同盟成立
時が止まったような気がしたが、実際にはほんの1・2秒だったのだと思う。門の奥の方で引き戸が引かれる音がして、我に返り、はっとして体を離す。心臓の鼓動が早い。何か言葉をと思うが、なんて言えばいいんだ。ゴメン?いや、謝るのは変だ。よくもこんな行動ができたものだとは思うが後悔はしていない。拒絶はされなかったよな。でも、ただ単に驚いて体が動けなかっただけなのかも。結局なにも言い出せないうちに、片倉さんがかすかな声で、それじゃ、と言って、くぐり戸を開け塀の向こうに消えていく。またな、という俺の声はもう届かない。
家に帰る道すがら、そして家に帰ってからも、今日の自分の行動が正しかったのか自問する。正しい?正しくない?なんかそれも違うような気がする。いくら考えても良く分からない。俺の気持ちは相手に伝わっているものとばかり思っていたが、そうでもなかったのか。好悪でいえば、好きなのだけど、それ以上の気持ちと言うのは分かっていなかったのか?自分を大勢の中の一人としてではなくて、特別な一人にしてほしい。そう求めるのはまだ早かったのか。手の中にあるこの薄べったい箱で連絡すれば、答えは聞けるのかもしれない。でも、電話にもCHAINにも反応してもらえなかったら?考えがうまくまとまらない。
”ヨッシー”さんにアドバイスをもらえたらと思ったが、何と聞いたらいいのか。なんか、さすがに恥ずかしいしな。キスしたんだけど、どう思うって聞くのか?それもあほらしい感じがする。それに”ヨッシー”さんだって他人の気持ちをすべて見通せるわけじゃないだろうし。時計を見ると21時前だ。まだ片倉さんも起きてるだろうけど……。ダメだ。考えが堂々巡りする。
そう言えば、俺は片倉さんのお兄さんに、大見えを切ったんだっけか。昨日のあれは、強引に迫ったうちに入るのか?友達で満足していますとよく言えたもんだ。今日の現場を見られたら、ただじゃすまないよなあ。そんなこんなを考えているうちにいつの間にか眠ってしまった。
翌日は、新体制での部活第1日目だ。昨日のことがなければ喜んででかけるところだが、気が重い。嫌われたんじゃないかとの思いが胸に去来する。とはいえ、サボっても事態が好転するわけじゃなし、しぶしぶと支度をして出かける。今日も良く晴れていて、日中はまた熱くなりそうだが、朝方はまだ過ごしやすい。
弓道場に行くと木村先輩がいた。
「あれ。先輩?」
「引退したのになんでいるのか疑問?邪魔者扱いする気だな」
「いえ、そんなつもりじゃないんですが」
「部活の運営は手を引いたけど、練習は時々参加するわよ。岡野さん達にはうるさがられるかもしれないけど」
「岡野先輩も喜ぶと思いますよ。急にこられなくなったら寂しいですしね」
「あら、うれしいこと言ってくれるじゃない」
久方ぶりに雨戸を開け、空気が入れ替わる頃には、ポツポツと他の部員もやってくる。
「おはようございます」
片倉さんの声がして、体に緊張が走る。恐る恐る振り向いてみるといつもの片倉さんだった。
「おはよう」
と返すといつも通りの笑顔でホッとする。ただ、あまりにいつも通り過ぎて昨日のことがまるで嘘のようだ。新主将の岡野先輩の号令の下、練習が始まる。いつも通りに30射ほどしたところで昼休みになった。
この暑さなので弁当は持ってきていない。同級生でぞろぞろ連れだって学校近くのコンビニエンスストアに買い出しに行く。話をするきっかけも話題もつかめないまま、買い物を済ませて学校へ帰る途中、向こうから話しかけてきた。
「榊原くん、ちょっといいかな」
そう言って立ち止まる。皆を先に行かせ距離ができてから、ゆっくりと歩き出す片倉さんの横に並ぶ。
「うーんとね。兄が話がしたいんだって。今日練習が終わったら時間ある?」
