パン屋は臨時休業

@A_Natsuno

 



「南無ー」



という言葉とともに、ぱんぱんと私は手のひらを鳴らす。

「お母さん、今日という今日こそは朝に美味しいお米が食べられますよーに! ! 」

そう言い終わって数秒念を力一杯込めてから頭をあげると、お母さんが写真越しに、いつも通りいつもの様に、生きていたころと変わらない笑顔でこちらを見ている。


そんな風に私が朝に相応しい呪い交じり念交じりの爽やかな会話をお母さんと交わしていると、隣の部屋から荒々しい食器の音が聞こえよがしに飛んでくる。白髪混じりの灰色の短髪、同じように灰色になった太い眉とじょりじょりとした髭が生えたクソ親父が、眉間の皺をより一層深くして「ふんっ」と鼻をならしてきた。


「今日の朝も不味いパンで悪かったな」

親父はこちらを見ることもなく憮然とした顔で、ポツリと呟いた。


「お母さんは米が好きだったんでしょ? たまにはお米でもいいじゃん。陰膳にパンなんて似合わないって」

とは言うものの、この朝食戦争にお母さんが他界してからのこの一年、未だ私は勝ったことがない。もちろん私が先に起きて朝食を作ればいいと言われればまったくもってその通りなんだけどさ。


うちは親父で二代目の、まぁほどほどに老舗なことと年中無休なこと以外これといった特徴もないありきたりなパン屋であって、だからこそうちの朝食はいつもパンなわけだけど、以上のことを踏まえて一つだけ私に主張をさせていただきたい。


『だってパン屋の主人より早起きとか、女子大生の私に無理くない!? サークルのみんなと女子会して飲んで帰って四時起きとかデスるでしょ! 第二次イーペル会戦? だっけ? で流れてくる毒ガスを目の前にした一兵卒並みに勝利を絶望したって仕方がないじゃない! 』


ということで、今日もまた泣く泣く焼きたてのパンを頬張りながら明日こそはと吹けば飛ぶ覚悟を決めるのだ。





しかしながら、この朝食戦争の話を友人にすると、けっこう羨ましがられることが多い。

『毎日焼きたてのパンが食べられるなんていいじゃん! 』ということらしい。まぁ確かに、プロの作った焼きたてパンを食べられるのは良いことなんだろうけどさ……ねぇ。別にパン屋だから、毎朝パンを食べなくちゃいけないってわけじゃないはずなんだけど、それもこれも、全部うちの親父の頑固さが原因だ。『うちのパンは毎日食ってても飽きねえパンだ』の一言で、いつも片づけられでしまう。


まったく、お母さんもなんでこんな頑固なパン親父と結婚しちゃったのかね。


そんな頑固で、仏頂面で、聞く耳を持たないようなクソ親父だけれど、ただその頑固さは私にはないモノの一つで、パンを大事にしたいっていう気持ちたった一つをここまでずっと持ち続けているのは、それは素直にすごいなって思っていたし、たぶんお母さんのことも今日までずっと好きでいたんだろうなと思うと、なんだか少しだけ憧れることができた。



 ただその一途な頑固さへの憧れも、どうやら今日までみたい。




私は普段、手伝いを押し付けられるのを避けるために、あまり店に寄り付かないようにしていたんだけど、今日はなんとなく学校に向かう前にお店を覗いてみたら店が閉まっていたんだ。もちろんいつも通り朝食戦争では向こうの圧勝していたというのに、あの頑固に一途にパンを作ることにしか興味のなかったあのクソ親父がサボり? いやいやいや、それはないでしょ。それだけはしちゃダメでしょ。それをしてしまったらもう親父としての威厳もなくなってクソ親父から親父の部分をとらなくちゃいけなくなるじゃない。


そう、だから私は朝日が差し込むほの暗いお店にそっと入ってみた。そしてそれを見つけてしまったんだ。


炊き立てふっくらつやつやな真っ白い二つのおむすびを。


あのクソ親父が店をサボタージュした上に親の仇のように否定していた米を携えて朝から出かけようとしている!? 『もしかして女?! 』というフレーズが脳裏をよぎるや否や、その思考に対する回答を私は得てしまった。そのおむすびの横に親父の字で「愛しいあなたへ」と書かれた便箋を見つけてしまったのだ。


正直私はショックだったし、もっと言えば悲しかったんだと思う。頑固で一途な親父に裏切られたような気がして。もちろん、親父は今、独り身なわけだから、別に何一つ悪いことなんてしていないことは頭では理解している。だけど、それでも私は私の中にある『嫌だ』という気持ちを否定することができず、頭がぐわんぐわんと揺れる。


 私は店の横の細い路地にしゃがみこんで、じりじりと熱くなる目頭を何度を抱えた膝に押し付けながらじっと待っていた。そうだ、授業なんてどうでもいい。サークルなんて後回しだ。今日はあのクソの後を追ってやるんだ!



