最終章 神話の生物

第22話 フィルイン村

「シスカ、ザックが旅立ってどれぐらいだっけか?」


 眼帯をしたエロイカをまとめ上げるボスは奥の調理場で夕飯の準備をしているシスカへと声を掛けた。

 その奥からは肉の焼ける良い匂いがボスの鼻腔をくすぐる。


――今日の夕飯はエドからの土産で貰ったイノシシの肉だな。


 畑仕事から帰ってきたばかりで腹も空いており、その匂いが余計に腹を刺激刺せる。

 ボスは普段は冒険者家業をしているのだが、先日の屋敷での騒動により足を怪我をした為に休業中である。作業服を脱ぎ、飯の前に行水でもしようかとパンツ一枚になりタオルを探す。


「あんた、またその話? 昨日も同じことを言ってたよ。もう歳なんじゃないの?」


 ケラケラと明るく笑う声が調理場から漏れて来た。


「うっうるさい…で、どれぐらい経ったんだ?」


 ムッと口を尖らせてはシスカの疑問を無視して話を進めた。

 威厳があり、統率者としてのオーラもあり、皆から好かれるボスだが、シスカに勝てたことは一度もない。


 女房にベタ惚れでとても甘く、尻に敷かれている。


 それが家庭内のボスの姿だった。


「そうだね。今日で五日じゃなかった?」

「そうか…」

「そんなに気になるならついて行けば良かったじゃない。まっその足なら足手纏いにしかならないね」

「ちっ」


 変わらず明るく笑う声が調理場から漏れてきて、ボスは恥ずかしくなり頬を赤らめながら舌打ちをしてしまう。

 その舌打ちはシスカの耳へと届いてはいるのだが、照れ隠しなのは知っており、それが逆に心地良くクツクツと笑ってしまう。

 はたとシスカは思い出したかのように気付く。


「あんた、今から行水でしょ? 庭に干してる洗濯物を取り込んでくれない? 雨が降りそうなのよ」


 そう言えばと思い窓の外を見るボス。ここ数日、曇りが続いていて雨が降りそうだもんなと流れる灰色の雲を眺め見た。


「あいよ」


 ボスは返事をすると洗濯物を取り込みに庭へと出て行く。



――――



 日が落ちる頃にはポツリポツリと雨が降り始め、夕飯を食べる頃には本格的な雨となっていた。


「結構な雨になったなぁ。明日には止んでくれると良いんだが」

「どうだかねぇ。すぐに止みそうな雨みたいだけどねぇ」


 食事を終えたボスはお茶を飲みながら窓から見える外を見る。窓に当たる雨が心地良い音を立てており、眠気を誘う音楽を奏でているようだった。


「はぁ…」


 テーブルに膝を付き溜息を吐くボス。その溜息を聞きシスカも溜息を漏らす。


「また、ザックのことかい? 大丈夫だって。あのザックの事だ。何事もなくすぐに帰ってくるさ」

「それはそうだが…」


 ボスにとってザックは弟みたいなものだった。アレグリア夫妻に拾われて来た頃から知っている。どこに行くにも懐いて付いて来ていた事をボスは思い出す。


「ふふっ」

「えっなに、その思い出し笑いみたいなの。やめてよ、気持ち悪い」


 シスカは裁縫していた手を止めると困惑した表情でボスを見た。


「ちっうるせい!」


 恥ずかしさと一緒にグイッと茶を一気飲みするとおもむろに立ち上がり、ベッドへと行こうとするのだが――


「おい…今、何か聞こえなかったか?」

「え?何も聞こえなかったよ?」


 一瞬、家が静寂に包まれる。窓に当たる雨音が聞こえるのみだったのだが――


「何だよ突然。何が聞こえ――」

「しっ!」


 シスカの言葉を遮り、自身の口元で人差し指を立てる。真剣な表情になったボスを見て、シスカも耳を澄まし始めた。


――きゃああああああああああ!


