お邪魔虫
「えーと。それって幸せなことだよね。嫌らしい言い方になっちゃうけど、俺もあの時そうやって守ってくれる人がいたら良かったと思う」
ああ、もうちょっとうまい言い方が思いつけばいいんだけど。
「誰だって、自分の大切なものは失いたくないよね。大事に抱えていたい、その気持ちは当然だと思う。でも、それが片倉さんにとって重荷なのであれば、きちんと考えに考えたうえでなら、その手を振り払ってもいいと思う。ただ、15歳というのは、まだすべてを自分で背負うには早いかな。正直、俺だったら無理。もうちょっと、子供でいてもいいんじゃないかなあ。無理して背伸びするとそのせいで派手に転ぶ気がするんだ」
その場を沈黙が包む。”ヨッシー”さんならもうちょっと気の利いた事言えそうだけど、俺じゃこれが限界。
「やっぱり、榊原くんて私よりずっと大人だね。そう簡単に真似はできそうにないな。ゴメンね。なんか深刻な話ばっかりで。幻滅したんじゃない?」
「ぜんぜん。意外ではあったけど。人それぞれ悩みはあるんだなあって」
「なによ。それじゃ、私が頭空っぽの能天気女だと思ってたわけ?」
そう言って、ほっぺたを膨らます。そして、すぐに笑い出した。
「勝手な想像をしていたのは私の方ね。この間もそう言われてたのに。謙遜しているんだとばっかり思ってた。あら、結構な時間になっちゃった。妹さん待たせてるんじゃない?」
「放っておけば、いつまでも図書館にいるから大丈夫」
「それでも、もうお昼すぎちゃったね。そろそろ行こうか」
「そうだね」
と言って、席を立つと同時に、キャッシャーの位置を目で探しながら、伝票に手を伸ばす。
伝票をつかんだと思ったその瞬間、柔らかく滑らかな何かが俺の手に触れた。背中を電流のようなものが走る。ハッとして振り返ると頬をほんのり桃色に染めた片倉さんと目が合った。うわー、ほんのちょっと手が触れてるだけなのに何だろうこの感じ。一気に心拍数が跳ね上がる。今日1日手を洗うのやめようかな。そうっと片倉さんの手の下から自分の手を引き抜いて、キャッシャーに向かう。
「あ、待って今日は私が……」
構わず、まとめて会計を済ませてしまう。店を出ながら、
「もう、いつもいつもじゃ悪いじゃない」
「たいした金額じゃないよ」
そうそう、今月のゲームへの課金額がちょっと減るだけ。
「うーん。それじゃ、私の気が済まないよ。じゃあ、お昼ご飯一緒にどう。妹さんと3人で。うん、そうしよう」
俺の返事を待たずに、エレベーターに乗り込む。
他に人がいるわけじゃないのにエレベーターの中だとどうして話しづらいんだろう、と関係ないことを思いながら、片倉さんへの返事を探す。本音を言えばもうちょっと一緒にいられるのはうれしいけど、志穂も一緒だしな。ああはいったものの3人分の食事代を出すには財布の中身が寂しい。まさかチェーンの牛丼店ってわけにもいかないだろうし。
1階に着くと俺を待たずに、とっとと図書館に入っていく。走らないように慌てて追いかけていったものの、片倉さんはもう児童書コーナーにいて、きょろきょろしている。俺はため息をついて、書架の脇に置いてある低い子供用の椅子、志穂の指定席に行き、妹の肩をつつく。椅子に今日の戦利品の児童書をうず高く積み上げ、端の方に浅く腰かけ本を読んでいた志穂は、一つうなずくとカバンに本を詰めて立ち上がった。どうやら貸し出し処理を終えて俺を待っていたらしい。カバンを持ってやり、出口に向かう途中で片倉さんを見つけた志穂は俺の顔を見上げ、にぃーっと笑う。
3人そろって図書館を出ると雨はやんでいた。
「こんにちは」
「志穂ちゃんだよね。こんにちは」
