はじめての……
コンビニエンスストアを出たとたんむうっとした熱気がまとわりつき、陽射しが痛い。遠くに沸き起こる入道雲をぼんやりとした目で見る。駅までの道のりが遠く感じる。日中の一番暑いこの時間帯に人通りは少ない。ミンミンゼミが姦しく鳴く中、無言で歩く。
電車に乗り、冷房の効いた空間に入って、やっと生き返った気がした。やっと頭が働くようになり、物事を考えられるようになる。さきほどからずっと無言の片倉さんが気になって仕方がない。横に座る姿に視線を走らせるが、遠くを見るような表情で何を考えているかうかがい知ることができない。
やっと人心地になったと思ったら、片倉さんの降りる駅だ。覚悟を決めてまたあの熱気の中に体を投げ出す。ほぼ真上から照らす太陽を避ける日陰はない。まあ、5分の距離だ。遭難することはないだろう。
「暑い中、送ってくれてありがとう。今日は本当に助かったわ」
「いや、お役に立てて良かったよ」
友達のことが気になったとはいえ、片倉さんの無鉄砲な行動について、何か言おうかと思っていたが、この暑さにどうでも良くなった。
「それじゃあ、またね」
「それじゃ」
片倉さんはぼうっとした様子で門の中に消えていく。俺も踵を返して家路についた。
自室のエアコンをつけてしばらくしてから、PCを立ち上げる。
<sbk:ヨッシーさん、さっきはありがとう>
<ヨッシー:おう、帰ってきたな>
<sbk:2人家まで送ってきたよ。暑くて死にそうだった>
<ヨッシー:なんだ。折角だからついでにデートしてくりゃいいのに>
<sbk:いや、暑すぎてそれどころじゃないよ。なんか片倉さんの様子も変だったし。具合悪かったのかも。家までの間、ほとんど会話しなかったし>
<ヨッシー:そりゃ心配だな>
<sbk:熱中症になっちゃったのかな>
<ヨッシー:うーん、それだけじゃないような気もするけど、まあ、良く分からんな>
<sbk:それよりもさ、ヨッシーさんに危ないことお願いしちゃってすいません>
<ヨッシー:俺の方がリスクが低いってだけだから気にすんなって>
<sbk:でもさ、なんかその成果だけ自分の手柄になった感じでちょっとね>
<ヨッシー:プロがいるならプロに任せるのが一流の仕事さ。全部自分でやろうってのは無理だろ。それにさ、まあ、今回の被害者がお前の彼女ならお前が直接手を下すのもいいだろうさ。でもそうじゃなかったろ>
<sbk:まあ、そうなんだけど>
<ヨッシー:お前は今の状態なら、まあせいぜい自分を含めて3人分の面倒をみるぐらいにしておけ。それ以上を抱え込むな。自分の身の丈にあったラインを超えると不幸になるだけだぞ>
<sbk:残念だけど、その通りなのかもね>
<ヨッシー:焦ることはない。お前はまだまだ伸びしろがあるんだ。伸びたら4人でも5人でも好きなだけ面倒見ろ>
なんだか分からないもやもやしたものが残っている。もうちょっと自分が大人ならと思わないでもない。
<ヨッシー:あ、それともあれか。お前、その新しい子にも手を出そうってのか?>
<sbk:違うよ>
<ヨッシー:二兎追うものは一兎も得ず、って言葉知ってるよな。虻蜂取らずでもいいけど>
<sbk:だから、違うってば>
<ヨッシー:いやー、年頃だもんなあ。幻惑されても仕方ないよなあ>
<sbk:いい加減にしてよ>
<ヨッシー:悪いな。しかし、お前、その子からアタックされても陥落しない自信あるか?>
<sbk:なんで、そんな話になるんだよ>
<ヨッシー:考えてもみろよ。お前は窮地を救った白馬の王子様なんだぜ。しかも元彼とは切れてフリーだ。意外と優良物件ってことでアプローチあるかもしらんぞ。うは。三角関係のもつれか。たまらんな>
<sbk:またまた、俺からかって楽しい?>
<ヨッシー:楽しいな>
<sbk:そんなにはっきり言われても>
<ヨッシー:ということで今日の貸し借りはこれでチャラな>
<sbk:いつもありがとうございます>
<ヨッシー:なんだよ。急に改まって>
<sbk:いや、冷静に考えたら、今日も途中でほっぽり出して出かけたんだ、ということをね>
<ヨッシー:気にすんな。実は俺もちょっと今手掛けてることがあってな>
<そうなんだ。だったらいいけど>
<ヨッシー:おう、気にすんな>
