第3章 ひと時の平穏

第9話 少女の名前

 趣味はおっぱい。

 好きな物はおっぱい。

 好きな食べ物もおっぱい。

 そんな、目が覚めたばかりのおっぱい君の目の前に、呼吸に合わせて揺れる豊かな褐色の双丘がブカブカのシャツの襟から見えていた。

 おっぱい君は驚いた。

 これまで生きてきた時間の中でこんなにもおっぱいが間近にあったことはあるだろうか。いや、ない。そして谷間に指を突っ込んでみたい。そう思うのは健全な十八歳の男であれば必然である。


――ゴクリ


 唾が喉仏を通り飲み込む音が鳴る。震える手を指を少しずつ少しずつ谷間へと近づける。そして谷間へと近づけたときにおっぱい君は思った。

 これは指を突っ込むだけではなくシャツの襟に指をかければ生おっぱいを拝むことが出来るのではないかと。

 革新的なアイディアにおっぱい君は震えた。なんて俺は天才なんだと。

 生おっぱいが見れる。そう思うだけで口から心臓が出そうな程、緊張する。

 思ったが吉日。早速、逸る気持ちを抑えながら襟へと指を掛ける。鼻の下を伸ばしながら徐々に露わになるおっぱいを覗き込む形で見る。

 あと少しで先端部分、あと少しで先端部分。

 童貞にとっては未知の領域。しかし、その期待は豊かな双丘を持つ少女の一声によりかき消されてしまった。


「ん…んん…」


 もぞもぞと動く少女。艶めかしい寝息がおっぱい君の耳を刺激し襟へと引っ掛けた指が動きを止める。

 おっぱい君は少女の動向を探った。

 寝相を変え丸みを帯び、少女の顔がおっぱい君の目の前にきていた。長い睫毛、透き通るような青い瞳は今は瞼の向こう。頬は微かに赤みを帯びており、その肌は触ると波を打ちそうなほど瑞々しく。艶やかな唇から一定間隔で寝息が漏れる。

 それは童貞のおっぱい君には刺激が強すぎる光景。


 そして、おっぱい君の理性が崩壊寸前。

 無防備に隣で寝てる少女に何もしないというのは一人の男として失礼なことではないのか。ここは男として責任を持つことに意味があるのではないのか。そんなバカみたいな哲学を反芻しながら、おっぱい君は覚悟を決める。

 これはもう谷間に指を突っ込むだとか、襟を指で引っ掛け生おっぱいを見るだとかではない。

 シャツの上からだとしても、おっぱいを鷲掴みにすることに意義を見出したのである。


――さぁ、いざ行かん!桃源郷へと!


 腕を伸ばし、呼吸に合わせ揺れるおっぱいへと標準を定めると勢いを付けおっぱいへと手を伸ばす。

 しかし、その覚悟は少女の目覚めによりまたもや潰えた。

 少女は目覚めると上半身を起こし、目を擦りおっぱい君へと視線を向ける。おっぱい君は硬直し色々と言い訳をあれやこれやと考えているものの何も思い浮かばない。

 少女は襟を正し、そんなおっぱい君に言葉を投げつけた。


「……エッチ」


 こうして、文頭からクソみたいに千二百文字近くを使ったおっぱい君のおっぱい君によるおっぱい君の為のおっぱい作戦は少女の目覚めにより失敗に終わったのであった。



――――



「…親父…こいつに変な言葉を覚えさせただろ…」


 時間は昼過ぎ。着替えを済ませ遅めの朝食兼昼食を食べながらザックは父親を睨む。父親はというと、ん〜?あ〜などと曖昧な返答をしたあと、母親にスープのお代わりをねだるのだった。

 忌々しげに一通り睨んだあと隣でモソモソと野菜を食べる褐色少女に目をやる。そんな少女は寝ていた時のブカブカのシャツではなく母親のお下がりの服に着替えていた。


 化物との戦いを終えて、無事に村に帰宅したエロイカ達。

 重軽傷者は出たが死者は出てはいない。ボスも怪我を負ったこともあり、しばらくエロイカの活動は自粛となった。

 普段であれば村に着き、一通りの確認をしたあと解散となるのだが今回ばかりはそうはいかなかった。

 理由は少女である。

 少女の処遇を巡り、あれやこれやと議論されたのだが当の本人に言葉は通じない。口を開いても聞いたこともない言葉にエロイカ達は頭を悩ます。

 結局、ずっとザックの隣から離れないという理由で少女はザックが預かることとなった。


 帰宅しボロボロとなったザックを見た両親は大変心配したのだが、その心配は早々に少女へと興味が移っていた。

 ザックは少女を連れてきた経緯をあれやこれやと説明し終えると眉を顰め話を聞き入っていた両親は柔らかい表情に変わり少女を迎い入れたのだった。

 とりあえず、朝が近かったこと少女がザックから離れないこともありでザックの部屋で寝ることになったのだがベッドへは少女に床にはザックが寝ることに。

 しかし、いつの間にかザックの布団へと潜り込んでいた少女にセクハラしようとしたのが冒頭からの一連の成り行きである。


(しかし親父はいつ、こいつに変な言葉を覚えさせたんだ…)


