗い蔵の中は物がいっぱいなので、慣れている環のように、簡単に前へは進めない。
先に外に出た環は、本当に蔵の扉を閉めようとした。
少しだけ隙間を残し、そこからこちらを見て、和亮に言う。
「俺はある人に、此処にあるものは成仏させるなと頼まれてるんだ」
そこでじっとしてろ、と扉を閉めた環に、和亮が叫ぶ。
「俺はまだ生きてるだろうがーっ!」
此処に閉じ込められたら、違う意味で成仏するだろーっ、という和亮の声は聞かずに、環は外で叫んでいた。
「ミワッ、繭っ、神様っ。
不用意に蔵の扉を開けるなっ!
おかしなモノが入り込むだろうがっ」
神様は、霊と人間とひとまとめに怒られてしまった。
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