第15話 覚醒

 ザックの目に移るのはゴブリンのようなドス黒い異形により叩き飛ばされたリリィの姿。

 最後の力を振り絞り、リリィの手を掴み引き寄せようとしたが間に合わなかった。

 そして、リリィだけではなかった。

 ザックとリリィを守るかのように異形とリリィの間に割り込んだマウロの姿もあった。

 首も動かせぬ力尽きる寸前のザックは目だけで追う。


 吹き飛んだ先で倒れ込むリリィとマウロ。目が霞み、どんな状態なのかも把握は出来ない。

 異形は勝利を確信するかのように咆哮する。


――全滅


 誰もがこの惨状を見てそう思うだろうが、血を流しながらもフラフラと立ち上がる人間が一人いた。


『まだ…まだ!終わってません!』


 褐色の少女は左手をダラリと下げながら異形に魔物達に対して力強く宣言する。

 左手の感覚が麻痺しているのかテッセンを持つことが出来ずにポトリと落とす。構えるのは右手に持つテッセンのみ。

 魔物達に対して向ける顔、その目にはまだ諦めはなかった。力強く、今もなお闘志を燃やしている。


『ザックさんは…私が守ります!今度は私が守る番なんです!』


 リリィは駆け出す。異形の攻撃をヒラリと躱し反撃に出るのだが浅い。斬ることも出来ずに、ただ当たったといった表現が正しいだろうか。

 それでも、前に出る。当たれば即死。それを見事に躱しては反撃を繰り返していく。

 徐々に魔物達に囲まれていき、動きも鈍っていくリリィ。

 それを意識が遠のきながら虚ろな目で見ているザック。通常であるなら、守るべき義妹に守られるなんて、なんてバカな兄貴だろうか。なんて思うかもしれないが、命の灯火が消えつつあるザックの思考は何も考えることが出来ない程に真っ白になっていた。


『がぁっ!』


 言葉にならない声でザックの間近に飛ばされて来たリリィ。魔物達に傷付けられボロボロになり、血を流し、顔にも痣が出来ていた。その目には涙がとめどなく溢れており、ザックを見ている。


『ザックさん…私を置いていかないで…一人は…もういや…』


 這い蹲りはいつくばりながらザックの近くまで来るとザックの頬を撫でる。

 虚ろな目はリリィを見ており、何かを口にしようとしたのかピクリと動いたがそれだけだった。

 不意にザックの頬を撫でていた手が離れる。

 近くまでやって来たゴブリンにより髪を掴まれ、持ち上げられるリリィ。


『あぁぁっ!』


 ゴブリンはリリィの髪を掴み上げ、卑下た声を発っすると、容赦なくリリィの腹に拳を叩き込む。苦痛の表情を浮かべ、くの字に曲がる。

 そこへ続々と周りにゴブリンが集まって来る。そして、リリィを殴り蹴り、服を剥いでいく。


『いや…!いやぁ!』


 辺りにリリィの悲鳴が響き渡る。その声に応えるかのようにザックの瞼がピクリと動いた。

 その目に移るはリリィのところへ来て、ゴブリンを薙ぎ払うドス黒い異形。異形はゴブリンの手から離れ地面に転がるリリィを拾うと高らかに持ち上げる。

 異形の腹が引き裂かれたかと思うと、大きく口のようなものが出来てリリィを丸呑みにしようとした。


『ザックさん…!』


 リリィは必死に涙を流しながら手を伸ばす。その手はザックには届くことなく、異形の腹へと飲み込まれていった。

 最後に何かを口にしながら。


――ごめんなさい


 実際にリリィがそう口にしたのかは分からない。ただ、ザックにはそう聞こえた。

 消えゆく意識の中で、はっきりとした言葉を思い出す。


――リリィ


 ザックの意識の中で反芻し始める、リリィの名前。屋敷で助けた褐色の一人の少女。自分から離れようともせず、懐いてくれた。異国で寂しいだろうに、それを表には出さない少女。

 走馬灯のように少女との出会いからを思い出される風景。


(リリィ!リリィ!リリィ!リリィ!)