 そう思いながら少女を見ていたらザックの視線に気が付いたのかザックの顔を見ると小首を傾げた。うーむと唸っていると隣から両親の声が聞こえてきた。


「ワシらにもとうとう念願の娘が出来たなぁ母さんや!」

「あらやだ、お父さんったら。違いますよ。孫ですよ孫!これからきっと孫ができるんですよ!」

「おぉ…孫!孫ができるのかぁ!」


 おいおい…と心の中でツッコミを入れながらザックは少女を見ながら口を開く。少女は変わらず野菜をモソモソと食べている。


「とりあえず、名前だけでも分からないとなぁ…」

「その嬢ちゃんは言葉も分からず、話しても分からない言葉…ということだったなぁ…」


 ザックの独り言を拾ったのか確かめるように父親が聞いてくる。うん、と頷くザックを見て父親は顎髭を触りながら、うーむと何かを思い出すかのように話し始めた。


「たぶん…その子は異国出身じゃなかろうか。ここマルトノ伯爵様が治める領地に他をまとめ上げるアマデウス国家は広く陸続きで知らないと思うが、船で海を渡った先にも色んな国がある。この国の他にも色んな言葉があるというのを昔、若かったときに聞いたことがあるぞ」


 寝耳に水のような言葉にザックは父親の方を向き、目を見開き驚いた。

 どこで生まれたかは知らないが、ここで…フィルイン村で生涯を終えることを当たり前のように考えており、どこかへ旅立つとか他の国だとか考えたことが一切なかったからである。両親の元を離れたくないという理由もあってのことなのだが。

 それはエロイカ達も同じなのであろう。皆ここで生まれ、どこかへ旅立つということは聞いたことはなかった。


「どこからか連れて来られたのか…はたまた売られてきたのか…それは分からんが…」


 言葉を濁す父親。続けて


「しかし、世界は広いということだな。ザックももう大人だ。世界を見てくるのも良いと思うぞ!それに、嬢ちゃんが帰りたいと願うのなら連れて行くのもありじゃろうて!」


 少し寂しそうな目をしながらもカッカッカと笑う父親を見てザックは思う。親父とお袋を残して行けるかっつーの!と。しかしザックは少女を見て、やはり少女は自分の居た国に帰りたいだろうと思う。少女の気持ちになり考えると胸が苦しくなり顔を顰めてしまう。


「お前は…やはり、帰りたいか?」


 そんなザックを余所に少女はまたしても小首を傾げるのだが、突然口を開いた。


「リリ…」

「えっ…?」

「リ…リ…イ」


 一言目はポツリと。二言目は自分自身を指差しはっきりと母音を伸ばし告げる。自分の名前だと。


「それが…お前の名前なのか?」


 ザックの言葉は少女には分からない。だが、真意には気付いたのだろう。肯定するように縦に首を振る。


「あらあら、リリィちゃんなのね。可愛いお名前ねぇ」

「じゃあ、今日からリリィ・アレグリアだなー!」


 母親はリリィの頭を撫でながら。父親はアレグリア姓を付けて喜びながら笑う。その様子を頬杖を付きながら見る。帰るか帰らないかは今は置いておこうと。


「しかし…待てよ…なら寝る場所を…」


 とザックは気付く。アレグリア家はそんなに広くはない。

 地下に食料庫、一階は台所に居間、そして両親の寝室。屋根裏っぽい二階がザックの部屋である。もう空き部屋はないのだ。隣に納屋はあるが、農機具やらでいっぱいで人が住めるような感じではない。

 今朝は緊急だった為、ザックの部屋になったのだが住むとなると話が変わってくるのだが…


「あら?ザックちゃんのお部屋で良いじゃない?今朝もそうだったでしょ?それにゆくゆくは孫をね?」

「ザック…お前は男だろ?責任をしっかりと取るんだ!そして、孫をだな!」

「…エッチ」


 三者三様に好き放題に言ってくる。そして、今朝のおっぱいのことを思い出し顔が真っ赤になるザック。


「ちょちょちょっと!結婚前の男と女が一部屋に一緒っておかしいだろ!そそそれに責任ってなんだよ!あっあああと!俺はエッチではない!」

「あら?ザックちゃんは不満なの?こんなに可愛いリリィちゃんと一緒に一つ屋根の下なのに?」

「リリィはもうすでにリリィ・アレグリアだからな!」

「エッチ」


 両親はニヤニヤと、リリィはやけにドヤ顔しながら。ザックはというと、ああああああああと叫びながら頭を抱える。


「かっかかか可愛いとかの問題じゃない!確かに…可愛いが…って、ちがーう!そういう問題じゃない!アレグリアだからなんだよ!その根拠!あと!俺はエッチではないし覚えた言葉を馬鹿の一つ覚えで使うんじゃない!」


