一機の青春

はるのこ

一機の青春

 紙飛行機に必要なものは、折り方と投げ方。あとは、ほんの少しのマイクロウェイブがあれば、青春は完成するのだ。




「え、嘘ですよね……?」

 高校一年の三月に、一機は余命宣告を受けた。一機いっき自身ではなく、一機の所属する「紙飛行機部」のであるが。放送で島本しまもと先生に呼び出された時から、嫌な予感はしていた。しかし、改めて言われると傷つく。島本先生の顔を見ていられなくて、一機は俯き、学ランの袖をぼんやりと見た。一年着続けて、もうすでにほつれてきている。島本先生は申し訳なさそうに言う。

「すまん、一機。俺も頑張ったんだが、こればっかりは」

「それにしたって、なんで、今」

「……新しくきた校長の方針でな。生徒会の運営、今までなあなあでやってきたところを明確にするらしい。『生徒にも社会というものを知ってほしい』ってな。その流れが同好会にも来ていて」

「それで、廃部、ですか」

「いや、まだ確定じゃない。今年新入部員を――最低三人必要だから、あと二人。二人集めることができて、あとは実績を残せば」

 その言葉に一機は顔を上げる。どうしても、ここで諦めるわけにはいかなかった。

「やります! 俺、このために生まれてきたようなもんなんだ、二人ですよね、あと実績というのは?」

「校長は、何らかの対外活動で成果を出すこと、と言っていた。ウチで言うなら……えーっと、『全日本紙飛行機選手権』。これに最低出場権を得ること。そうすれば大丈夫なはずだ」

「全日本……わかりました。早速今日の放課後から準備します」

「おう、頑張れ……先生は一機の味方だからな」

「ありがとうございます。では」

 一機は昼休みも惜しいとばかりに、職員室から飛び出した。一機のその一直線な姿に、島本は一機の父のことを思い浮かべて苦笑していたが、当然一機に知る由はない。


 今日はいつもより時間の流れが遅く感じた。待ちわびた放課後、今では一機しか所属していない紙飛行機部の活動場所である地学室で一機は昨年の大会要項を眺める。……なにが全国大会だ、あのピンクババア。紙飛行機はそんな大会に権威がある世界ではない。何も知らないくせに。怒りで目頭が熱くなった。

 一機の父は紙飛行機技師である。これは公民の教科書には載っていないことであるが、自衛隊には特殊諜報部隊があり、その中に紙飛行機部がある。盗聴器を取り付けた紙飛行機を敵国に飛ばし、情報を収集するのだ。「紙飛行機は、折り方と投げ方さ」そう言って誇らしげに笑う父の、硬くなった親指を覚えている。それが覚えているかぎりの父の最後の姿で、翌日父は姿を消した。自衛隊の人も総力を挙げて父を探していたが、一機が中学校に上がる前、父は遺体となって発見された。おそらくは父の紙飛行機力を恐れた某国による暗殺だと耳にしたが、真相は闇に葬られた。それ以来、母は廃人のようになってしまい、やつれて部屋に引きこもっている。今はその時に隊から支払われたお金で暮らしているが、いずれそれでは立ち行かなくなる。母のためにも、自分のためにも、一機は紙飛行機技師となり父の無念を晴らさなければならないのだ。

 どんな紙飛行機でも、左右対称が基本である。進路を曲げたい場合は別だが、まっすぐ飛ばしたいならまずは直線を折るところから始めるのだ。角と角を中心線に合わせ、折る。折る、折る、折る。そうして出来上がったのが、父が唯一、一機に教えてくれた紙飛行機『隼』だった。肩から力を抜いてふっと投げると、スーッとまっすぐに飛行し、軟着陸した。紙飛行機の出来は上々。あとは部員を集めるだけである。一機はめらめらと燃え上がる闘志に、改めて覚悟を決めた。




「いやー、それにしても君が入ってくれてよかったよ」

「いえ……私も友達とか、連れてこれたら良かったんですけど……」

「いやいや、まだ新学期だしね、仕方ないよ。それでも、みつきさんが入ってくれて本当に良かった」

 あれからというもの、一機は勧誘活動に向けて準備を推し進めた。慣れないソフトを駆使してポスターを作り、校内に貼って回った(この時、生徒会とひと悶着あったのは余談である)。部紹介では島本先生に手伝ってもらったビデオを流してウケを狙い、声掛けも熱心にやった。やったし、手ごたえもそれなりにあったのだが、世の高校生は面白がるだけで終わってしまい、結局新歓期が終わって残ったのはみつきだけだったのだ。

「そういえば聞いてなかったな……なんでみつきさんはウチのところへ?」

「えっと……もともと私、航空工学に興味があったんです。物理も好きだし、そういう部活に入ろうと思ってたんですけど」

「科学部かな? 俺の友人もそこにいるけど、割としっかりした研究やってない?」

「実は、科学部が本命で。見学に行った時、なんか光るやつは楽しそうだったんですけど」

「お、雄大ゆうだいのやつじゃん。俺の。総文祭の時、無償で手伝わされた覚えがある」

 一機の話にみつきはクスリと笑ったが、でも、と続けて暗い顔をした。

「なんか今年の新入部員、私と合いそうもなくて……」

「そうなの?」

「いえ、ありえないくらい人数が多くて。私にはちょっと……」

「あー、うらやましいな。まあ、紙飛行機も、機械的な部分だと不足かもしれないけど、形状とかは航空工学みたいなところあるし、むしろウチのがあってるんじゃない?」

「はい。そんなわけで、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げるみつきに、一機はまじめな子だな、と思った。そして、まっすぐだ。

「そうだ! 早速なんだけどさ、これ。改造してみる気、ない?」

 一機は昨日折った紙飛行機隼を取り出した。父から教わった通りのフォームで投げると、いつも通りまっすぐ飛んで着地する。

「わあ、さすがよく飛びますね!」

「まあ、これは紙も古紙だし、こんなもんなんだけど。ちゃんとした紙で作って、コンディションが良ければ、七十メートルを超える時もある」

「え、改良しなくてもよくないですか?」

「いや、まだまだなんだ。これ、俺の親父から教わったやつなんだけど、親父はこれを朝鮮半島まで飛ばしていた」

「か、紙飛行機を?」

「うん」 

 頷いた一機に、みつきは怪訝な表情を浮かべた。

「そんなこと……物理的に……いや、風の状況が……でも、普通偏西風の影響で……」

「信じられないかもしれないんだけどさ、俺はこの目で見たんだよ。親父の紙飛行機が、隣町まで飛んでって、それでも着地しないで飛び続けるの。不思議だよな」

「ええ、それが本当なら」

「俺、紙飛行機作るの、ほかの人よりはうまいつもりでいるんだけどさ。自分でも新しい折り方考えたり。でも、親父の隼には及ばないし、飛距離も全然足りないんだ。だから、みつきさんのその知識があれば」