 今にも死にそうな身体の奥底で煮え滾る思いが芽生える。そして、最後に見たこともない景色が見えた。

 薄暗い森の中。一人の女性が見下ろしてくる。白く赤い角が生えた一人の女性。その女性が、自分に何かを語りかけている。

 涙を流しながら最後の言葉を口にした。


『…キヨ』


 その言葉を聞いた瞬間、ザックは自分の中で火が灯るのを感じた。目に意識が宿り始める。手に足に身体にと力が入り始める。

 そして、はっきりした意識でザックは思いっきり叫んだ。


「リリィィィイイイイイイイイイイイイイイイイ!」


 ザックを中心に風が吹き荒れる。

 みるみるうちに塞がっていく傷。ゆらりと立ち上がる姿は変容し始めた。

 髪は白くなり、こめかみから対になる形で赤い角が生える。

 目は黒くなり瞳孔は縦に黄色く光り始める。

 異様な雰囲気を放ちながらザックは前屈みに構えると、もう一度リリィの名を叫んだ。


「リリィィイイイイイイイイイイイイ!」


 周りの空気が叫び声に呼応するかのように震える。その様子に気付いたゴブリン達が一斉に襲い掛かって来た。


「かぁっ!」


 しかし、ザックが気合いを放つと威圧だけで吹き飛んでしまう。ザックの目に移るはただ一つ。

 リリィを飲み込んだドス黒い異形のみ。

 左足を後ろに下げ、右前足を踏み込んだ瞬間、あっという間に異形との距離を詰め目の前に姿を現わすザック。

 大きく息を吸い、左足を上げ右手を後ろへと回し、身体を思いっきり捻る。

 一瞬静止したと思うと、上げた左足を思いっきり踏み込む。踏み込めんだところを中心に亀裂が入り小さなクレーターが出来た。

 そして、踏み込んだと同時に右手を異形へと叩きつける。


 バン!と大きな音を立てて異形の胸から上が弾け飛ぶ。後ろへ倒れそうになる異形の腕を掴むと更にもう一発。今度はリリィを掴み上げていた右肩が弾け飛んだ。

 腹へと右腕と捻じ込み、何かを掴むと力は込めるが優しく扱うように引き摺り出す。

 まず目にしたのは掴んだリリィの左腕。次にドロリとした液状のような中から姿を現わしたのはリリィの顔。

 全身を引きずりだすと横抱きしリリィの容態を確認する。まだ息はあるが弱々しくしており…何よりザックは身体に無数に出来た傷を見て怒り狂い出した。

 地面へとリリィを置くと力の限り叫んだ。更に空気は振動し、ザックの雰囲気がより一層濃くなる。


 角はより赤みを増し。

 口は耳まで裂け、牙を剥き出しにしていく。

 目は釣り上がり、瞳孔も全て黒くなる。


 その姿は既に人間ではない何かになっていた。


 異様な雰囲気にゴブリンは流石に気付いたのか、怯えたようになり後ずさりをするのだが――

 目の前に突如現れるザックの手により次々に絶命していく。頭は砕け散り、腹は空洞になり、四肢を引き千切っていく。

 引き千切っているザックの元へ三つの大きな影が囲む。それぞれの武器をザック目掛け振り下ろすハイゴブリン。

 大きな音を砂煙を立て振り下ろされた場所には既にザックの姿はない。


 頭上高く一瞬で飛び上がり天井へと張り付くザック。威嚇するかのように唸り声を上げると天井を蹴り上げハイゴブリンの頭を掴む。

 掴んだあと、その勢いのまま地へと押し込むと骨が折れる音と共に押し潰された。

 押し潰された残骸を液体や骨やらがぶつかり合う嫌な音を立てながら、一匹のハイゴブリン目掛け投げ付ける。そのハイゴブリンはその残骸を払いのけるもののザックの姿を見失ってしまった。

 そのザックは既に右腕を掴んでおり、ブチブチとまたも嫌な音を立てながら思いっきり引き抜く。

 ハイゴブリンは叫び、血が飛び散る引き抜かれた肩を抑えながら後ずさりし、逃げようと後ろを向いた瞬間――

 自身が持っていた巨大な斧で縦にグチャリと押しつぶされた。


「グルルルルルルル」


 残り一体のハイゴブリンへと唸り声を上げながら顔を向ける。明らかに恐怖を感じており、立ち竦んでいるのが分かる。

 しかし、ザックは止まらない。


「ガァッ!」


 威嚇するように叫び、ハイゴブリンは動きをピタリと止めるのだが、次の瞬間には上半身は消えていた。

 ザックはありったけの力を込めて叫ぶ。それは残っているゴブリン、異質に対してに向けられての宣戦布告でもあった。


 しかし、その宣戦布告は違う形で対決することとなる。


 ドス黒い異形の残骸がバシャリと音を立て液状になったかと思うと倒したゴブリン、ハイゴブリンを次々に波のように飲み込んでいく。

 その波は広がっていき、残骸だけではなく生きたままのゴブリンに異質も次々に飲み込んでいった。

 そして、一箇所に集まっていくと段々と形を成していく。


 図体は三メートル程、脚は短く二足歩行で歩き、腕が異様に長く対に二本ずつ。ゴブリンのような顔をしてはいるが色は全体的にドス黒い。

 屋敷で対峙した化物を彷彿とさせるのだが、ザックの意識は怒りにより消え去っている。

 化物とザック、お互いに対峙したあと叫び合う。


「アアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ガアアアアアアアアアアアアア!」


 先に動いたのはザックの方だった。瞬時に化物の懐に入ったかと思うと、右拳を下から上へと突き上げるような形で胴を殴る。

 しかし、その拳は腹を突き破ることはなく、腕をクロスして拳を受け切っており防がれてしまった。

 その腕も弾け飛ぶこともなく、残った手で左右からザックを潰すかのように迫る。

 バチンと音が響き渡るがザックは既に下へと潜り込んでおり、化物の脚を抱きかかえるように掴んでいた。

 人間一人では絶対に持ち上げるのが不可能な図体を、力の限り持ち上げ振り回す。数回転させたあと、壁に向けて思いっきり投げ付けると振動によりパラパラと天井からも土が落ちてくる。