汗は引いたものの、やはり体が気持ち悪いので、シャワーを浴びて部屋に戻ってみると、スマートフォンにメッセージ有の表示があった。1件は相沢さんから。今日のお礼とろくに挨拶せずに別れたお詫びのメッセージ。もう1件は片倉さんで、内容はほぼ同じ。それぞれに返信をしておく。相沢さんには簡潔に。
片倉さんには、なんとなくいつもと雰囲気が違うので、体を気遣うメッセージを返した。友達のことが心配だったろうし、何しろ今日は全身の水分を搾り取られそうな過酷な気候だったから疲れたのだろう。水分と言えば、片倉さんプールも行きそびれたんだよな。今日は絶好のプール日和だったかも。逆に日焼けしすぎちゃって辛かったかもな。どんな水着姿なんだろうと想像がそっちの方に向かおうとする。意識を現実に戻し、体調悪くなければ、と前置きしたうえで、明後日の外出の約束の話を確認しておく。じゃ、午後にとの返事が返ってきた。
片倉さんの最寄駅まで迎えに行き、ショッピングモールに出かける。自然と先日の話題になる。その後、相沢さんにはコンタクトは無いらしい。うまくいったみたいだね。良かった。今日も相変わらずのピーカンで屋外だと体力の消耗が激しい。モール内は涼を求めて人がかなり集まっており結構な混雑ぶりだ。ぶらぶらと店を見て回る。アウトレット品を扱っているお店で、片倉さんはTシャツを買っていた。雑貨屋で売っているものが気に入ったらしく色々と見ているうちに、思ったよりも長居をして、気づくと18時を過ぎていた。モールの中にいると外が見えないので時間が分かりにくい。慌てて帰ることにするが、最寄駅に着くころには日が暮れていた。
まだ、昼間の熱気が残る路地をゆっくりと歩く。この時間でも少し早く歩くと汗が噴き出してきそうだ。ねっとりとした空気が淀む。
「あのさ」
片倉さんが改まった口調で言う。
「榊原くんて私のことどう思ってるのかな?」
なんと答えていいのか返事に詰まる。何を聞きたいんだろう?少し前を歩く片倉さんの表情はうかがい知れない。
「今日もこうやって会ってるわけじゃない。2人で」
「そうだね」
間抜けな合いの手をいれることしかできない。
「あのね。相沢さんに2人は付き合っているのかって、あの日に聞かれたんだ」
2人は付き合っているのか、そのフレーズが頭に木霊する。
「それに返事できなかった。そしたらね。付き合っていないんだったら、私がアプローチしてもいいよねって」
そして、気づくと片倉さんの家の門のところに着いていた。
「榊原くんとこうやっておしゃべりしたり、出かけるのは楽しいよ。でも」
「付き合ってるってわけじゃない。そういう対象ではないんだ」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。落胆するけど、まあ仕方ないか。
「そうじゃなくて。付き合ってるって何なんだろね。良く分からないよ。私のモノって宣言?」
振り返ってそう問いかける片倉さんは困惑している。
「相沢さんに良く分からない、って言ったら、それはズルい。本当は分かってるくせに、今が心地いいから引き延ばしてるんでしょ、って」
まだ、心の準備ができていない片倉さんを問い詰めちゃったのか。グレーであったものを白黒はっきりしろと。くそ、どうすりゃいいんだ。友達だって言ってしまったら片倉さんの心は軽くなるかもしれないけど、この先もずっと友達のままだ。ああ、心の準備ができていなかったのは俺も一緒なのか。こうなってしまった以上、白黒つけないわけにはいかないのか。
「あのさ。こうなったらはっきり言うよ。俺は片倉さんとちゃんと付き合いたい」
門のところの明かりの陰になって片倉さんの表情はよく分からないが、体がビクっと反応したのは分かった。
「嫌かな?嫌ならはっきりと言って欲しい。そうじゃないなら」
そういって彼女に近づく。この距離なら表情が分かる。見開かれた大きな黒目はまるで、2つの黒真珠のようだ。その黒真珠が目蓋に覆われる。黒真珠を巡る物語、あれは確か6つのナポレオンだったっけな、と脳裏にかすめる。
そして、ぎこちなく首を傾けるとそっと口づけをした。
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