「……わかりました。ミリ単位での調整で何か変わるかもしれませんし。なかなか面白そうな課題ですね」

「うん、ありがとう。これで大会はどう考えても優勝を目指せる」

「でも、人数が」

「うん、大丈夫だよ」

 一機はにっこりと笑った。非常時用のつてはあるのだ。というより、このために恩を売り続けたと言っても過言ではない。みつきは一機の思惑を知ってか知らずか、「この紙飛行機ください。家で詳しく調べてみます」と言ったのだった。

 

 次の活動日、一機はそのつてと共に地学室へ向かうと、もうすでにみつきが到着していた。何枚もの紙を広げ、真剣にブツブツ呟いている。

「なにしてんの?」

「あっ、お疲れ様です先輩。隼の構造を分析してて……」

「うわ、ガチ物理だ。俺にはわかんないからな」

「あれ、そちらの方はもしかして」

 さすがに、百八十センチメートル越えの男は目立つ。はよ入って来いと手招きして、みつきの方に向き直った。

「うん、紹介する。助っ人の雄大くんです」

「えっと、確かみつきちゃんだよね、ルミノール班の雄大です!」

「ここは科学部じゃねえんだよ。去年の分しっかりこき使ってやるからな」

「うるせえな、わかってるよ」

 パン、と雄大が一機の肩を叩いた。ばーかばーかと小学生のように騒ぐ。いつものことだが馴れ馴れしい男だ。

「あの、えっと……」

「ほら、うちのみつきが困ってるだろ!」

「何がうちの、だよ。あ、別にうちに入部しなかったこと、悪く思ってるわけじゃないから」

 雄大の言葉にみつきは身体を縮めて、すみません、とつぶやいた。雄大はブンブンと首を振る。

「いやほんと。うち今年ありえん人多くて、各弱小部に分けてやりたいなって話してたくらいで。むしろこんなひょろなが眼鏡のことを助けてくれてありがとう。ほら眼鏡、礼を言えよ」

「うるせえ、入部してくれてからたくさん言ったわ。……こいつうるせえけど、多分あんまり来ないと思うから。大会の前ぐらい? それ以外はわけわかんねえ薬品とイチャイチャしてっから」 

「なんだよ、わけわかんなくねえわ。ルミノール反応はあれだ、C8H7N3O2に過酸化水素を入れてだな」

「あの大根おろしはなんなんだよ、さんざん擦ってやったろ」

「たしか……酵素の代わりでしたっけ」

「そうそう、触媒として」

「もういいわ、名前だけ書いて帰れ、変人野郎」

 入部届を突き出すと、雄大は渋々、といった様子でペンを取り出した。

「あーあ、俺の経歴にこの文字列だけは載せたくなかったなあ」

「あきらめろ」

 雄大はいかにも適当に名前を書くと、一機にほれ、と渡す。そのまま彼は化学室へと戻っていった。

「……ところで、これで大丈夫なんですか?」

「ん?」

「名義だけって。よくわかんないんですけど、実際的には」

「んー、うちの顧問が大丈夫だって言ってるから大丈夫でしょ。兼部自体はオーケーだし、なんなら無理やり引きずってくるし」

「引きずってくるって」

 戸惑いを見せるみつきに、一機は大丈夫だって、と笑った。

「だってアイツ、去年俺に大根おろし五本分もやらせたんだ、期末前の忙しい時期に。ところで、その分析はどんな感じ?」

「ああ、それは」

 机の上に散らばった紙を改めて見ると、折り目の長さや、完成した機体のサイズや重さが細かく書かれていた。

「さすがというか、ほぼずれはないです。ただ、重心の位置を考えると、紙の大きさの方を変えるべきかもしれません。やってみないとわからないんですけど」

「なるほどなあ。よし、じゃあ……」

 一機は引き出しの中に隠しておいた、紙飛行機部の備品を取り出す。紙のほか、カッター、カッターマット、定規やペンをばらばらと机に広げ、二人して隼の改良に着手したのだった。




「お疲れ様です」

 ガラガラとドアがなり、振り返るとみつきが入ってきた。

「お疲れ。そういえばテストどうだった?」

「おかげさまで、なんとか平均は超えました」

 つい先日みつきが入部してきたと思ったら、あっという間にテスト週間に入っていたのだ。みつきは物理・数学の成績に反して古文が特に苦手ということで、一機が教えていたのだ。みつきはカバンから採点された解答用紙を取り出す。

「これなんですけど」

「どれ……平均六十点でこれか。頑張ったじゃん」

「ありがとうございます。でも、係り結びに引っかかっちゃいました」

「ん、まあまだ教えてもらったばっかでしょ。これからこれから」

 せっかく教わったのに、としょぼくれるみつきに、でも助動詞の活用はできてるじゃん、と言おうとしたところで、とん、と一機の肩がみつきの肩にぶつかった。

「それで、紙飛行機の方なんですが……」

「あ、うん。えっと、今日から実験するか」

 みつきは何事もなかったように話を続けたが、一機はわずかに動揺した。何しろ女子とこれほどの距離にいるのは小学校低学年の時以来だった。

「とりあえず、先輩が作っていた隼を基準にして、長いのと短いのを」

「確か作っておいたんだよな」

 一機は立ち上がりいつもの引き出しから紙飛行機を取り出す。みつきの言うところによると、とりあえずはそれぞれ三回以上、できれば十回ずつ飛ばして平均をとるそうだ。先ほどの肩の感触を振り払うように、「それじゃ、グラウンドに行こうか」と行った。


 島本先生に話して学校にあるメジャーを借りることにし、玄関まで行ったところで雄大と合流した。思っていた以上に彼は律儀で、毎回とは言わずも二週に一回は活動に参加していた。

「お前、科学部の方はいいのかよ」

「うちの部は夏休みからが本番だからな。それ以外は結構暇なの。予選、近いんだろ?」

「いつだったっけ、みつき」

「えっと、再来週の日曜日ですね」

 雄大はマジで本腰入れないとやばいんじゃないかと、割と真剣につぶやいた。

「去年のデータを見るに、改良しない隼でも予選はいけるからなあ」

「そうなの?」

「去年の優勝校、私立夢見賀地ゆめみがち高校で二十メートルちょっとですからね」

 それを聞いて雄大が何でお前出場しなかったんだ、と一機に言ってきたので、興味なかったんだよ、大会とか、と言っておいた。そうこうしているうちにグラウンドにつく。外周は陸上部がすでに使っているので、様子を見ながらトラックの中央へ行く。

「よし、雄大。メジャー持ってきてくれ」

「なんで俺?」

「場所知ってるだろ」

「まあいいけどさ」

 そのうちに一機は軽く準備運動をする。紙飛行機といえども投擲運動であり、肩慣らしをしておくことは重要だ。みつきはノートを取り出して、記録の準備をしている。テストが終わって初めての活動、濃い色になってきた空の青が心地よい。