 静寂を打ち破るようにして女性の叫ぶ声が響いてくる。


「シスカ! 五分…いや、十分で俺が戻って来なかったら年寄りや女、子供を市場へと避難させておいてくれ!」

「あんたはどうするのさ!?」

「俺は行ってくる! エロイカの…フィルイン村のリーダーだからな」


 そう言うと短剣を持ち出し、ドアノブに手を掛ける。


「ふぅ…気をつけて行ってくるんだよ」

「当たり前だ。お前を置いてあの世へなんか行けるか」


 ドアを開け外へと飛び出るボスの背にシスカは「行ってらっしゃい」と声を掛けた後、支度を始める。

 フィルイン村は平和な村だ。今まで魔物に襲われたこともなく、殺人などの事件という事件が起こったことはない。

 それが先日の屋敷での騒動以降、緊急事態に備えての作戦が立案された。

 その際、戦うことが出来ない女と子供はレンガで出来た市場――商館へと避難する手はずになっている。

 シスカは動きやすい服装へと着替えフライパンを持つと十分も経たずに家を出る。


――嫌な予感がする


 扉を開けた先にシスカが見た景色は、嫌な予感を具現化したようなものとなっていた。

 ゴブリンにハイゴブリンが暴れ回っていた。そして、その中にゴブリンに襲われている女を一人見つける。

 酒場の一人娘、ミヤだった。


「あっ…あっ…」


 ミヤは腰を抜かし、何も出来ずにただただゴブリンを見ることしか出来ない。そのゴブリンがミヤに向けて棍棒を振り下ろそうとする。


「ミヤああああああああああああああ!」


 シスカは叫ぶとフライパンを構え走り出した。ミヤとゴブリンがシスカに気付くが、既にシスカはゴブリンへとフライパンを掲げ振り抜いていた。

 ゴチンという鈍い音を立て、ゴブリンの頭へと叩き込むとゴブリンはそのまま倒れて動かなくなる。


「ミヤ! ミヤ! 大丈夫か!」

「しっ…シスカちゃん…うっ…うっうええええん!」


 ミヤは助けてくれた人がシスカだと確認すると抱き着き泣き始める。その顔は雨のせいで濡れており、服は泥で汚れていた。

 ミヤの頭を撫でるとシスカは穏やかな口調で現状を尋ねた。


「ゲンのおやっさんは?」

「うっ…うぅ…お父さんは…ひっく…剣持って…出て行った…そこにゴブリンが…怖くて…怖くて…うぅ」

「そかそか。あのおやっさんなら簡単にはくたばりはしないさ。ミヤ、もう大丈夫だ。市場へ逃げ込むよ」

「うん…」


 ミヤの手を引き、商館へと走るシスカ。辺りには逃げ惑う村人が行き交っており一人一人捕まえることが出来ない。


「聞けええええええええええええ! 商館だ! 商館へと向かええええええええええええ!」


 シスカは走りながら叫ぶ。最初はシスカの声が届かず、逃げ惑う村人だったが何度も何度も叫ぶシスカの声が届き始め、一斉に商館へと走り出す。

 緊急事態の作戦は村全員へと伝えているのだが、混乱により忘れているようだったが商館に着くと既に数人の村人が逃げ込んでおり、覚えている者もいるようだった。

 その中に茶髪の髪をセンター分けした眉の太い女が一人いた。

 商館での受付をしているメイ。

 メイは商館へとやってきた人間がシスカだと気付くとホッと胸をなで下ろす。


「シスカさん、ご無事のようで何よりです」

「メイも無事だったか」


 シスカはメイの頭を撫でると商館内にいる年寄りに女、子供を見る。皆、恐怖で青ざめており震えていた。雨で濡れているせいもあるのだろう。

 泣き叫ぶ子供たちに肩を寄せ合う老人夫婦。そして、皆一様に寝間着姿で薄着であり汚れてもいた。


「メイ。火を起こしてくれ。あと、着替えとか毛布とかあるか?」

「はい! 今、ちょうど受付のみんなで用意しているところでした。緊急時はここを使うって約束でしたので」


 シスカを確認したことで落ち着いたのか現状を淡々と報告する。それに対し「よくやった!」と褒めるとシスカは外へ出ようとドアノブへと手を掛ける。


「シっシスカちゃん!? どこ行くの!?」


 シスカの服を掴むミヤ。その手は震えており、友人を心配しどこにも行かせないといった気持ちが汲み取れた。

 シスカはそんなミヤの頭を撫でる。


「まだ避難できてない人達がいる。助けに行ってくるから、ミヤはここで待機しててくれ」

「やだ! 外は危険なんだよ! 危ないんだよ! シスカちゃんが危ない目に合うなんて絶対にいや!」

「大丈夫だって。私は戦いは得意ではない。危なくなったら逃げる。だから、行かせてくれ。みんなを守る為なんだよ」


 そんなシスカをメイも心配した顔で見ていたのだが、何かを思い出し奥へと引っ込んで行く。


「それでも! いや! 絶対にいや!」

「ミヤ…」


 どう答えようかと必死に頭をめぐらせるシスカ。そこへメイが布で巻かれた何かを持ち戻って来た。


「シスカさん、これを」


 布をめくっていくと中から姿を表したのは細い剣だった。刀身は細長く、鍔の部分が蝶の姿を催しており戦うより飾る用途としての剣のようだった。


「それは…?」

「すみません。分かりません…業物の剣ということと魔剣だということしか」

「魔剣?」

「はい。魔術が使えない人でも詠唱することにより魔術が使える業物を魔剣と呼ぶそうです。この剣は一振りすれば相手に幻術を見せることが出来るみたいで。マウロさんのとこへ持って行こうと思っていたのですが…シスカさんの力になればと思い」