「ああ、あるけど。なんの話だろ」
「伝言頼まれただけだから内容は分かんないなあ。練習終わったら待っててね。あ、ちなみに、今週あったこと全部話しちゃった」
そこまで言うと、たったったと先行している同級生のところに走っていってしまった。
「この間は、プール行けなくなってゴメンね……」
離れたところから片倉さんの声が聞こえる。全部話した?マジかよ。俺人生終了かも……。
午後の練習は情けないことだが精彩を欠いた。4射して的中1か2。動揺がストレートに結果にでてしまう。午前中との差は一目瞭然だ。先輩たちに、暑さで具合悪くしたのか、と心配される始末。ええ、確かに具合悪いです。原因は暑さではないですが。そんな俺の姿を見て片倉さんはすました顔をしている。
あの事件以来、部活は早い時間に切り上げるようにお達しが出ており、16時には終了となった。日差しを避けて、駐輪場のところで待つ。ほどなく、片倉先輩の巨体がやってきた。
「おお、すまんな。呼び立てて」
あれ?表情も至って普通、語調も普通だぞ。身構える俺に言葉を続ける。
「うちの妹が随分と世話になったみたいだな」
「いや、それほどでも」
「謙遜することはないだろう。違法行為をしてまで妹を助けてくれたそうじゃないか。いや、心配するな。口外はしないからな」
「はあ」
想像していた展開とあまりに違う内容に気のない返事しかできない。
「それでだ。お前が浮ついた気持ちで妹に近づいたわけではないということは十分に分かった。先日の非礼は謝ろう。まあ、今後妹を泣かせるような真似をすれば容赦はせんぞ。浮気は論外だし、お互い高校生だということは忘れるなよ」
わかりました、と頷くしかできない。
「それと、妹さんがいるんだよな。今後、学校で困るようなことがあれば遠慮なく俺に言え。剣道を通じてそれなりに伝手がある。悪い虫の1・2匹叩き潰すぐらいなら協力するぞ。中学生になると色々あるからな」
「そうですね。何かあれば……」
「うん。まあ、お前なら自分で何とかするのかも知らんが、手段は多い方が安心だろう。大切な妹が居る身だ。お互い協力できるところ協力しよう」
そう言って、右手を差し出す。俺がその手を掴むとぐっと握りしめ、左手で俺の肩をバンと一叩きする。
「お、ちょうど来たようだな。では頼んだぞ」
片倉さんがやってくるのと入れ違いに離れていく。
「それじゃ、行こうか」
「え?」
「え、じゃなくて、うちまで、送っていってよ。兄に頼まれなかった?」
「ああ」
良く分からないが、これは従った方がいいんだろうな。自転車はまあ、置いていけばいいや。この暑さのなかペダルを漕ぐのもだるいしな。
バスは混んでおり、あまり話ができなかった。バスを降り改札に向かいながら、とりあえず本題とはずれた質問をする。
「お兄さんは今日はどうしたんだ?いつもなら片倉さんの送迎が最優先だろう?」
「兄も部活は一応引退だからね。これからは勉強も忙しくなるし、榊原くんにお願いしたら、って提案したらあっさり了承したわ」
「そっか。まあ、それは光栄ではあるんだけど」
「勝手に送ることになってて迷惑だった?」
「そんなことはないよ。ぜんぜん」
駅の改札を通りながら答える。
「まあ、いつまでも厳戒態勢ってわけにはいかないよね」
「そうだよなあ。でも、あの事件の子もそうやって日常生活を送っているなかでいきなり巻き込まれたわけだよね。あの犯人はまだ自由で次の被害者を狙ってるかもしれないから、気を付けるに越したことはないと思うよ」
「うん。残された家族も辛いしね。そっとしておいてあげればいいのに追い回されてさ。傷口に塩を塗るような真似をしなくてもいいのに」
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