「おい、そこの君たち!」

「えー、どなたですか」

 突然声をかけられたので振り向くと、そこには高校ジャージに黒いマスクをつけた変人が四人いた。そのうちのリーダー格らしき変人が高らかに叫ぶ。

「ここはー! 我々、忍者研究会の活動場所である! 何者かは知らないが、陣地を取らないでくれまいか!」

「忍者? ああ、そういえば」

「先輩、知ってるんですか?」

「うん、確かうちと同じ廃部候補の」

 廃部の危機だ、と島本先生に告げられた時、ほかにもいくつか同じ境遇の同好会があると教わった。そのうちの一つが忍者同好会、すなわち変人集団である。

「失礼な! その手に持つもの、さては君たちは紙飛行機部の連中だな」

「ああ、そうだ。別にここ、お前らが勝手に使ってるだけだろ? 正規の運動部ならともかく、俺らには屋外の活動場所なんて割り当てられてないはずだけど」

 一機の言葉に、忍者の男はわかってないなと首を振る。

「俺たちは四月からここを使っているんだ。実質我々の領地といっても過言ではない! それに、ここを使わせていただくのに俺たちは陸上部連中に土下座したんだ」

「ええ……そこまでしたのか」

 一機は顔をしかめる。思っていた以上にこの学校の部活カーストは深刻だったらしい。どうしたものか、と考えている間も、男はべらべらとしゃべり続ける。

「それに、あー、我々は水面歩行の練習をするためにここに水を撒いて池にするのだ! 君たちに使わせる場所は余らないぞ」

「……そりゃ、トラックに水を撒くなんて、土下座が要りますよね……」

 みつきが呆れたように言う。

「てか、水面を歩く? そりゃ一体どういう……」

「もちろん、それが我々の忍術であり――」

「ダイラタンシー現象だろ」

「うわ、雄大」

トラックに線を引くための、やたらと大きいサイズのメジャーをもって、雄大がやってきていた。お前ら、めんどくさそうなのに絡まれてんなという言葉とともに。

「ダイラダンシング? なんだ? それ。我々のは」

「ダイラタンシー現象。普段は液体のようなふるまいをするが、急速に衝撃を与えると固形のようになる現象だ。片栗粉が有名だが、砂でも条件がそろえば似たようなことが起こる」

 みつきは科学部の見学で実際に見たことがあるようで頷いていたが、忍者同好会のボスは忍術秘術だと言い張り、なんなら今からここで見せてやる、と息巻いていた。雄大も引かず、「なんならここに片栗粉をぶちまけてやる、うちの顧問が自腹を切って買った二十キロ!」と叫ぶ。これは面倒くさいことになる、と一機は二人の間に割って入った。

「おちつけ、雄大。あー、うちの活動は別にどこでもできるから、いいです。忍者同好会さん、どうぞ」

「いや、この男に我々の秘術を――」

「ちょっと俺たちも大会前で時間がなくて。また別の機会に。ほら、行くぞ」

 雄大を引きずるように一機は歩く。みつきもそのあとからついてきて、一行は顔をしかめている陸上部顧問に軽く会釈をしてからグラウンドをでた。

「四時半か。うん、まだ大丈夫だな」

「先輩、どこで活動するんですか?」

「河川敷にいこう、そこの方がむしろ集中してできるかも。だから雄大、あいつらを負かすのはあとにしろ」

「……こんどうちのダイラタンシー班を連れてくる」

「そうしろそうしろ」

 グラウンドから校舎をぐるりと回り、正門の方へ出ると、薄ピンクの服を着た大人に出会った。

「あら皆さん、こんにちは」

「こんにちは」

 真っ赤な口紅のその人は、校長先生だった。彼女は一機を見つめて、にっこりと笑う。

「貴方が一機くん?」

「ああ、はい。そうです」

「島本先生からお話は伺ってるわ。ずいぶんと『紙飛行機部』の活動に熱心みたいね」

「ええ、まあ……ずっとやってますから」

「これから活動? ずいぶんと荷物が多いみたいだけれど」

「はい」

「ふうーん。がんばってね」

 校長先生は普通ならば人の良い笑みを浮かべてから校舎の方へと立ち去った。しかし、一機にはなにか引っかかる、少なくとも良くは思われていないといった印象を抱かせる。

「おい一機、お前目ぇつけられてんじゃねえか」

「ええ、俺なんもしてないけど」

「なんか、校長先生、紙飛行機に悪い思い出でもあるんですかね?」

「うーん、なんなんだろうなあ」

「紙飛行機に村を焼かれたんじゃね?」

 うだうだと話しているうちに三人は河川敷に到着した。市では一番大きな川、幾代(いくよ)川は今日もさらさらと流れている。

「暗くなる前に実験を終えなきゃな」

「じゃあこの地点を基準にしましょう、雄大先輩、それ貸してください」

「ほいよ……俺が紙飛行機の着地点に行く感じか」

「おう、走れ走れ」

「しょうがねえな」

「じゃあ、まずは基本の隼から行きましょう」

 その後、一機が投げては雄大が走り、を繰り返した。みつきがノートに記録している。父に教わった投げ方はもう意識しなくともできる。どの紙飛行機もまっすぐ飛び、すっと着地する。それを何十回繰り返し、終わったころには日が暮れていた。

「悪い、一機。もうバスの時間が」

「おう、もう七時か。悪いな、先に行っていいぞ。俺らが片付けるから」

「よろしく。……そのメジャーは三番倉庫だ」

「ああ、知ってる」

「いろいろ言いたいことはあるが、まあいい。それじゃあな!」

「雄大先輩、さようなら」

 雄大が帰り、二人きりになった。一機がメジャーと紙飛行機を持ち、みつきと並んで学校への道を行く。

「しかし、やっぱ親父の隼が完璧だな……」

「そうですね、多分重心の位置が一番ベストなんだと」

「としたら、俺の投げ方が悪いのかあ?」

「いえ、そんなことないと……私は詳しくないですけど」

 拳一つ分の距離で、並んで歩く。みつきは一機より頭一つ分低い。彼女のショートヘアが、風に吹かれてさらさらと舞う。

「夜はまだ寒いね」

「そうですね。でも、そのうち暑くなりますよ」

「それも嫌だなあ」

 二人の笑い声が、静かな夜道に響いた。




 制服が夏服に代わり、全日本紙飛行機選手権の日まで残り二週間を切った。一機とみつき、そして時々雄大は変わらず河川敷で紙飛行機を作り続けていたが、進捗は相変わらずのものだった。強いて言うなら非常によく飛ぶ紙飛行機を高校生が毎日飛ばしていると地域の噂になり、小学生やお年寄りに絡まれるようになったことぐらいだろう。

