第2話
何よりも自分の命を守るよう教えられてきた。
お前は命を狙われる運命にある。
輝かしきその血が巡っているおまえ自身のその命を、なんとしても守り通せ、と。
お前の命を害するものは悪だ。
そんな悪は、罰せられて当然の運命である。
おまえを襲い来る者すべてを撃ち返してしまえ。
と、そう教えられてきた。
だからこれまで、ずっとその教えの通りに生きてきた。
ナイフを向けるモノにはそれよりも素早い反応で心臓を一突き。
ピストルを向けるモノにはその腕を掴んで反転させ、そのこめかみに銃口を突き付けた。
そう、それが正解だったはずなんだ。
それなのに。
いつからだろう、相手を殺すのがツラくなってきた。
ただ殺すことを命じられ、素直にそれに従っただけの男たち。
まだ二十歳にもならないような瑞々しさの残る少年も。
五十を過ぎたような渋味を身に纏った熟練の男性も。
本来の命令を実行に移すよりも前に、その命を散らしてきた。
いくつもの命を奪いながら思う。
「これは、なんの茶番だ?」
命を守るために命を奪うとか。
命を奪うために命を生かすとか。
それに、なんの意味がある?
そんな様を具に見つめてきたこの目は、いつしか何も映さなくなった。
春の花も、夏の光も、秋の風も、冬の雪も。そんな柔らかな色合いに、この目は何一つ反応しない。
ただ感じるのは、暗殺者の息遣い。
血に飢え、名声に飢えた者たちの、果てしない欲望のなれの果て。
流れる暗殺者の血は、獲物を前にドクドクと激しく己を主張し始める。
血が沸騰する気配を感じとり、この手は静かにナイフをつかむ。
ああ、また、命を刈り取らなければならない。
そこまでして、この命は守るべきものなのか。
他者の生を根こそぎ奪っていく、そんな能力しかない自分は、そこまでして存在しなければならないものなのか。
思い悩む間も、目の前には美しかったはずの命の残骸が散らばっている。
この無惨な細切れが、命の果てだ。
自分のこの手が、この地に輝くべき命を無惨に切り刻むのだ。
それに気付いたとき、自分自身の命を激しく後悔した。
襲い来る者たちよりも速く、無駄なく立ち回れる自分の能力を、心底恨んだ。
「この命に存在の意味はある?」
そんなある日。
目の前に現れた侵入者は、いつもとは全く様子が違っていた。
まず何より、血の臭いがしない。
沸き立つ血流を感じない。
目の前に立ってなお、殺害欲求を感じないのだ。
それに、全くもって襲いかかろうという気配がない。
この目が感じとる色は、ただの透明。
なんとなく気配がある、それだけなのだ。
初めてのことに少し動揺する。
「なぜおまえは斬らない」
ついつぶやいた言葉に、相手はわずかに反応した。
「斬ってほしいの?」
いたいけのない少女のような声。
これは会話になっているのだろうか。
「ではお前を斬ってやろう」
ナイフを振り上げると、なぜか目の前の侵入者は笑った。
「斬りたいの?」
意味が分からない。
自らの死を前に、何の問答を繰り返す必要があるのか。
少女の意図が何一つつかめないまま、ナイフを握る手に力を込める。
「あなたが、」
目の前の少女は、歌うように涼やかな声で話し始める。
「斬りたいなら斬ればいい。斬られたいなら斬られればいい」
そこで少女がふわりと笑う気配がした。
「あなたの命を選ぶのは、あなただけよ」
気がつけば、何も見えない目からは涙が流れていた。
こんなに無防備に泣いたのは、生まれて初めてのような気がする。
泣くごとに、見えなかった景色が見えてくる。
やわらかな日差しが差し込む窓。
風に揺れるカーテン。
そして、目の前で微笑む少女。
「もう、終わらせたい…」
やっとのことでつぶやいた言葉は、きっと本心だ。
今まで誰にも告げることのなかった、心の叫び。
「じゃあ、」
少女は冷たい手で流れる涙を拭う。
「終わらせてあげる」
その言葉は、これまで聞いたどの言葉よりも温かく耳に響いた。
少女がすっと右手を振り上げる。
手には、小さくも鋭く光るナイフ。
そっと右に首を傾け、自身の頸動脈を差し出す。
「ふふっ、いいこ」
少女はそうつぶやくと、迷うことなくナイフを突き立てた。
ああ、暖かい。
痛みは何一つ感じない。
ただ溢れる血が、この体を覆っていく。
静かな時間だ。
音もないままに、すべてが赤に包まれていく。
血まみれの体を、少女はやさしく抱き締めてくれていた。
やっと、やっとこれですべてが終わる。
遠ざかっていく意識に、やわらかな声が入ってきた。
「おやすみなさい。よい夢を」
そしてそのまま、何もかも分からなくなった。
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