いじめと不登校

 俺がいじめを受けて不登校にまでなったのは、小学校5年生のときだった。もともと父親の転勤に伴う転校ばかりで、神奈川県の西の外れにあるその学校は3校目。5年の1学期に転入して、まあ、ゴタゴタはあったものの、そのうち溶け込むことができた。剣道で全国大会に出て優勝したことがクラスに知られて、自分で言うのもなんだけどそれなりに人気者にもなれた。


 その歯車が狂いだしたのは、自分の余計な一言が原因だった。たぶん3学期の総合的な学習の時間か何かだったと思う。自分たちの住む町の成り立ちを学ぶ中で、北条早雲の話題がでた。担任の田代先生が言った。

「北条早雲は低い身分から一代で立身出世した人物で、この辺りの繁栄の基礎を作った立派な武将です」

 スルーしとけば良かったのかもしれない。


「せんせー、早雲は身分低い家の生まれじゃないよ。妹が名家の今川家と結婚してるぐらい……」

 無邪気に言う俺を、田代先生はにらみつけると、

「先生が間違っているっていうの?あなたちょっと剣道ができるからって調子に乗ってるんじゃない?生意気よ」


 あまりの剣幕に、

「ぼくはそんなつもりじゃ」

「だったらなんなの。授業の邪魔をしないでちょうだい」

「すみません……」

 さらに悪いことに、次の時間の国語の授業で、黒板に字を書き間違えた先生へ、誰かが、その字違うよ、と言った。キッと振り向いた先生は、ものすごい形相で言った。

「榊原くんっ」

「ぼくじゃない、ぼくじゃないよ」

 必死に否定する俺をしり目に、ため息をつく。

「嘘までつくの。男のくせに根性が腐ってるわね。もういいわ」


 もともと優等生タイプ、特に女子には優しく、騒々しい男子のことを鬱陶しそうにしている先生ではあった。自分はそこまで騒がしくすることはなく、特に注意されることもなかったと思う。しかし、その日を境に状況は一変した。誰がやったか分からない不始末は全部俺のせいになった。


 小学生はよく物を失くす。そのたびに俺のせいにされた。違うといっても聞き入られない状況が続けば、責任を転嫁する奴がでてきてもおかしくない。たぶん、転校生のくせに剣道が得意ということで人気者になったのを妬んでいたのもあったのだろう。わざと授業中に消しゴムのカスを前の方の席の子に投げる奴がいて授業が中断したとき、榊原がやったと言われたのを皮切りに色々な罪を擦り付けられた。そのうちにクラスは、俺を除け者にすることで団結していた。


 6年に上がるときにクラス替えはなく、担任もそのままだった。なんとか歯を食いしばって登校していたが、7月に予定されている日光への移動教室の班編成の際に、誰もが俺と同じ班になることを嫌がった。女子グループのリーダーだった田中美里がいう。

「榊原君は、修学旅行に来ない方がいいと思う人~」

 クラス全員が手を挙げ、それを満足そうに見ている担任の顔を見て、俺の中で何かが砕ける音がした。


 家に帰り、もう学校には行きたくないと告げると母親は絶句し、それから俺を問い詰めた。時折、最近元気がないわね、どうかしたの、との問いかけに今までは心配させたくないと黙っていたが、泣きそうになるのをこらえながら学校での事情を説明する。母さんはにわかには事情を呑み込めず、おろおろするばかりだ。お父さんが帰ってから話をしましょうということになり帰宅を待つ。父さんとはそれほど仲がいいわけでも悪いわけでもないが、俺との間には微妙な間というか雰囲気を感じていた。妹には甘々だったのと比べればというぐらいで深刻なものではなく、まあ、妹は可愛いいし、自分は男の子だから、そんなもんだろうと思っていた。


 母さんの電話を受け父さんが帰ってきたのは21時過ぎだった。開口一番、今仕事が忙しいところなんだがと言った。話をすると、男なんだろ、しっかりしろ、それぐらいなんとかできなくてどうする、そういった言葉が並ぶ。俺は我慢できなくなって言う。