「本当に、何が足りないんだろうな?」

「結局隼から何も変わってませんしね」

「投げ方はどうなんだ」

「うちの親父から教わったのはこの型だ。投げ方に関しては物心つく前からみっちり教えられているから、今更間違えないとは思うんだけど」

 今日は追い風だからいつもよりよく飛ぶ。それでも、飛んで七十メートルだ。もはやメジャーは持ち出しておらず、目測での測定値だが。

「というかさ、一機。その、親父さんが何十キロ飛ばしてたかは知らねえし俺は事実かどうかも疑ってるけど。大会では今の記録で十分じゃね? 予選は余裕だったんだろ?」

「確かに、ほかのチームより三倍は飛んでましたよね。……そもそも、出場チームが少なかったんですが」

 いまだ父親の『隼』を再現することに固執している一機に、二人が口々に言う。どうしてそこまで紙飛行機に拘るんだ。今まで一機が幾度となく言われてきた文言だった。一機の父親の職業(とその死の理由)について、誰にも言ったことは無いし理解されないのも仕方ないのかもしれない。

「いや……それじゃなくても、調べたんだ、俺。全国に出場するチームの成績。京都の洛愛らくあい高校が八十メートルの記録を出してる」

「まじか……いや、でも上位には食い込めるんじゃね? 一位じゃなくても、部の存続は認められると思うが」

「……最近、校長先生と目が合うんだ。最初は気のせいかと思ったけど。あれは絶対、俺らをつぶす気だ。それこそ全国優勝でもしないと」

「確かに……あの、私のクラスメイトに忍者同好会の子がいたんですけど」

「あ、いたの! 俺、まずいことしちゃったかな」

 忍者同好会とかち合ったあの日以来、雄大はたびたび向こうの会長と口喧嘩をしているらしく、気まずげな表情を浮かべた。

「いいえ、その子はむしろ雄大先輩と似た意見だって、こっそり教えてくれましたから。……あの、忍者同好会は、対外成績を出すことを求められていないそうです」

 風で乱れたセーラー服の襟を治しながら、みつきは苦い顔をする。

「うっそ」

「はい、部員を集めて提出したら来年以降の活動継続が認められたそうで」

「なあ、一機」

 雄大の確認するような目つきに、一機はゆっくりと首を振る。

「俺が生徒会に名簿提出した時、生徒会長に『では、今年度が終わるまでに何らかの対外実績を出してください。その成績によっては、継続を認めることもあります』みたいに言われた」

「……やっぱり親父さんの紙飛行機がいるなあ」

「まだ二週間、時間があります! 大丈夫ですよ、先輩」

 二人は努めて明るい声を出しているが、その表情は暗い。彼らの思っている以上に、不自然に紙飛行機部は圧力を受けている。

「ちくしょう、なんだってんだ、あのブルドックばばあ!」

 一機が思いっきり紙飛行機をぶん投げると、進路がぶれて右にそれた。そのままチョン、と土手を散歩してきた老人に当たる。

「あの、すみません」

 慌てて紙飛行機を回収しに一機がその老人のもとへ行く。老人はいつ洗ったのかもわからないほど汚れたTシャツとズボンに身をつつんでおり、顔はもじゃもじゃと生えた髭と髪の毛に覆われよく表情が見えなかった。

「すみません、その紙飛行機、俺のなんです。当ててしまって申し訳ありません」

 一機は紙飛行機を受け取ろうと手を差し出したが、老人はまるで珍しいものを見たかのようにしげしげと隼を眺めている。

「……の、フォルム……ずいぶんと……これは……」

「あのー」

「君はー、もしかして、光林こうりんの息子さんか?」

「っ、どこでその名前を」

「ああ、すまない。君の――あの光林が父親になるとは――君のお父さんと、あー、かつて一緒に働いていた。川上だ」

「え?」

 これはこれは立派になった、と呟く川上に、一機は戸惑いを隠せなかった。確かにこの男は父の名前と、隼の形状を知っていたみたいだが、信じてもいいのだろうか。

「どうしたんですか、先輩!」

 みつきと雄大が駆け寄ってきたので、一機は戸惑いながらも説明する。

「なんか、この人、俺の親父の名前と隼、知ってるって」

「はあ? こんな……こんな……」

 本人の手前はっきりとは言わなかったが、雄大は明らかにその老人を『浮浪者』とみなしていた。

「はは、まあ、こんな身なりじゃ仕方がないか。……いきなりで怪しまれるのも無理はない。だが、私には時間がない……。率直に言おう、この紙飛行機、良く折れているが、飛ばないだろう?」

「どうして、それを」

「まさか光林が息子に折り方を教えているとは思わなかったが、肝心かなめは隠していたようだな。ともかく、この紙飛行機を『隼』にするには、もう一つ重大なことをしなければならない」

「なんですか、それ」

 一機が食い気味に質問すると、川上はあせるな、といさめてから自分に付いてくるように、と言った。

「おい、行くのかよ?」

「もう大会まで二週間しかない、手段を選んでる暇はない!」

「すみません、おじいさん。どこまで行くんですか」

「なあに、歩いて五分もかからんさ。日が暮れるまでには帰ってこれる」

 みつきの質問ににっと老人が答える。三人は顔を見合わせた後、一機を先頭にして老人についていった。

 てくてくと歩いていき、着いたところはいわゆる段ボールハウスであった。そこで待ってな、と老人は一機たちを外で待たせ、『家』の中へと入っていった。

「まじで大丈夫か?」

「心配しすぎだ、雄大。川沿いに歩いてきただけじゃないか」

「何をする気なんでしょうね……?」

 老人が中から取り出してきたのは一辺が五十センチ程度の直方体と、タンクのような物体だった。直方体から出ているコードをタンクに繋ぎながら、老人は尋ねる。

「あー、光林の息子の――」

「一機です。一に航空機の機と書きます」

「一機か、良い名前をつけたなあ。一機くん。紙飛行機に必要なものは?」

「折り方と、投げ方です」

「それじゃあ六十点だな。もう一つ、紙飛行機に必要なものがある。それがこれ、マイクロウェイブだ」

 マイクロウェイブ、と言いながら川上はその直方体、電子レンジのようなものを指さした。

「マイクロウエーブ、って。ただの電子レンジじゃないっすか」

 雄大の台詞に、老人は違う違うと首を振る。

「これはただの電子レンジではない。マイクロウェイブ照射機だ。そこのお嬢さん、マイクロウェイブとは何か、知ってるかね」

「マイクロウエーブ……要は電磁波ですよね。携帯の通信とか、それこそ電子レンジとか、様々なものに活用されていて」

「うーん、三十点。まあ、国が書いた教科書にはそう書かれているだろうな。一機くん、その紙飛行機を貸してくれ」

 一機が川上に紙飛行機を手渡すと、老人はぱかっと電子レンジのようなものの扉を開いて、その中に紙飛行機を収めた。

「いいかね、君たちには真実を教えよう。マイクロウェイブというのはね、波動のことだ。宇宙の震わす振動のことだ。つまり、宇宙の力なのさ」

 川上がつまみをわずかにひねると、箱の中がオレンジ色に光る。雄大はいかにも不信感をあらわにして帰りたがっていたが、一機は箱から目を離せなかった。すぐにチン、と音が鳴り光が消える。

