なりゆきで部活の見学
武道棟の脇を進むと、建物がほとんど尽きるあたりに弓道場の入り口と思しき引き戸があった。ここまで来たら仕方がない。戸を引き、失礼します、と声をかけて中に入った。中はほとんど板張りで、入り口からちょっと入ったところの奥の一段高くなったところは十畳ほどの畳敷きになっていた。天井はかなり高い。入り口から見て右手は射場なのだろう、戸は開け放ってありその先には板戸で区切られた25mプールほどの空間があった。射場に数人、畳敷きのところに2人がおり、総勢10名弱といったところか。三和土のところで頭をさげ、板間にあがる。
「すいません。見学に来ました」
改めて声をかけると、集団の中から一人がこちらに向かってくる。眼鏡をかけた割と長身の女性だ。髪を後ろで一つに束ねて垂らしている。側に来ると俺よりも身長が高い。値踏みをするような視線を投げかけながら、
「こんにちは。私は主将の木村よ」
「1年1組の榊原って言います。見学に来ました」
「あら、やっと来てくれたのね」
やっと?どういうことだ。
「じゃ、ここで座って見ててくれるかな。荷物は、そこの棚にお願いね」
言われたとおり、畳の上に正座する。先に座っていた2人は、右手に手袋のような物をはめようとごそごそやっている。入り口からは気づかなかったが、畳敷きは奥まで続いているわけではなく、また板張りになっており、壁には古びた畳が数枚立てかけてある。畳は表面がささくれ立っていてかなりボロボロだ。その横は物置か何かなのだろう。その物置の壁には何十張りかの弓が立てかけてある。薄曇りの天気のせいか、全体的に薄暗く陰気ともいえなくはない。見上げると蛍光灯があるものの2カ所に1カ所は間引かれていた。
「失礼しまーす」
片倉さんが弓道場に入ってくる。大人しく正座をしている俺に微笑んでから、木村主将のそばに行き、何か話している。成り行きで見学することになったのを少々後悔しかけていたが、この姿を眺めていられるなら悪くはないかなと思いなおす。さらに数人が入ってきて、しばらくすると主将の整列の号令がかかった。
14名が一斉に的に向かい礼をして稽古が始まった。ほとんどが弓道着姿だが、中にはジャージ姿のものが2名いる。圧倒的に女子が多い。3名が弓と矢を持ち射場に残って残りは畳の上に座る。片倉さんはすぐそばだ。そちらを凝視しているのもみっともないので、射場に視線を戻す。3人は的に一礼するとするすると進み90度右に回転して弓を構えた。的に向かって右から順に一人ずつ弓を引き、2巡したところで、的に一礼し戻ってくる。それと入れ替わりに次の3人組が進む。想像していたほどには的に当たらない。2本に1本ぐらいというところか。
次の組には片倉さんが入っていた。弓を引いているところならガン見しても問題はないだろう。上級生に比べると素人目にも力が入りすぎているのが分かる。普段のふんわりとした笑顔ではなく真剣な表情の横顔に見入ってしまう。2射の結果は惜しくも両方とも外れ。戻ってくると首をすくめ恥ずかしそうな笑みを浮かべる。もう1巡すると部員2人が射場を出て、的の方へ向かって走り出す。的を支える土山に刺さった矢を次々と抜き、雑巾で拭って戻ってきた。
その間に主将がまだ1射もしていないジャージ姿の2人を立たせ、奥のスペースに連れていく。2人は30センチ程の棒に太いゴムがついたものを手にしている。2人はその棒を左手に、ゴムを右手に持ち、頭上に掲げて引っ張って離す動作を繰り返し始めた。弓を引く動作をトレースする練習なのだろうが、傍目にはちょっと間抜けな感じがする。数回やってみせると木村主将はうなずき、棒を回収して弓を渡す。今度は弓を使って型の練習を始めさせると、俺を呼んだ。
「見てるだけじゃ退屈でしょう。ちょっとやってみない?」
そう言って、ゴム付きの棒を渡す。
「じゃ、私の動きを真似してみて」
体験まではするつもりがなかったが、こうなってはやらないわけにはいかなそうだ。見よう見まねでやってみせる。
「ゴムを引くんじゃなくて、握りの方を押す感じで。左手の親指を押し込むように。そうそう。上手上手」
木村主将は俺の形がずれているところに手を添えて修正しながら、動作を指示する。初めてなのでうまくできているはずも無いが、筋がいいと褒める。持ち上げているのだとは思っても、褒められれば悪い気はしない。数回やってみるとスムーズに動きをトレースできるようになってきた。
「どう?やってみた感じは?」
「はあ、見た感じより意外と難しいですね」
「初めてにしてはいい感じよ。着替えもないし、今日はこのくらいかな。まだ、見ててもいいし、帰ってもいいわ」
「もうちょっと見ていきます」
誰かが弓を引いているときは私語はできないが、矢を取りに行く間は、割と自由にしゃべっている。主将ほか数人が話しかけて来てくれるし、片倉さんとも話ができたので、思ったほど退屈はせずにすんだ。結局、1時間30分ほど俺は見学をしていたことになる。さぞ熱心な見学者と思われただろう。主将ほかに入部考えてみてね、と送り出された。駐輪場で待っていると10分ほどで片倉さんが来た。弓道着だろうか、結構大きな包みを持っている。
「お待たせ」
「いや」
「じゃあ、行こうか。どこにする?」
駅とは反対方面に5分ほど歩いたところにあるコーヒーショップの名を告げる。チェーン店だが、高校生が毎日気軽に利用するには少々お高い。この時間なら、うちの学校の生徒はいないはずだ。自転車の籠に片倉さんの荷物を載せ、自転車を押して歩き始める。見学の感想などを話しながら歩いているとすぐに店についた。
なんでもいいというので、トールサイズのアイスコーヒーを2つ注文し、支払いを済ませ、奥の2人掛けの丸テーブルの席についた。この席なら向かい合わせではなく、横並びに近いかたちで座れる。自分のコーヒー代は払うというのを断り、今日の本題に入る。
「それじゃ、遅くなると悪いし、片倉さんに話したいって言ってたことを話すよ。昨日電話であんなふうになっちゃたのは、昔のことを思い出したからなんだ。みっとも無い話だし、聞いて気分のいい話じゃない。実は、俺、小学校のときにいじめを受けてたんだ……」
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