「そうか。ありがたく使わせていただくよ」

「はい。詠唱は《――不和の揺らぎフリクション・トレモロ――》です。」

「オーケー。覚えたよ。ありがとう、メイ」


 そこへ待ったを掛けるかのようにミヤが叫ぶ。


「メイちゃんのバカ! バカ! シスカちゃんが危ないとこに行くんだよ!」

「ミヤ…でも、危ない状況だから出来ることをしていかないと。私とミヤは戦うことができない…だから、私たちはここで避難に来たみんなに着替えと毛布をあげよ?」


 メイの言葉は正解だった。ここで唯一動けるのはシスカだけ。その正論がミヤの心に深く突き刺さる。

 ぎゅっと自分の服の裾を掴むと真剣な眼差しでシスカとメイを見る。


「私も行く」

「ミヤ…」

「私も行く! ザックちゃんが絶対にもうすぐ帰ってくるから! そんな気がするから私も頑張る! まだザックちゃんのお父さん、お母さんが来てないから! 私がザックちゃんの分まで頑張る!」


 ザックという言葉にピクリを眉を動かすメイ。メイはここ最近、ザックに会っていない。風の噂ではなんでも褐色の女の子に首ったけでお金をたくさん貢いでいるらしい事を聞いていた。

 それはただの風評被害なのだが、メイは少し怒り気味になる。


――あんなに私にセクハラしておいて今は別の女とよろしくしているだって?


 嫉妬のような、純粋な怒りのような変なものがドロドロと心の奥底で蠢き始める。


「そっそうね。ザックにはちょっと説明してもらわなくちゃいけない事がたくさんあるから。ミヤ、ちょっとザック見かけたら捕まえて来てね」

「うん!」


 にこやかに笑うメイに気持ちの良い声で返すミヤ。その様子をクツクツと笑いながら見るシスカ。


「それじゃあ、ミヤ。あんたにはウチのフライパンを貸すよ。調理道具なら、ミヤの方が上手く使いこなせるだろ?」

「うん!」


 魔剣とフライパンを持ち、シスカとミヤは扉を開け出て行く。


「それじゃあ、魔物に戦う女は強いってことを教えてやらんとな!」



――――



 玄関を出てすぐの頃、ボスは悲鳴の聞こえた場所へと走るのだが――


「なんだ…これは…」


 目の前に広がる光景にボスは慄く。ゴブリンにハイゴブリン村を襲っている光景だった。


「バカな…こんな時間に…!?」


 そんなボスの目にゴブリンから逃げる女性が映る。


「ちぃっ! やるしかねぇ!」


 走り出し、女性を追い抜くとゴブリンの首を素早く斬り落とす。


「おい! 市場へ早く逃げろ!」


 カクカクと首を縦に振ると女性はそのまま市場へと走り出した。

 ボスの大声に反応し、周りを囲むようにゴブリン数体が集まってくる。


「くそったれ!」


 目の前のゴブリンへと斬り掛かり、続いて襲って来た一体を蹴り飛ばすと、その後ろに控えていた二体の首を同時に短剣で撥ねる。

 しかし、夜でしかも雨という最悪の状況で視界が悪い為かボスの頭上へと飛び上がったゴブリンに気付くのが遅れる。

 なんとか左上で棍棒を防ぐとゴブリンへの脳天へと短剣を突き刺した。


「この視界の悪さに、この数相手は部が悪い…」


 残りは目の前にいるゴブリン二体のみ。ジリジリと間合いを取りながら短剣を構え、駆け出す。

 剣を突き刺すようにして来たのを飛び上がり避けるとゴブリンへの背後に降り立ち、そのまま背中越しに短剣を突き刺す。そして、突き刺したまま残りの一体目掛けて投げ、当たったせいでよろけたゴブリンの首を撥ねる。


「くそ…何がどうなってんだ…」


 襲い掛かって来たゴブリンを討滅すると残りを討滅するために走り出した。緊急事態の際にエロイカのメンバーは各々動くことになっている。

 集まって行動してからは時間がかかり過ぎる。だから、見かけたら行動を共にすることになっているのだが、そのボスの目の前にエロイカのメンバーが一人、姿を現した。

 その足取りはフラフラとしており、歩くというよりは彷徨うという言葉が当てはまるような足取りだった。


「おい!」


 ボスは呼び掛けるが反応がない。

 その男は金色の髪で短髪。サイドは刈り上げられた――リチャードだ。

 屋敷への侵入の際にボス、ザックと共に潜り込んだ男。しかし、あの一件以来、リチャードは口を閉ざした。

 最初はショックで混乱しているのだろうとボスは思っていたのだが――その彷徨うような足取りで歩いていたリチャードはボスの続けて呼びかけた声に反応し足を止める。


「おい! リチャード! 無事――か!?」


 走りリチャードの元へと駆け付けるのだが、ボスの足がリチャードまであと数歩の所で立ち止まる。

 その姿に精気は無く、続いてボスへと向ける顔に目と口がなかった。



――まるで異質者のような顔をして口角を耳まで届くほど釣り上げて。

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