「宇宙の力を一心に受けた紙飛行機は」

 老人が腕を振りかぶり慣れた手つきで紙飛行機を放る。そのボロボロの指先は進行方向をズバリとさし、紙飛行機が軽やかに飛ぶ。十メートル、二十メートル、三十メートル……。

「とてもよく飛ぶんだ。これが『隼』の完成形だ」

 目で追うことが難しくなるほど遠くに飛んでも、いまだ隼は着陸の気配を見せなかった。三人は目を離すこともできず呆然と眺める。一機は目頭が熱くなった。父さんだ。父さんがいる。父さんの隼だ。

「一機くん。この照射機はもう俺が持っているべきものではない。必ずや君の役に立つだろう。もっていっていくれ」

 老人が一機にレンジを差し出した。土で汚れたその指先は、父親と同じような、紙飛行機技師のものだった。どっしりと重いそれを、一機は確かに受け取った。

「ありがとうございます」

「ああ、言い忘れた。それ、確かに電子レンジなるものに見目こそ似てはいるが、中身は全くの別物で、俺の大切な発明品だ。あくまでも照射機と呼んでくれ」

「はい、それでは」

 さようなら、と頭を下げかけたところで、老人は忘れていた、と付け足した。

「そうだ、それと……できるだけ見つからないようにしなさい。まあなんてことのない見た目だから置いとく分には問題ないと思うが、見つからないように使いな」

「肝に銘じます」

「それじゃあ。そこの兄ちゃんも嬢ちゃんも、一機をよろしくな」

 みつきと雄大も軽く会釈し、今度こそ三人は学校へとマイクロウェイブ照射機をもって歩く。いまだ頭がぼうっとしていて、学校までの道中三人はほとんど口を利かなかった。


 薄暗い地学室に三人は戻ってきた。雄大がパチン、と電気をつけると、一機はことりと机の上にレンジを置いた。蛍光灯のもとでは、その古さが強調されていた。みつきは本当何なんでしょうねと恐る恐る触った。

「いま調べてるけど、これ、西芝(にししば)電機の奴じゃねえかな、二十年くらい前の」

「よくわかるな、さてはお前、レンジマニアだろ」

「違えよ、馬鹿。ウチのばあさんの家に似たようなのがあったなって」

 雄大はスマホの画面を見せた。電子レンジの写真と簡単なコメントが並んでおり、その中には確かにもらってきたものと似ている物があった。

「これなのか……なあ雄大、お前、そのばあさんの家で紙飛行機をチンした経験は?」

「あるわけねえだろ」

「だよなあ」

「そのレンジを改良したってことですかね……? それとも、まさか電磁波が紙飛行機の飛距離に……」

「俺はそれありえないと思うんだが?」

「そうか? 宇宙の力ならありうるんじゃねえ?」

 一機がそういうと、みつきと雄大は揃って首を振った。

「いや、そもそも宇宙の力ってなんだよ」

「そうですよ、先輩。そもそもマイクロウエーブは電磁波であって、精々紙の水分を飛ばす力しかないはずです」

「軽くなったから、良く飛んだのか?」

「にしたって飛びすぎだぜ、あれは。紙飛行機の飛距離じゃねえよ」

「ともかく、これこそ比較実験するべきでしょうね。私、家でチンしてきます」

 みつきは引き出しから紙を何枚か引っ張り出す。雄大はそういえば、と時計の方をちらりと見る。いつの間にか七時十分前だった。

「お、時間だ。じゃあ俺はお先に」

「おう、お疲れ。明日はお前、来るか?」

「あー、うん、たぶん」

「りょーかい」

「んじゃ」

「ああ」

 ガラガラガラと古びた音で扉が閉まる。みつきは真剣な顔で何やら思案していた。最近はずっと外でばっかり活動していたからか、日焼けしたように思える。付き合わせて申し訳ないとも思うが、校外での活動にシフトしたおかげで光明が見えてきたとも言える。それに、健康的な肌の色も案外似あう。

「じゃあ、みつき。俺らも帰るか」

「わかりました……でも」

 みつきはちらりと古ぼけたレンジを見る。半分野外にさらされていたそれは、学校の中では浮いて見える。

「ああ……準備室の方に隠しとくか……?」

「掃除の人とかにばれません?」

「ん、まあ、棚の一番下において、カモフラージュすれば」

「大丈夫、ですよね?」

「あと二週間隠せればいいわけだから、大丈夫大丈夫」

 一機がレンジを持ち上げると、みつきが先に準備室の方へのドアを開けた。埃っぽいにおいが充満している。

「ここなんかよさそうですよね」

「よし。できるだけ使わなそうなもので隠そう」

 隅の方にレンジを置くと、雑におかれていた緑色のラインのティッシュペーパーやら日焼けしてタイトルが読めない事典やらを不自然にならないように積み上げる。レンジは完全に同化して見えなくなった。

「じゃあ帰ろうか」

「はい。……あ、私教室に忘れ物してたので、先行っててください」

「うん、じゃあ玄関で待ってる」

「すみません」

 みつきはとたとたとカバンを背負って出ていった。一機は地学室のカギを掛け、事務室にそのカギを返す。玄関で靴を履き替え、スマホでツイッターを見ているとすぐみつきが来た。

「すみません、お待たせしました」

「ううん。俺もまっすぐここに来てるわけじゃないし、ゆっくり来てもいいのに」


 みつきがローファーに履き替えるのを待って、玄関を出る。先ほどまでのムワリとした熱気はやわらぎ、涼しいと言える風が心地よい。みつきはどうしても『宇宙の力』がしっくり来ないようで、いろいろと仮説を投げかける。うんうんと相槌を打ちながらも、一機が気になっているのは右手の感覚だった。

 数日前から、みつきの左手が一機の手にわずかに触れるようになった。最初は自分が近づきすぎたのかとも思ったが、どうもそうではないらしい。みつきの手が触れるたび、どうもそこが敏感になった気がする。少なくとも確実に熱を持っている。――この手を握ったら、どうなるのだろう。そう思った時には、一機はみつきの手を掴んでいた。

「それでも……っ」

 みつきが不自然に息を止める。気まずくて、車道側をぼんやりとみる。いつものコンビニの前を通り過ぎた。そっと手に力を入れると、みつきのひんやりとした手が伝わってくる。みつきにきゅっと握り返され、心臓が今にも爆発するように早まる。

 みつきももう何もしゃべらなかったから、二人の間には沈黙が横たわる。横断歩道を渡って、小道に入る。突き当りで道が二手に分かれ、普段はそこでさよならを言う。今日もそこまで来てしまったので立ち止まったが、まだ手を放したくなかった。

