第六話 恐怖とはこのことだ


「森の中で大声で叫ぶ人はそうそういないんだけど」


 踏み出した瞬間に、後ろから声が聞こえた。

 もちろん私ではない。

 男性の、低い声だ。

 でもスズメさんではない。スズメさんのあの声より更に低い。

 この声、どこか聞いた事があるような気がする。

 自分の記憶を辿る。

 この世界に来てから聞いた声ではないことは、はっきりと分った。

 じゃあ小池さん? いや、小池さんはもっと渋い声でダンディーだ。

 大将か、いや大将も小池さんと良い勝負の、渋くていい声の持ち主。


「叫ぶなら普通は山じゃないのかな?」


 その声にゾクゾクっと背筋に鳥肌が立った。

 そして、脳裏に浮かぶのは『怖い』という言葉。


「ねぇ、話を聞いてる?」


 頭上から聞こえてくる声。私より身長が高い人物。

 そして、なぜか勝手に脳が再生される、私が新人だったころの記憶。


「ねぇ、御手洗さん、話聞いてるの?」


 眉間に皺を寄せながら、私が作った失敗した原稿と、パソコンに映し出されているデータ。

 不機嫌な事は、顔を見れば一目瞭然だ。


「これ教えるの、二回目だよね?」


 私より頭一つ分高い身長からいつも見下ろされ、顎に生えている髭が怖さを倍増させている。

 間違いない、この声の主はあの人だ。

 直属の上司だった男性、身長が社内でも一番高くて威圧感が異常な、石橋さん。

 あの人は倒産する一年も前に会社をやめたが、私の中では未だに人生で一番の恐怖を覚えている人物だ。

 新人のときに色々教わってお世話になったが、とっても怖かった。何度失敗するたびに怒られた事か。

 おかげで石橋さんに呼ばれたら、すぐさま頭を下げる癖がついてしまった。

 確かに人に会いたいと思ったが、この人のチョイスは確実に間違っているよ!!

 冷や汗が止まらないんだが、誰かに助けてほしい。一番会いたくない人だよ。

 ぎゅっと固く目を瞑り、意を決して、振り返ったと同時に頭を下げる。


「本当にごめんなさい! 石橋さん!」


 土下座をする勢いで謝った。もう何度もこうやって謝っていたから、癖になっているのは仕方ない。

 いつも私が謝った後、石橋さんは深い溜め息を吐いて「次は気をつけてね」と声を言う。

 言葉だけ聞いたら優しいかもしれないけど、これ、かなり低い声で言われるものだから。男の人の低い声ほど怖いものはない。

 震えそうになる体をなんとか押さえて、石橋さんの次の言葉を待っているが、いつまでたっても声がかからない。

 不思議に思った私は目を開けるが、見えるのは、土と落ちている葉っぱと生えている草だけ。

 相手の足が見えない。

 これはどういうことなのかと、私は下げていた頭を上げる。

 視線を上げて行くと上下に揺れる黒い羽のようなものが視界に入った。


「君は、迷子なのか?」


 声がもっと上から聞こえる事に気付いて更に視線を上げると、そこには一羽の真っ黒な鳥が羽ばたきながら宙に浮いていた。

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