カンカラカララン……キィー……カチャン。



しばらくすると、親父は店のドアに鍵をかけてぽつぽつと歩いていった。




死が二人を分かつまで。


だけどやっぱりそれでも。


 お母さんより素敵なのかな。


 お母さんがいなくて寂しかったのかな。


 私がいたんだけどな。


 いやでもお母さんの代わりにはなれっこない。


 それでも親父だけは絶対にお母さんだけだって思ってたのに。



親父の後ろをバレないように歩きながらも、頭はぐわんぐわんとしたままだった。それでも、今後どうなるにせよ、せめてそんな女の顔だけは拝んでおきたかった。


すると思いのほか早くに親父の足は止まった。そこは家から程なくいった公園で、そして親父は、池のほとりのベンチぽつり一人座った。


何分経ったか。



何十分経ったか。




どれだけ待たせる女なんだ、そろそろ一時間くらい経つんじゃないかという所で、親父はカバンに入れていたおむすびを取り出して、池をみつめながら大きな口を開けて頬張りはじめた。そんな様子を見て、私はなんだか居てもたっても居られず声をかけた。


「親父、こんなところで何してんだ? なんていうか、本当に何してんだよ? 」


親父はさしてビックリした様子もなく、チラッとこちらに振り向いた。そしてすぐにまた池の方に視線を戻してしまった。子供の声や木々の葉擦れの音が耳に響くなか、親父は無言のままだった。そんな親父の横に私も腰を下ろした。


「私、おむすびを見つけてさ、てっきり親父が恋をしているんじゃないかって思ってさ。本当にそうなら良いことなんだろうし、いい娘としては喜んであげるべきなんだろうけどさ、それなのに私すごい寂しい気持ちになっちゃってさ。お母さんのいない寂しさを抱えているのが自分だけになっちゃったような気がしてさ。なんか一人ぼっちになっちゃった気がしてさ」


 途中から私の声は震えていたと思う。すると、親父はふっと小さく笑って、そして小さな声で言った。



「いや、お前の言う通りだ。あいつが死んで俺は恋をした。今日は店を休んでまでの逢瀬よ。毎日そいつの顔ばっかり浮かんでよ。あんなことがしたいとか、こんなとこ連れてったら喜んでくれるかなとか、あいつの食いたいもん食わせてやりたいなとかそんなことばかり考えちまってよ。会いたくて、どうしても会いたくなってよ」


震える私の隣で親父はボロボロと泣いていた。


「あいつが居なくなってから、ずっとあいつのことばっかり考えちまうんだ。たまには店なんか休んで一緒にゆっくりすればよかったのにな。たまには朝から一緒に出かけてやればよかったのにな。たまにはあいつの好きな白米を朝飯にしてやればよかったのにな。あいつに恋文の一つでも書いてやればよかったのにな。あいつがいなくなって俺は、俺はもう一度あいつに恋をしたんだ」


親父が泣くところを初めて見た。いつもの眉間のしわも力なく歪み、涙は止めどなく流れていく。ポタポタと落ちるそれを止めようともしないで、親父はおむすびを頬張った。そして一言、しょっぺえな、やっぱりおむずびより俺の作ったパンの方が美味いっだって。


まったくもう、誤魔化し方が下手なんだからさ。





「南無ー」


という言葉とともに、ぱんぱんと私は手のひらを鳴らす。

「お母さん、今日という今日こそは朝に美味しいお米が食べられますよーに! ! 」


と念じているが、私の目の前の仏壇にはすでに頑固親父が供えたパンが置かれている。


いつも通り私が文句を言うと、「あいつが白米より毎日食べたいって思うパンを作ってやる」だってさ。


まったくあの頑固おやじは。仕方がないなーとぼやきながら食卓のパンに手を伸ばす私は予想外の感触に驚いた。

置かれているパンは、フワフワでしっとりとしてモチモチで、いつもより甘い焼きたての米粉パン。



「まったくあのクソ親父は。デレ方まで頑固なんだから」



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