「あの」

「あー」

 思い切ってみつきの顔に視線をやると、彼女もちょうど同じことをしていたようで声をだすタイミングまで被ってしまった。

「ふふ……じゃあ、えっと……か、一機、さん」

 薄暗い夜道でも、みつきの笑い顔がはっきりと見えた。一機は握っていた手を離すと、みつきの頬に触れる。そっと近づいて、一瞬。そして離れた。

「じゃあね、みつき」

「はい、また明日」

 ふわふわとした心地のまま、いつも通りの挨拶をかわし、お互いに反対方向へと向かう。いくら夜が寒くても、溢れる熱は冷めそうになかった。




 例の電子レンジ――マイクロウェイブ照射機を手に入れてからというもの、一機とみつきは慌ただしく準備を続けていった(雄大は科学部の方が忙しいとかであまり顔を出さなくなった)。どれくらいの照射時間がベストなのかを、河川敷でひたすら紙飛行機を飛ばして探る。大会前日には、飛距離を自由自在に操れるようになっていた。

「結局、俺は何秒くらい飛ばせばいいんだろうな」

「洛愛に勝つためだけなら百メートルで十分かと思いますけど……」

 でも、一機さんはそれで満足できないんでしょう? みつきはそう言ってクスクスと笑う。一機はうるせえよ、とみつきの脇腹を小突いた。

「本当は何十キロでも飛ばしたいんだけど、会場の規模的に無理だろうからなあ」

「陸上競技場ですよね。だったらやっぱり百メートル?」

「いや……もうルールを変える勢いで、二百メートルくらいで行きたい」

「えー、そんなに飛ばしちゃったら来年から会場探しに苦労しそう」

「いっそ道路を貸し切ってやるかもしれないな」

「どっか広い公園とか……? そう考えると何キロも直線が続く場所ってそうそうないかも」

「鳥人間コンテストみたいに、琵琶湖の上でやるとか」

「もうそれ、一機さんのための大会じゃないですか!」

「それもありだな」

 一機が手元にあった紙飛行機をふっと投げると、危なげなく川を渡り、土手に激突して落ちていった。結局、どういう仕組みで紙飛行機が飛ぶようになったのかはさっぱりわからなかったが、理屈がわからない以上照射機を分解するわけにもいかず、そのままだった。ともかく、明日、紙飛行機が飛べばそれでいいのだ。

「それより、みつき、明日朝早いんだからな」

「わかってますよ、六時半学校集合ですよね」

 朝は得意ですよとみつきは頬を膨らました。

「まあみつきは大丈夫だろうけど。雄大の方が危険か」

「そうなんですか?」

「中学の時は遅刻常習犯だった。今は改心したのか知らんが、去年三万くらいするバカ高い目覚ましを買ってた」

「なんですかそれ?」

「なんかめっちゃ光で起こすらしい。体内時計がどうのこうのってドヤ顔してた」

「まあ、起きれるならいいんじゃ?」

「時間合わせるの忘れないようにってラインしとくか」

 もう六時だというのに、辺りはまだ明るかった。じっとりと汗ばんでいるが、不思議なことに隣の体温は不快じゃない。今日は早めに帰るべきだと思い立ち上がって草を払う。いよいよ明日の土曜日だ。思っていたより、気分は凪いでいる。静かに二人は帰路を歩いた。




 幸いにも誰一人として寝坊せず、早朝、学校に集合した。顧問の島本先生の車で会場の陸上競技場へ向かう。一機とみつきは雄大の手によって後部座席に押し込まれた。

「言っとくけど、お前ら、結構あからさまだからな」

「は……?」

 呆れたように助手席から振り向いた雄大に、一機は目を丸くする。幼いころからの知り合いの彼に知られるのは何となく気恥ずかしくて、特に言うつもりはなかったのだが。

「いやー、本当は今日来るかどうか迷ったんだけどさ、先生もいるしいっかなって。俺が大会に行かなかったら生徒会にいちゃもん付けられそうだし」

「そうだったのか、お前ら。あー、まあ別に口出すつもりはないけど、校内では節度を守れよ」

「ゆう、おま、あー」

 うなだれる一機に、みつきは戸惑いながら背中をなでる。車内の空気が、いたたまれない。

「まあまあ眼鏡くん。今日はてめえの晴れ舞台だ、気にせずに行こうぜ」

「わかってんだったら今言うなよ……」

 朝が早いおかげか特に渋滞などに巻き込まれず、快調に車は進む。二時間もかからずに会場に一行は到着した。


「えー、それでは競技の方へ移りたいと思います。それでは、一番、秋田県代表『エンジョイ紙飛行機クラブ』、三宅みやけ飛翔じゃんぷ選手です」

 出場選手が集められたテントで、一機はアナウンスを聞いていた。付き添いとして、みつきが隣に座っている。島本先生と雄大は、にやにやしながら観客者席の方へ行った。よどんだ曇り空のせいか、この季節にしては涼しかった。

「ただ今の記録、二十三メートル」

 アナウンスにばらばらと拍手が起こる。紙飛行機選手権はマイナーなせいか、会場の人が少ない。出場者も各県に必ず一人いるわけでもなく、出場者のリストはパンフレットの半ページに収まっている。

「二番は熊本県代表、『シルバードリーム』斎藤キミヨ選手」

「記録、十五メートル」

 どんどんと選手がトラックに立っては紙飛行機を投げる。平均が三十メートルいかない程度で、時々五十メートルの記録が現れるという感じだった。実質、この大会は洛愛高校との一騎打ちである。向こうもそう思っているのか、紅のジャージを着た二人組から視線を感じる。

「えーっと、幾代が丘いくよがおか高校さん、洛愛高校さん。そろそろですので」

 黄緑色のジャンパーを着た係員にとうとう呼び出された。ベンチから立ち上がる。

「一機さん、頑張って」

 みつきの言葉にうなずいて、テントをあとにした。洛愛の選手はもう一人にバシンと叩かれ、一機の後に続く。びゅう、と風が頬をなでる。大丈夫だ、俺には隼がいる。赤茶色のトラックの上で、一機はそっと目を閉じてその時を待つ。

「三十三メートル!」

 一機の一つ前の選手が終わり、白線の一歩手前に立つ。トラックの上では黄緑ジャンパー達が点々と並んでいた。

「それでは、次に移ります。二十五番、福井県代表『幾代が丘高校』光林一機選手です」

 一礼して、前を向く。紙飛行機は折り方と飛び方(そしてちょっとのマイクロウェイブ)。紙飛行機を飛ばす時は、力を入れないで、そっと優しく線を描く。その時、投げ終わりの人差し指が進路を向くように。

 リズムを取り、隼を持つ右手を軽く後ろへやる。また風が吹いた。一瞬、何もかもが止まった。飛行機の軌道が見える。そのラインに乗せるように、一機はすっと手を離した。

 どくりどくりと心臓が騒ぐ。隼は安定して飛んで行った。五十メートルのラインを越え、七十メートル、九十メートル。百メートルのゴールテープを過ぎてもまだ止まらない。ざわざわと、会場本部の方がうごめいている。隼は、幼き日の記憶そのままに、会場から飛び去った。