志穂は相手が自分の名前を呼びかけてくれたことに驚いている。
「えーと……」
「片倉よ」
「片倉さん。そうだ。この間はありがとう」
「あら。まだ覚えててくれたの」
「うん。それで、これからどうするの?」
「3人で一緒にお昼ご飯はどうかなって思ってるんだけど?いや?」
「別に私はいいよ。でも……、デートの邪魔だったら、わたし一人でおうち帰るよ。まだ馬に蹴られて死にたくないし」
志穂は俺の顔と片倉さんの顔を交互に見て、すました顔で言ってのける。思わず俺は天を仰いだ。本をよく読むのも良し悪しだな。
「デートじゃないぞ。ちょっとおしゃべりしてただけ」
「ふーん」
片倉さんも心なしか上ずった声で言う。
「じゃあ、お店は私に任せてもらっていいかな。すぐ近くだから」
「うん」
そう言いながら、志穂は傘を持っていない方の手でちゃっかりと片倉さんの手を握る。う、うらやましいぞ。俺はお前の山のような本が入ったバッグと傘で手が塞がっているというのに。片倉さんは一瞬驚いた顔をしたが、しっかりと志穂の手を握った。
「うふふ。お姉ちゃんができたみたい」
「あら、私も志穂ちゃんみたいな子だったら大歓迎よ」
すっかり意気投合している。あれ?完全に俺って除け者じゃん?
「志穂ちゃんの好きな食べ物は何?」
「お肉!」
「良かった。これから行くお店はお肉料理が多いから。志穂ちゃんが気に入るといいけど。そこよ」
指さした先は、豊島屋の1本裏に入った細い路地の一軒家だ。すりガラスのはまった木の引き戸の上に白い暖簾がかかっているものの看板もメニューもない。片倉さんはためらうことなく、戸を開け中に入っていく。
「こんにちは。まだ大丈夫ですか」
「いっらっしゃい」
元気のいい高齢の女性の声がする。慌てて俺も中に入り戸を閉めた。
入ってみるとビニールのかかった4人掛けのテーブルが6台ほどあり、テーブルは2つ埋まっていた。スーツ姿の3人組と作業着姿の2人組。どこでもどうぞの声に従い、空いているテーブルのうちの一つに座る。志穂と片倉さんが並び、俺は志穂の向かいだ。
椅子の座面もビニール製でちょっとガタついている。全体的に古めかしい。町の定食屋って感じか、単価800円程度かなと目星をつけながら、テーブルの上のメニューを見て驚いた。鳥のから揚げ380円、豚天420円、アジフライ400円……。安いというレベルじゃない。驚いている間に片倉さんが3人分のお冷を持ってくる。
「はいどうぞ。注文決まった?」
「ありがとう。まだ決まってない」
「お勧めは豚天かな。この間食べたらおいしかったよ」
「じゃあ、俺はそれで。片倉さんは?」
「私は今日は別のにしようかな。アジフライにする。志穂ちゃんは?」
「このバクダンって何かなあ?」
「私は食べたことないけど、ハンバーグを揚げたものみたいね」
「じゃあ、それにする」
「すいませ~ん」
片倉さんがお店の人を呼び注文する。
「豚天とアジフライとバクダン定食お願いします。2つはご飯少なくしてもらっていいですか?」
「はいはい」
と言い、厨房に入っていき、白衣を着た高齢の男性に注文を告げた。
「お二人でやっているお店だから、ちょっと時間がかかるけど我慢してね」
「うん、大丈夫」
料理が来るまでの間、片倉さんは志穂にどんな本を読んでいるのか尋ね、志穂がそれに答える。どんなお話なのとか、私も読んだことあるとか、楽しそうに話をしていて、俺は完全に蚊帳の外。まあ、楽しそうにしゃべる片倉さんを見ているだけで目の保養なのでいいんですがね。やっぱり、笑顔の方が素敵だよなあ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます