第5話 同級生は漫画家志望

 才能の話をしよう。


 冬野宗介が野球を始めたのは小学四年生のときだった。少年野球、中学野球、高校野球ときて退部するまでに実に七年間を野球と関わってきた。野球のほかにも水泳やマラソンを中心に、サッカー、バスケ、バドミントン、バレー、多岐にわたるスポーツに触れ、それなりの結果を出してきた。中学では練習不足だと明らかにわかるスランプに陥ったことがあるけど、それでも宗介はそれなりの運動部人生を歩んできた。


 七年間だ。七年間。密度が薄かったとはいえ七年もやっていればレギュラーになれるほどの腕前があるはず。そう楽観していたのは高校一年生の入学式までだった。


 野球というスポーツは面白い。なぜなら小学校、中学校、高校、そしてプロまでに野球は同じルールの癖に競技内容ががらりと変わる。


 まず小学校は軟式ボールを使う。体に当たってもケガが少なく、投げるときに腕の負担にならないボールだ。中学ではダイヤモンドと呼ばれる本塁から一塁、二塁、三塁までの距離が長くなる。小学校と中学校の違いだ。また、中学からはリトルボーイズやリトルシニアと呼ばれる組織に入り、硬式のボールを扱う子も出てくる。高校で甲子園を見据えた意識の高い中学生はたいていここに入るか、全国に出るような中学の軟式チームに入る。


 宗介は意識が低く、中学の時から高校野球を見据えていなかった。自分が硬式のボールを使って野球をプレイする姿を想像していなかった。ただなんとなく。なんとなく野球の練習をしていた。


 そして高校野球。ここから内容ががらりと変わる。中学と比べて、さらにダイヤモンドの距離が長くなる。そして本格的に硬式のボールがデビューする。高校の硬式球とは非常に扱いづらく危ない。まずキャッチボールで教えられることが、相手が声をあげてからボールを投げなさいということだった。なぜなら相手がそっぽを向いているときにボールを投げると硬式球が当たり、重大なケガをしてしまう恐れがあるからだ。


 宗介が硬式のボールを触ったのは高校一年生のときだった。いくら小学校から野球をやってきたとはいえ、初めて触る硬式球は厄介極まりない。中学の軟式球と全然違う。そもそも、お前の投げ方では腕を壊すと教えられ、腕の振りの改善からスタートした。宗介は外野だったのだがフライの感覚も違えば、バントもうまく決まらず、ましてストレートと変化球の落差にバッドは空振りする始末だった。だいたい何がいいたのかと言えば想像につくと思われるが、宗介は硬式デビューであり、初心者丸出しのプレイだった。


 硬式球に慣れるまで一年かかった。腕の振りの改善は結局やめるまで続けていた。


 閑話休題。


 才能の話をしよう。宗介の場合、七年間もあった野球人生で結果は出ず、ただ運動神経の良い人どまりで終わってしまった。これが努力と才能を掛け合わせた人だったならば、例えばオリンピックの候補選手に選ばれたり、例えばプロにいったり、最低でも高校のレギュラーとして活躍しているはずだ。しかし、実際は野球だけに捧げるわけにもいかない。友達と遊びたいし、ゲームしたいし、ぐっすり寝たい。七年間をずっとストイックに野球漬けの毎日を送るなど、それほどの興味を宗介は野球に持てなかった。


 もちろん野球で飯を食っている人は素晴らしいと思う。


 宗介が関わってきた七年間で、コーチになったり、監督になったり、企業に入ってノンプロで野球を続けている人がいた。バッドをつくりプロに贈呈する人や教職員とと野球を両立させている人がいた。皆様、野球が大好きで生涯を野球に捧げている人ばかりだ。それで飯を食っているのだから当然かもしれないが、しかし、だからこそ宗介は叶わないと悟った。宗介はそこまで野球が好きではない。いや、言い方を変えよう。野球が好きだからこそ七年間も続いたわけではあるが、野球で飯を食っている変人どもと比べれば宗介は簡単に白旗をあげてしまう。そこまで好きではなかった、ごめんなさい、と。


「こほん」


 一つ咳払いする。前置きがすごく長くなった。結局何が言いたかったのかというと唐井ひつじは天才だったということだった。


「唐井さん、君が漫画家を目指すなんて正気なの?」


「うん、そだよ」


 高校の授業が終わった放課後のクラス。昔だったら廊下を駆けて野球部の部室に出向いている頃合い。同じクラス同じアルバイト、唐井ひつじと喋ることになり、彼女の絵を見せてもらって宗介は驚いた。二重の意味で驚いた。


 派手なグループに属している唐井ひつじはギャル系かと思っていたら漫画家志望だった。これが一つ目の驚き。そして、二つ目は絵がめちゃめちゃうまかった。まさに天才と評するにふさわしい人物だった。宗介が七年間を棒に振ってしまったのだとしたら唐井ひつじが野球をやっていれば甲子園のエースで四番だったはず。それくらいの才能を漫画で見せつけられた。


 クラスメートに天才がいた。宗介は一つ質問する。


「僕も絵を描いてるんだけど、参考書を読んでも全然うまくならないんだ。何かうまくなる方法はある?」


 唐井ひつじの返答は至極当然のことだった。


「描くだけだよ」


「え?」


「漫画は理屈じゃない。いくら参考書を読んでもそれは中級者向けに解説してあることがほとんどだから。冬野君は書き始めたばかりでしょう?」


「そだけど」


「じゃあ描くしかないよ。参考書なんて買わずに250円で週刊少年ジャンプでも買って、あとはひたすら模写するほうが断然効果的。うまくなる一番の近道だと思うな。がおがお」

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