「ありえない! こんなこと、反則じゃないのか!」

 洛愛の紅ジャージが叫んで、辺りを見渡す。先程までの、ほのぼのとした空気とは一変して、会場はただ事ではない空気に包まれていた。思わずたじろいて、テントの方へ戻ろうとする。

「光林選手、止まりなさい!」

 ピピっと笛の音が鳴る。大会の主催として挨拶をしていた男が、本部からこちらへ向かって歩いてくる。開会式の時もいかめしい男だとは思ったが、その形相はもはや堅気のものとは思えなかった。

「一機さん、早く、逃げましょう!」

 いつの間にかトラックに来たみつきに手を引かれ、促されるままに走る。

「逃げたぞ、捕まえろ!」

「先生が今車を用意してるはずです、とりあえず、そこまで」

 何が起こったか、一機にはさっぱり理解できなかったが、一つだけわかることがある。捕まったら、終わりだ。ここで死ぬわけにはいかない。そんな思いが浮かび、ひたすら追いかけてくる蛍光ジャンバーの集団から逃げる。

「おーい、一機、みつき、こっちだ! 乗れ!」

 トラックを出て駐車場まで逃げると、島本先生の車から雄大が叫んだ。思いっきりドアを開けると、みつきとともに飛び乗る。間一髪のところで、追手の伸ばした手を振り払った。

「ちっ、くそどもが、ひき殺すぞ」

 アクセルを踏み込み、車が急発進する。島本先生は先生とは思えないほど乱暴な言葉を吐き、追手を本当にひき殺す勢いで車を走らせる。道路に出てもそのスピードは変わらず、法定速度など気にしてない様子で走る。まるで映画だった。

「先生、これでとりあえずは」

「ああ、だが早くこの道路を抜けないといずれ包囲される。油断は禁物だ」

「えっと、いったい何が?」

「すいません、私もよく……」

 息が落ち着くと疑問がわいてきて、尋ねる。一機を誘導したみつきも詳しいことはわかってないようすだ。

「罠だったんだ」

「は、何が?」

「この大会が、というか、お前がこの大会に出るように仕向けられたのが。なんか……えっと、諜報部隊? の。ですよね」

「ああ、すまん一機。ずっと黙っていて。まさか、とは思っていた。俺も信じたくはなかった。だが、今まで隠してきたことは俺の失態だろう。……聞いてくれるか、十年ほど前から、お前の親父さん、航機(こうき)と俺たちが、何をしていたか。どうせ車内ですることもないだろう」

 島本先生の声色は暗く、一機は静かにうなずくことしかできなかった。バックミラーでその様子を確認したのだろう、島本先生は淡々と話しだした。




 防衛大学校を卒業した島本峯久しまもとみねひさ光林航機こうりんこうきは、その紙飛行機の才能を見込まれ、新人にして諜報部の紙飛行機部門に配属された。島本は所属された時の尉官の台詞を覚えている。

「我々の仕事は、全世界に紙飛行機を飛ばし、有事にそなえて情報を集めることである。お前たちには義務がある。国のため、そのすべてを捧げることだ。我々は戦線に立つことはない。だが、彼らと同じ志で任務に臨むように」

 島本は、配属されて初めて、紙飛行機に日本海を超えるポテンシャルがあることを知った。それを訓練終わりに航機に言うと、「お前、そんなことも知らなかったのかよ」と笑われた。聞くと、紙飛行機を志す者にとってはある種の常識だという。

「見ろ、俺の紙飛行機を。基準の九七式を改造したんだ」

 航機は部隊で使われている九七式よりもスリムで、先端が独特の形状をした紙飛行機を取り出した。

「それ、飛ぶのか?」

「まあ見てろって」

 航機はなんてことないように紙飛行機を投げる。いつ見ても整ったフォームだ。紙飛行機はどんどんと飛び、すぐに見えなくなった。

「結構速いな」

「だろう。まだちゃんと計ったことはないが、格段に速く飛ぶんだ」

「それ、名前は?」

「ああ……べたかもしれないが、俺は勝手に『隼』と呼んでいる」

「いい名前だ」

 島本は比較的大型の紙飛行機を扱うことにたけていたが、航機は小型で飛距離を出せるものが得意だった。同期に入隊したこともあって、二人は隊の中でもペアとして扱われていた。航機の隼はその性能が認められ、隊の標準へと採用された。


 配属されて十年以上たち、島本たちは気づいたら中堅どころになっていた。航機は違う部門の女性と結婚し、子供ももう小学生に上がったそうだ。島本はいまだ独身だったが、二人は変わらずのタッグだった。ある日、上官から、ある仕事を持ち掛けられたのだった。

「マイクロウエーブ照射機の改良、ですか」

「ああ。開発部隊からお前らのその知識を見込んで頼まれている。部隊間交流も兼ねてだ。もちろん断っても構わないが……」

 事実拒否権はあってないようなものである。それに、島本も航機も、ただ淡々と紙飛行機を飛ばす仕事に慣れたと言えば聞こえはいいものの、実のところ飽き飽きしていた。二人は了承し、実戦部隊から開発部隊へ異動

した。

「マイクロウェイブはね、宇宙の力。波動なんです」

 にっこりと笑いながらそう言い放った新たな上司となる川上の台詞を聞いた時、島本はここへ来たことを後悔した。とんだカルトではないか。しかし航機はにこにこと川上の言葉を聞いていた。川上はその様子に気をよくしたのか、照射機の仕組みを懇切丁寧に説明する。基本は、普通の電子レンジと同じだ。ただ一つ、回路に『宇宙波動石』を組み込んでいるところが違うのだという。島本はその石の正体が気になって仕方なかったが、ともかくそれから、開発の日々が始まった。


「おい、峯久。あとで話がある」

「おお、いいけど……。今じゃダメか?」

「いや……仕事終わりだ。誰にも言えないところがいい」

 開発の仕事になってから数年たった。島本が食堂で昼食をとっていると、いつになく深刻な声で航機がささやいてきた。そのただならぬ空気に、自然と緊張する。ざわりと心が揺れた。きっとそれが、虫の知らせというものだったのだろう。島本は仕事終わりに、航機が指定してきたいつもの空き部屋へと向かった。