「父さんは見ていないからそんなことが言えるんだ。もう限界だよ」

 舌打ちしそうな表情で、

「情けない奴だな」

「お前は、自分の子供に情けないというのか、こんなに困ってるのに」

「それが父親にいうセリフかっ」

 売り言葉に買い言葉で怒鳴りあう。


 すると、先に寝ていた志穂が部屋から起きてきた。俺のそばに寄り添い叫ぶ。

「パパ、お兄ちゃんをいじめないで。お兄ちゃん、こんなに苦しそうなんだよ」

 その言葉に、父さんの目が大きく見開かれ硬直する。しばらく、無言のまま何か考えている。やがて、しゃがれた声で言う。

「あと1週間。1週間だけ行きなさい。その上で無理だというなら考えよう」


 なんだと、あと1週間も。くそ。全く子供のことを分かってくれないのか。悔しさに涙がにじむ。自分の息子がこんなに窮状を訴えているのによくもそんなのんびりしたことをと思い、父さんをにらみつける。ただ、そこには仮面を被ったような顔を見出しただけだった。この顔をしているときは何を言っても無駄だ。今までいつもそうだった。

「……来週だけだからな。約束だぞ……」

 それだけをなんとか言うと、自室に逃げ込んだ。ベッドで小さく丸まってふとんを被る俺に、志穂が追いかけてきて言う。

「お兄ちゃん、志穂がいるから。ね。大丈夫だよ」


 翌週の学校も地獄だった。

 ただ、その地獄は3日ですんだ。水曜日の夕方に疲れ果てて帰宅した俺を、なぜか家にいた父さんが迎え、こう言った。

「もう、学校には行かなくていい」

 助かった、との思いとは裏腹に、

「ぼくが、あと2日も耐えられないと言うんだな」

「いや。もういいんだ。休みなさい」

 険しい顔をした父さんが言う。反発したが、虚勢を張るのは限界だった。ランドセルを投げ捨て、自室に入る。

 こうして、俺は不登校になった。


 ここまで一気に話をして、ふと片倉さんをみると肩を震わせ怒っていた。

「許せない。ほんとに最低っ」

 だいぶ氷の溶けたアイスコーヒーを一口すすると、

「そのナントカっておばさん教師も、クラスメートも、あなたのお父さんもよ。まだ小さい男の子を寄ってたかって。ひどすぎるわ。できることならぶんなぐってやりたい」

 握りこぶしを作って力むのでテーブルが揺れる。あまりの剣幕に思わずのけぞりそうになる俺を見て、片倉さんは少し落ち着きを取り戻した。


「でも、榊原くんがそれだけひどい目に会ってたなんて、今の姿からは全然分からなかった。なんていうかな、もう子供じゃないから群れる必要がないというか。でも、そうじゃなかったんだね」

 ぽつりとつぶやく。

「他人と必要以上に近くならない、関りを持たない、そういうことなんだ。なんか私すごく迷惑だったよね」

「いや、そんなことはないよ」

 強くかぶりを振る。


「今回のこと、迷惑だなんてちっとも思ってない。それに別に他人と関りを持ちたくないってことでもないんだ。どこかで昔の自分のことが知られたらというのが怖かっただけで」

「オリエンテーリングのときの榊原くんのあの態度は、私が小学生時代のことを持ち出したから……。あーあ、なんか自分が嫌になってきちゃった。なんか傷口に塩を塗るようなことばかりしているみたい」

「知っててやったわけじゃないし、仕方がないよ。それになんというかさ、昨日のことで踏ん切りがついたんだ。俺がバカなまねをしたのは、誰かに過去を知られるのが怖いから。そして情けない奴だと思われたくないから。それでもうやめることにしたんだ」

 そこで一呼吸をおく。

「今、一番知られたくない相手に自分で話すことにした。そうしたら、もう秘密がバレるのを恐れる必要はないから」


 

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