メール1秒、傷一生
ランサムウェア
翌週登校すると藤川グループが何やら話をしている。
「犯人はオタクよ。何考えてるか分からないし、Guessで変なメッセージ送ってくるし、絶対そうに違いないわ。あいつみたいな」
教室に入ってくる俺を見ながら言い放つ。何この熱い風評被害。つーか、貧相なボキャブラリーだよな。俺がオタクかどうかについては議論があると思うぞ。苦笑しながら自席に向かう。その苦笑をどう受け取ったのか、藤川の顔色が変わったのを見て、取り巻きの一人である酒田がからんでくる。
「なんだよ。なんか文句あるのか」
あーメンドクセー。だいたいお前、つまらねえアドウェアに引っかかって、3万も払えねえと泣き言を言っていたのを助けてやったのは誰だっけ。あー、4月のことを覚えてないんだね、もう3カ月も前だからね、そんな昔のことは覚えてないか。
「いや別に」
忠誠心を見せつけたいのか席を立とうとするのを、すぐそばにいた加藤が止める。
「やめとけって」
あとは小さな声で何か言い、酒田の顔が少し青ざめる。カタクという音だけが聞こえた。なるほど、加藤蹴斗は剣道部に入っており、あの日も道場にいた。話を切り替えようとするのか加藤は藤川に向かって言う。
「どんなメッセージが送られてくるんだ?大丈夫なのか?」
自分が話題の中心になって満足したのだろう。藤川は周りに向かっていかに変なメッセージが送られてくるのかを話し始めた。俺はトラブルを回避できたのにほっとして席に着く。ん、待てよ。先日の片倉先輩のあの行動は、俺の実力を確かめたかったか、単に剣道バカが手を合わせたかっただけかと思っていたけど、こういうことを狙ってのことだったのか。考えすぎかもしれないが、ありえないことではないな。
1時限の古文が始まり俺は授業に集中する。別にまじめと言う訳じゃない。平日の5時間を否が応でも拘束されるのがもったいないだけだ。ここで勉強時間を確保しないと家でゲームをする時間が無くなってしまう。もうすぐ期末試験だがここで追試になると面倒だ。
中学のときに一時期英語の成績が振るわなかったことがあるが、そのときはまったくゲームができなくなってしまった。別に親に禁止されたわけじゃない。ゲームをできなくしたのは”ヨッシー”さんだった。ある日CALにログオンしようとしてもできなくなったので、慌ててチャットルームに行き窮状を”ヨッシー”さんに訴えたところ平然と
<ヨッシー:残念。悪いけど勉強に専念してもらうため、ちょっと細工させてもらった>
<sbk:は?なんだよそれ?>
<ヨッシー:ちょっとsbkさんが勉強手を抜きすぎだと思ってさ。ログオンできないようにしちゃった。ゴメンネ>
<sbk:ふざけるなよマジで>
マシンを睨みつける。第7世代CPU搭載のEiserne Wand 2は過酷な屋外環境で使用することを目的としたノートパソコンで、SIMを差すだけで通信でき、外付けバッテリーを装着すれば連続24時間使用できる一方、130センチメートルの高さから落としても壊れないというタフさが売りだ。とても中学生が買える代物じゃない。
それまで使っていたパソコンの調子が最近あまり良くないとチャットした2週間後に送られてきた。”ヨッシー”さんの仕業だ。家族に不審に思われないようにコンピュータ雑誌の懸賞に当たったかのように偽装までしてあった。これに”ヨッシー”さんを憑依させて出かけたこともある。これでいつでも一緒にいられるな、一心同体、とか言ってたけど、こんなものまで仕込んであったのか。
<ヨッシー:うはは。これもデータを人質にとるランサムウェアなのかもな。ふつーは金銭を要求するところだが、お前の反省を促すってとこだ>
<sbk:さすがにやりすぎだよ>
<ヨッシー:だね。良く分かってるじゃないか。ゲームやりすぎ>
<sbk:そうじゃなくて>
<ヨッシー:前から少しはバランスを考えろ、と言ってたじゃない。自発的な行動を期待してたけど、仕方がないので実力行使。ちゃんと猶予は与えたよ>
<sbk:そうだけどさ>
<ヨッシー:まあ、これで分かったろうから。今日のところは解除するけど、少しは反省してね>