「で、なんだよ。話って」

「これ……これを聞いてくれ、この前太平洋側に飛ばした隼・七六八八だ」

 航機のパソコンから、音声が流れる。英語の音声だ。

「は……? アメリカまで飛んだのか! 新記録じゃないか?」

「それはいい。内容が問題だ。ここ……聞こえるか?」

 航機がシークバーを一センチほど戻す。音は悪いが、聞き取れた。

『アメリカは新型紙飛行機核爆弾を開発した・×××が○○でない限り』

「は、なんだ、これ」

「それだけじゃないぞ」

『あと十年内に▽▲▽が起こった場合・直ちに・飛行する』

「……この後、聞き取れる範囲で、だが。日本のある幹部もこの計画に賛同している。EUの一部もな」

「戦争が起こる、のか」

「ありえる。連中が企んでいるのはある種の革命だが。……紙飛行機は、今まで以上に、軍事利用されることになる」

 そういった航機の顔は苦痛にゆがめられていた。だれよりも紙飛行機を愛する男だ。紙飛行機が、世界に引導を渡すことに、我慢ならないのだろう。

「どうすりゃ……お前、上に報告したか?」

「いや。なあ、峯久、こんなのおかしいと思わないか」

 島本はぎょっとした。航機がとんでもないことを続けたからだ。

「俺――俺は、▽▲▽を阻止しなければならない。命を賭してでも」

「おい、冗談じゃねえぞ」

「別に、お前に付き合ってくれとは言わない。ただ……もし万が一のことがあった時、俺の嫁と息子に、俺が真に何をしたのか、伝えてほしいだけだ」

「おいって!」

「……どのみち俺は、隊にはいられない。今の隼は、俺の飛行技術も含めて、連中が最も求めているものだ。おそらく世界最長の飛距離だから」

 嫌だぞ俺、そういった島本を無視して、航機は笑う。じゃあよろしくな。それが島本の覚えている航機の最後の姿だった。




「しばらくして、紙飛行機部は解散になった。レン……照射機の開発も中止だ。きっと、その幹部に感づかれたのだろうな。紙飛行機が世界を破壊するならば、それを阻止するのも紙飛行機だからだ」

 島本先生はしみじみとそう言った。きっと、彼の脳内には一機の父親、かつての同僚の姿がありありと描かれているのだろう。

「先生、その▽▲▽ぺけぺけぺけって結局なんなんですか」

 みつきの質問に、島本先生は首を振る。

「それは……日本では言えない。どうやら、俺が思っていた以上に事態は深刻だ。まあ、当時言われていた十年のリミットからは、よく持ちこたえた方だと思うが」

「先生、結局、俺が狙われたのは何でですか」

「ああ……お前の父親は計画途中に殺されたが、本部の連中はその息子であるお前が、計画の全貌を知っていると睨んでるようだ」

「知ってんのか? 一機」

「いや……俺が親父に教わったのは、投げ方だけだ」

「だけ、と言わない方がいいぞ。その投げ方が、むしろ連中の計画の神髄とも言える」

「はあ……」

「新校長が、やつらの仲間だったんだ。お前が大会一位になれば、危険な才能があるという名目でお前をとっ捕まえることができる。そうじゃなければ、お前に才能はない、放っておいてもいい」

「先生、私たち、どうなるんですか」

「もう日本にはいられない……亡命するぞ」

「先生、なんかやばいのはわかったけど、何も伝わってこないっすよ」

 みつきと雄大が口々に質問するが、先生は答えなかった。いつの間にか辺りは暗くなっており、森を抜け海岸にたどり着いた。

「俺も具体的にはわかってないんだ。ただ一つ、近い――少なくとも一週間内に、日本は崩壊する。俺らはそれを阻止しなければならない」

 島本先生は車を降りるよう促し、荷物置き場から大量の紙とレンジを取り出した。

「お前ら、どこでこれを手に入れたんだ」

「えっと、二週間くらい前、浮浪者みたいな――えーっと、川上さんだっけ」

「あの人か。よくこれを持ち出したな、照射機はすべて破壊されたと思ったが。……巨大紙飛行機を作って、その上に乗って国外脱出だ。目的地はアゼルバイジャンだ」

「アゼルバイジャン?」

「――この陰謀を阻止したい者たちが、そこに基地を作っているそうだ」

「先生、俺、家族を捨ててはいけないです」

 雄大の台詞に、一機も考える。いまだ部屋をひきこもる母を置いていったらどうなるか?

「計画を阻止できたら戻ってこれるさ。さもなければどのみち一億総玉砕」

 島本先生は大量の紙をマイクロウェイブ照射機に入れると十五分につまみを合わせた。

「一機。お前に、覚悟はあるか。……父の仇を、うつ覚悟は」

「いえ……正直、まだ、あー、そんな広大なバックグラウンドがあったとは思ってません。でも、それが――父の目指した、紙飛行機ならば」

「私は先輩についていきます」

 雄大は、二人の言うことを聞いて頭をかいた。

「お前に大根おろしなんかさせなきゃよかったな。まあ、いい。それより島本先生、本当に無事にアゼルバイジャンとやらに行けるんだろうな」

「ああ。大型紙飛行機の島本だ。四人と照射機を乗せる紙飛行機を飛ばすなんて楽勝。現役時代は一トンの荷物を積んだ紙飛行機を飛ばしたこともある」

 照射が終わると、ただひたすらに紙をテープでつなげる。一時間ほどして、辺りが真っ暗になったころ、巨大紙飛行機が完成した。

「よし、みんな乗れ。一機、その照射機は死んでも離すんじゃねえぞ。基地に届けるんだ」

「先生がこれを飛ばして、どうやって乗るんですか」

「ああ、大丈夫だ、初速は遅い、足でも追いつけるさ」

「これは現実か? 俺は夢を見ているのか?」

「雄大先輩、ちゃんと現実ですよ。……ずいぶんと突拍子もない話ですが」

「よし、発射するぞ……みんな乗ったな? 三、二、一!」

 島本先生が思いっきり紙飛行機から手を放すと、三人を乗せた紙飛行機は速度を上げ地を離れた。後ろを見ると、島本先生がものすごい速度で飛行機を追い上げ、そして飛び乗った。

「……すごいですね」

「ああ、一機。俺は桃白白タオパイパイにあこがれて紙飛行機技師になったんだ」

 暗闇を切り裂くように紙飛行機が飛ぶ。下を見れば海、ぞくっとする恐怖に反して、その飛び方は危なげなかった。潮臭い空気が肺を満たす。

「てか先生、まじで説明してくださいよ、着いたら。一切情報がなかったんで」

「すまんすまん、盗聴の危険があってな。ぼかさざるを得なかったんだ。……お前ら、眠くないか?」

「いいえ、こんなことがあって眠れるわけがないですよ」

 みつきの言葉に、二人もうなずいた。

「よし。到着前に情報を頭に入れといたほうが楽だろうしな。それじゃあ連中の――仮に紙飛行機革命軍とでも言おうか。奴らの計画と、今わかってること。俺の知ってる範囲で話す。それ以上はたぶん基地の連中の方が詳しいから着いたら話を聞こう。それじゃあまず――」

 島本先生は、言葉を選びながら、説明を始めた。一機にはいまだ現実感が湧かなかった。一機の思い描く明日は、優勝して、部の存続が認められて、みつきといちゃいちゃする、そんな日常だったからだ。

もうずいぶんと飛行機は進み、陸が見えなくなる。日本海は何も知らないとばかりに穏やかだったが、一機たちの激動の人生は確かにこの日、始まった。

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一機の青春 はるのこ @Shunka07

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