第4話 唐井ひつじ登場

 宗介がアルバイトしようと決めたのは近くのスーパーマーケットだった。電話して面接を申し込み、履歴書を本屋で買ってしこしこ概要欄を埋めていく。あとになって気づいたのだが宗介の受けるスーパーマーケットでは履歴書不要の面接をしており、当日に簡単なチェックシートを記入するだけのものだった。貧乏高校生の無駄な出費にいささかの怒りを覚え、けれどもバイト募集の要項をちゃんと見ずに電話してしまった宗介の判断ミスだと自分に言いきかせて、冷静になる。


 デジタルイラスト講座を受けるための資金作りをしているのだ。無駄な出費は極力避けたい。


 そうこうしているうちに宗介のアルバイトが決まってしまう。野球部をやめてから初めてのバイト。宗介は緊張のあまり、大声で挨拶をしたのだけれど、面接官にそこまで大声を出さなくていいと注意されてしまう。野球部と社会ではちょっとした乖離現象が起きている。社会では大声を出す人はうざがられる。元野球部の宗介がバイト先で大声を出しても誰も喜ばない。接客時は適切な音量で挨拶しようと誓った。


 バイトの初日。宗介は簡単なレジの作業を教わる。スーパーではお客さんが買い物かごに食材や日用品を山ほど買い込み、先輩のバイト店員が忙しそうに品物を数えては会計していた。


「おやおや冬野君じゃないか」


「唐井さん?」


「めえめえ」


 偶然出会ったのは同じクラスの唐井(からい)ひつじ。くせ毛の強い彼女はちょっとだけ色のついた茶髪を巻き、おしゃれな髪型をしている。クラスであまり話したことがなく、というか野球で多忙だった宗介は野球部以外とそんな接点を持っておらず、ほとんどの人とプライベートで仲良くなったことがない。唐井ひつじは接点を持たない女子の中でも特に関係の薄い人物で、宗介の属するコミュニティと真逆を行くような人物である。要するに、おしゃれ、遊びまくり、リア充、と平日休日を練習漬けだった宗介とまったく住むところの違う人なのだ。


 なんといっても可愛い。モデルみたい。万年補欠だった宗介にとっては高嶺の花のような御仁。


 もちろんレギュラーだから偉いとか補欠だから偉くないとかそういった話ではなく野球部の中でも格差があり、リア充のやつと宗介みたいなぱっとしないやつに分かれているというだけの話。宗介は補欠でおバカキャラで自虐ネタ満載の野球部だった。


 アンダードッグ効果を知っているだろうか。投票予測や勝敗予測で劣勢だったほうを応援する傾向が出てくること。なのだが、宗介はそれを対人関係に利用していた。自虐ネタを言いまくり、相手に自分よりも下ですよ、と。まるで子犬がごろんと横になって腹を見せるように、主人に服従の証としてアンダードッグ効果を使っていた。しかし、調べてみると、通常の人間関係においては、このアンダードッグ効果はあまり良い結果を残さないことが分かった。謙遜や自虐発言を行う人に対し、相手は自分よりも格が下だ、と感じ、優越感を持って対応するようになる。そのため対等な人間関係を築くことが難しくなってしまうらしい。


 でもそれでいい。野球部に対等な人間関係なんていらない。先輩後輩の上下関係が絶対であるように、同級生同士でも上下関係があればやりやすい。宗介は縁の下の力持ちになれるよう必死に努力した。もっとも野球部をやめた今ではあまり関係のない話ではあるが。


 と長々と話してしまったが、最終的に何が言いたいのかというと唐井ひつじは宗介の上の立場の人物であり、現実的にもバイト先の上司であった。


 だから宗介は緊張のあまり失礼なことを口走ってしまう。


「うちの学校アルバイト全面禁止なのに働いててもいいの?」


「バレなければ問題ないのです。めえめえ」

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