第6話 絵描きに必要なのは忍耐力!?

 唐井ひつじに宿題を出された。


「英語の勉強をしてきてください」


 なぜに英語を? と疑問に思う暇もなかった。彼女から手渡されたのは一冊の本。題名は「Crime and Punishment」。フョードル・ドストエフスキーの名作「罪と罰」だった。


 唐井ひつじは持論を披露する。


「冬野君は何のために高校に通ってるの? 勉強するため? 普通そうだよね。だけど最近の学校教育はなってないと思うな。天才と呼ばれるエジソンしかり、アインシュタインしかり、彼らは学校教育をあまり必要とせず独学で成果をあげてきた。つまるところ私たち芸術家志望にとって高校って無意味だと思うんだ。だけどみんな同じ制服を着てせっせと毎日足を運んでいる。どうして?」


「どうしてって言われましても」


 宗介は困惑してしまった。唐井ひつじのあまりの早口に頭が追いつかない。そりゃあ、彼女は天才で優れたイラストを描くことは認めよう。だけれど、ちょっとどこか抜けている阿呆らしさというか天然っぽさが今は邪魔だった。もう一度言う。唐井ひつじの早口に頭が追いつかない。


 それでも彼女は矢継ぎ早に持論を展開する。


「高校は何のためにあるのか? ずばり忍耐力を鍛えるためだよ。したくもない五科目を勉強させられて嫌々と半日過ごす。これって社会に出たらすごく重要なことで、したくもない仕事を延々と半日以上するための訓練を受けているんだよ。めえめえ」


「はあ、それと英語にどのような関係があるんですか?」


「私、絵を描くのが大好きでノリに乗った時は休日を全部使って描くんだ。でも冬野君は違うよね? 時には嫌々描いたり、三日坊主したり、絵の優先度があんまり高くない」


「どうしてそれを!?」


 宗介は仰天する。唐井ひつじから指摘された点は当たっていた。最近バイトが忙しくて絵を描く頻度が下がっていた。最後に描いたのは三日前。週刊少年ジャンプに連載している作品を三つほど選び、その作品のヒロインを一時間ほどかけて描いた。絵のモチベーションは下がっている。


「冬野君に足りないのは忍耐力だよ。嫌々でもいいからもっと絵を描こうよ」


 天才はそのジャンルの優先度が高く、簡単に没頭する。凡人はそのジャンルの優先度を高くしているつもりでも途中で飽きてしまう。だから唐井ひつじは言う。凡人に必要なのは天才と同程度がそれ以上の絵を仕上げる忍耐力なのだ、と。


「『失敗要因の排除』と『数を打つこと』は、すべてに通じる王者の戦略です。漫画や小説、イラストの一番の上達はとにかく、か(描or書)くことです!」


「わ、わかりました」


 唐井ひつじの演説に宗介は思わず頷いてしまう。そして、罪と罰を手に取り、帰宅した直後、勉強机に直行し、電子辞書を取り出して翻訳に入る。英語を勉強して忍耐力をつけることがイラストレーターになるための必須条件らしい。※凡人に限る という事実が実に嘆かわしいが、宗介は唐井ひつじみたいに一日中創作活動にふけるのは死んでもごめんだった。絵は一時間描ければ十分、といった感じで、やっぱりそこが天才と凡人の境界線のような気がした。


 苦手な英語を勉強すること=忍耐力をつける、らしい。ちなみにすごく嫌なことに唐井ひつじは勉学の方面でも多大な結果を残している。進学校に多いタイプがまさに彼女みたいな人で、部活や趣味に全力になれる人は勉強ができて、勉強ができる人は部活や趣味に全力になれた。小さい頃の習い事を聞くと、多くの人が音楽(ピアノ)、計算(そろばん)、運動(水泳)を同時進行でしていた。塾を二つ掛け持ちしていた天才もいた。


 宗介は最初の一行目を音読する。英語を見ると頭がくらくらした。


One evening a young man left his room to go out.


「若い男は彼の部屋を離れた……と」


 宗介は『外出する』が読めなかった。英語の勉強……我慢、我慢。

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