 それで終わる化物ではない。両腕を握り拳の状態にして地面を突き走ってくる。

 残った二本の腕を勢いを付け殴り掛かってくるのだが、これに対しザックは避けることもせず、防ぐこともせず、あろうことか拳で対応した。

 一発目は相殺したのだが二発目は流石に押し負けて、地を滑る。

 更に襲ってきた拳をザックは、はたき落すと掴む。そして、横に回転させたかと思うと、その反動を利用し上へと軌道を変えた。

 そのまま、地面へと叩きつける。そして、また上へ持ち上げたかと思うと今度は反対側の地面へと叩きつけた。四、五回続けたのだが不意に軽くなるのを感じる。

 化物はすっぽ抜けてしまい飛ばされていた。


「アアアアアアアアアアアアアア!」


 化物は落ちていた武器を拾いながら叫ぶ。ハイゴブリンが持っていた斧と大剣を構える。


「グルルルル」


 ザックは低く唸りながら化物を見据えていた。またも握り拳の状態にして地面を突き走ってくる化物。今度は武器を構え振り回してくる。

 何かに飲まれたザックだが危機感知能力は残っているのか、武器での攻撃は避けていく。後ろに飛び避け、下へとしゃがみ避け、一つ一つの動作が大きく無駄はあるが確実に避けていった。


 徐々に押され気味になり壁のところまで追い詰められてしまうザック。

 大剣を後ろに避けたときに、とうとう壁を背にしてしまう。

 その一瞬を突き、斧が振り下ろされてしまうのだが、壁に深く突き刺さってしまいザックに当たることはなかった。


 ザックは斧を振り下ろした腕に飛び乗り、化物の顔を睨む。


「グルルルルルル」


 右腕を振り被り頭へと殴り付ける。そして、次は左、右へと連続で殴り込む。

 段々と潰されていく頭。化物は斧、大剣を手放しザックを引き離そうとするのだが、ザックは引き離されないよう左手で化物を掴むと右拳だけで殴り込んでいく。


「ガアアアアアアアアアアアアアア!」


 辺りに飛び散るドス黒い液体。ザックの身体にも液体がかけられていき真っ白な髪が黒く染められていく。

 それでも、殴るのを止めない。既に頭は潰れており、その拳は喉の内部まで届いていた。

 元が液体のようなもので出来ている為、心臓や内臓はもちろん、食道さえもないのだが、何かを引き千切るかのように殴り込んでいく。

 頭が潰されても化物は意識はありザックを引き離そうとしているのだが、胸の辺りまで拳が達したとき何かにぶつかる音がする。

 丸く濁った青い色をした結晶のようなものがそこにはあった。

 ザックはひとたび叫ぶとその結晶を殴り込んでいく。


 少しずつ少しずつ亀裂が入っていく結晶。殴り続けるザックの頬に赤い液体が飛び散ってくる。ザックの右拳から出てくる血だった。

 既に皮は剥け、白い骨が見えていた。

 それでも構わず殴り続け、あと少しというところでザックは右拳を大きく振り被る。

 大きな声で叫び、右拳を結晶へと振り下ろした瞬間――


 パキン!と大きな音を立て結晶が割れる。そして、化物は叫んだかと思うとその結晶へと収束し、爆散した。


 床に転がるザック。勝利の雄叫びをあげたかと思うと辺りを見渡し「グルルルルル」と唸る。

 そこにはいつの間にか、よろめきながら立ち上がっているリリィがいた。

 ザックの次の目的はリリィになっていた。ザックの意識は既にない。何かに飲み込まれたかのように破壊衝動に駆られていた。

 ゆっくりと歩みを進めリリィに近付くザック。リリィの近くまで来ると手を伸ばし首を掴み殺そうとするのだが、その手はリリィが抱き付いてしまったが為に止まってしまった。


『ザックさん…もういいんです…もういいんです…!ダイジョブ…ダイジョブですから…!』


 泣きながらザックを止めようとするリリィ。そのリリィのある言葉にザックは反応する。


「ダイジョブ…」

『はい…ダイジョブ…ダイジョブです…!』


 少しずつ意識がはっきりして来るザック。角は引っ込み、目や口は元に戻り、異様な雰囲気は離散していく。

 そして、胸にしがみつくリリィの顔を見て、頬を撫でる。


「リリィ…良かった…」


 そこで、ザックの意識は途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る