ぐぬぬ。まさに鬼の所業。パソコンを人質に取られて言うことを聞くのは癪だが手の打ちようがなかった。それ以来、ゲーム凍結を発動されたことはないが気を付けるに越したことはない。家ではできるだけ遊びたい、しかしある程度は勉強をする必要がある。この条件の中で考え付いたのが授業時間の有効活用だ。
放課後、弓道着に着替えて道場に入る。木村主将が雨戸を開けているところだった。開けるのを手伝うと外から夏の風が入ってくる。今日は良く晴れており、もうすぐ梅雨明けしそうだ。明るくなったところで木村主将が俺の周りをぐるりと一周する。
「きちんと着られているわね。やっぱり剣道でなれているからかしら」
「同じ着方で着てみましたけど、おかしなところはないですか?」
「大丈夫そうね」
「ありがとうございます。それじゃ的出してきます」
「それよりも巻き藁お願いしてもいいかな」
「分かりました」
巻き藁というのは、その名の通り、藁を円筒形に巻いたものだ。うちの部のものは直径50センチメートル、長さ70センチメートルのもの。初心者がいきなり射場に立つと明後日の方角に矢が飛んでいき危険なので、近距離からこの巻き藁に向けて矢を放つ練習をする。この練習用の矢が巻き藁矢で羽がついていない。巻き藁は1.3メートルほどの高さの台に乗せて使用するのだが、ここに問題がある。重さが35キログラムもあるのだ。この重さのものを1メートル以上の高さのところに乗せるのはなかなかにしんどい。女子部員だと3人掛かりでなんとかといった感じだ。
「榊原くんが入部してくれて助かるわ。あら、そんな言い方じゃ、重労働させるために勧誘したみたいね。そんなつもりじゃないのよ」
俺の微妙な表情の変化に気づいて木村主将が言う。
「いえ、お役に立てているならうれしいです。色々指導していただいてますし」
「そう?そうだ。入部したてで申し訳ないんだけど、合宿どうするか決めて欲しいんだ。今週中に返事お願いね」
練習が始まる。今日は初めて弓に矢をつがえて引く練習をした。後から入部した他の2人と一緒に指導を受ける。和弓の場合、弓の弦に指をかけて引くことはしない。弦につがえた矢を親指と人差し指・中指の3本の指で挟み、反時計周りに手首をひねることで矢を保持しつつ引く。不慣れなうちは十分に引き絞れていないうちに暴発してしまうこともある。これでぼろぼろになった畳の存在理由が分かった。
「誰かが引いている最中は、この線から先には絶対に行くなよ。怪我するぞ」
3年生の高畑先輩が注意する。1年男子部員の指導係だ。物静かな感じの先輩だが、俺よりほんのちょっと前に入部した小笠原がうっかり巻き藁の後ろを通ろうとしたときはものすごい勢いで襟髪を引っ掴んで引き戻した。
「お前なあ、マジで死ぬぞ」
青ざめた顔で言う。小笠原も口をパクパクさせながら謝る。
「驚かして悪かったが、本当に危ないからな。これからは気を付けてくれよ」
「す、すいません」
シーンとした空気が破られ、練習が再開される。しばらく練習した後、矢取りの時間に片倉さんが1人でいるときを見計らってそばに行きささやく。
「片倉さんの矢は矢立て箱に入れておいたから」
「ありがとう」
直接手渡すと周りにどう見えるのか心配で回りくどいことをしてしまった。
「それでさ、合宿どうするの?」
「あ、そうだね。もっと早く私も聞けば良かった。そろそろ締め切りじゃない?」
「そうなんだ。それで片倉さんはどうするのかなと思って」
「私はもう申し込み済み。榊原くんもおいでよ」
え?何このストレートなお誘い。ドキンとする。
「秋の新人戦もあるし、1年生はだいたいみんな行くんじゃないかな。みんなに追いつくいいチャンスだよ」
ああ、なるほどそういうことですか。一瞬期待しちゃったぜ。
「小笠原くんも行くんだったよね?」
通りがかったところへ声をかける。頷くのに対して、
「さっきの高畑先輩の怖かったかもしれないけど、心配してのことだからね。私もめっちゃ怒られたことあるからさ。でも、怪我したら大変だしね」
ああ、といいながら笑顔が戻る小笠原。まあ、そりゃそうだ。美人に気を遣われて悪い気がするわけないよな。
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