 童貞の理想は高い。

 おっぱいを鷲掴みしそうになった分際ではあるが、普通に出会い、恋をして、仲を育みながら結婚をしたいのだ。

 こんな、ノリと勢いで結婚なんて…と頭を抱えるザックを余所に両親の会話は弾む。


「お父さん!これは本当に孫が!名前決めなくちゃですねぇ!」

「うっうっ…ワシらにも…孫が…孫が…」


 この両親はもうどうやっても止まる気配がない。どこか落とし所を付けないととザックは危機感を感じ悩む。どうすればどうすればと悩み、一つの答えが導き出された。ガバッと立ち上がり、リリィを指差す。


「リリィ!今日から、お前は義妹いもうとだ!それ以上でも!それ以下でもない!義妹いもうとなのだから!」


 ザックは自分自身に強く言い聞かせるようにして言うのだがリリィは立ち上がるザックを見て、またも小首を傾げる。その様子がなんだか急に可愛く見えてきたザックはまたも顔を赤くする。


「あらあら、ザックちゃん。義妹にしちゃうのかしら?こんなに可愛いのに。他の男に取られちゃうわよ?」

「母さん母さん、大丈夫だ。ザックがリリィの可愛さに強がってるだけだ。時期に孫が産まれる。それまで待っていようじゃないか」

「そうですわねぇ。じゃあお父さん、一緒に孫の名前でも考えましょうよ」


 両親はとどまるところを知らない。ザックはぐぬぬと唸ると恥ずかしさを隠すように残ったパンと野菜にスープを一気に口に掻き込んだ。

 そして、ガタッと席を立つのだがリリィも一緒に席を立ちザックの後ろに続く。廊下に出ようものなら一緒に廊下へ。二階に上がれば一緒に二階へ。下に降りれば一緒に一階へ。その様子を微笑ましく見る両親。


「あのなぁ…」


 またも気恥ずかしくなり、リリィを見るのだがリリィの顔は不安そうな顔をしザックの服を掴んでいた。そして、すっかり忘れていたことを思い出す。リリィは今まであの牢屋に居たということ。両親から引き離されて、この土地まで連れて来られたのだろうということ。観念したかのように肩を落とし、ため息を付いたあと、リリィの両手を握る。


「すまん。その…なんだ…。お前を置いて何処かに行くとかしないし、お前を見捨てるなんてこともしない。大丈夫、大丈夫だ」


 そうリリィに言い聞かせて頭を撫でる。その手の温もりを感じ安心したのだろうか頬を緩くしたあとザックの胸に顔を埋める。


「ダイジョブ…ダイジョブ…」

「うん。大丈夫だ」


 そんなところを両親はニヤニヤと見ては孫だ!孫だ!と言っている。


「孫は絶対にないからな!」


 ビシッと両親に向かって指をさして告げる。そして自分自身にもリリィは義妹だ!リリィは義妹だ!と言い聞かせる。

 しかし、そこでザックはある事に気付いた。リリィの名前は聞いたけど、そこから孫の話になり自分たちの名前を教えていないことに。よしっと思い、リリィの手を引き両親のいる居間へと向かう。リリィは驚いたような顔をしていたが手を離すことはない。

 両親を前にしてリリィの手を離さず、ザックは自分を指差す。


「俺は、ザックだ。ザック」

「ザ…ック…?」

「そう!そして、この親父が…」

「パパだ!そして、パパの隣にいるのがママだ!」


 父親がザックの言葉を遮り母親の自己紹介までしてしまう。


「えぇ…そんなので良いのか?」

「異国の人だからな!聞き取りにくい名前より簡潔な方が良かろうて」


 リリィは下を向いてブツブツと言うと一人ずつ見て口を開いた。


「ザック…パパ…ママ?」

「まぁ、リリィちゃん!賢いわねぇ!そうよ。ママよ」


 母親はリリィを包み込むように抱きしめた。最初はびっくりしていたリリィだが、何か感じるところがあったのだろう。フワッと笑顔になりママ、ママと言葉を繰り返すのだった。

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