謝罪の作法

 次の日の始業前、俺は2組の教室にいた。うげえ、吐きそう。皆の視線は気にしないように、まっすぐ片倉さんの机に向かう。右手と右足が一緒に出そうだ。周囲の雰囲気に片倉さんが顔をあげる。その表情にいつもの元気のいい笑顔はなかった。片倉さんと目を合わせながら、

「昨日の俺の態度はひどすぎた。これで許してもらえるはずもないが、直接謝りたくて来たんだ。このとおりだ」


 そういって、ゆっくりと頭をさげる。突然の俺の行動に片倉さんをはじめ誰も言葉が出ない。そして、頭の中で5秒数えてから顔をあげ、きびすを返し、背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いて歩きながら、教室を出ていく。教室を出たとたん、足が萎えそうだったが、それをこらえ、足早に自分の教室に戻る。


 昨日のヨッシーさんのセリフが蘇る。

 いいか、謝罪は絶対に直接言え。CHAINや電話なんか使うなよ。そして、朝一に言うんだ。大人なら可及的速やかに直接出向いての謝罪、これが鉄則だ。まだ、お互い大人じゃない?ばーか。その子はもう大人だよ。少なくともな、周りから大人のルールを見聞きできる環境の子だ。恥ずかしいだと、当然だ。だから、謝罪になるんだよ。相手の目を見て、言葉はゆっくりと。絶対言い訳はするな。それは別の機会にしろ。その機会を得るために、謝罪一点のみだ。それから、謝ったら返事を待たなくていい。別に仕事で謝罪にいくわけじゃないからな。謝罪したら背筋を伸ばして教室を出ろ。よし、これから謝罪の言葉を教える。声に出して練習しろ。腹に力をいれてな……。

 

 本当にこれで大丈夫なんだろうか。昨日は遅くまで予行練習でしごかれて眠い。1・2時限がのろのろと過ぎていく。ヨッシーさんは、俺に考えうるベストの方法だ。これで今日中に相手からリアクションがなければあきらめろとも言っていた。俺に任せとけと言う割には、ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないか。授業を受けるのにも熱が入らない。いつもは気になる後ろのヒソヒソ声も気にならない。勝手に想像して楽しんでろ。そして、何事もなく、中休みが終わり、3限、4限と気の抜けたサイダーのような時間がすぎていく。昼休み、5限、6限……。


 いつもは大歓迎の終業のチャイムが鳴り響く。ダメだったか。仕方ない。帰り支度をして教室をでる。そこには片倉さんが立っていた。

「ごめんなさい。許せないです」

 許せないか。そうか……。


「自分が許せないです。迷惑をかけたのは私なのに、自分の都合ばかりを言ってしまって。榊原くんが怒るのは当然です。なのに取り乱してしまったせいで、そのことを謝らせてしまって、本当に私、最低です。今度は私の番です。昨日はごめんなさい」

 そういって、ぴょこんと頭を下げる。気づくと、片倉さんの後方に、教室からこの様子をかたずをのんでみている数人の姿が見えた。両手を振りながら、慌てて言う。


「いや、そんなつもりじゃないんだ。やめてくれないか。片倉さんが謝る理由なんてないんだから」

 どうしたものだろう。まいったな。俺の謝罪を受け入れてくれたのはありがたいが、こんなことになるとは。このあとどうすりゃいいんだ。この窮地を救ったのは中川だった。


「ちょっとごめん、通るよ。おい、啓太、覚悟しといた方がいいぞ、妹にこんなことさせたと兄貴に知れたら、お前ミンチだな。じゃあ冥福を祈ってるよ」

 といいながら、俺の肩をポンと叩き、去っていく。その声に、片倉さんが顔をあげる。素早く小さな声で告げる。


「昨日のあれ、自分でもみっともないとは思ってる。でも、理由がある。言い訳になっちゃうけど聞いて欲しいんだ。今日は部活あるよな。部活のあと時間あるかな?それとも部活がない明日がいい?」

 明日は、電気設備の点検とかで、部活はできないことになっている。ヨッシーさんから授けられた知恵は、相手を誘うときはYES・NOの質問ではなく、AかBを選ばせるんだというもの。AもBも答えがYESなのは変わりない。これがダブルバインドってやつだ。少々小手先のテクニックに頼りすぎる感じだが、余裕がないこれでいけ。


「大事な話なんでしょ。今日の方がいいな。気になるし」

「じゃあ、終わるまで時間をつぶしてる。それまで待ってるから」

 そう告げて、じゃ、と手を挙げ去ろうとする俺を呼び止める。

「せっかくだからさ、見学しながら待っててよ。ちょっと待ってて」

 一旦教室に戻り、荷物をもってきた片倉さんが俺を促し、歩き始める。

「時間つぶしで見学は失礼だろ」

「ううん、大丈夫。いこ。木村先輩も喜ぶと思う」

 そう言って振り返る顔は、いつもの快活さを取り戻していた。なりゆきとはいえ、見学をするのか。まあ、仕方ないか。


 校舎を出て、ゴミ置き場の脇を通り、武道棟に向かう。今日は曇り空だが、雨は降っていない。野球部が道具を準備している声を聞きながら、100メートルほどの距離を歩く。

「えーとねえ、オリエンテーリングのあと、見学は結構来てくれたんだ。木村先輩、最初は喜んでたんだけど、部員があまり増えなくてがっかりしてた。あ、木村先輩ってね、弓道部の主将。練習中は厳しいけど、いい人だから」

 うん、まあ、見学は増えるだろう。勧誘としちゃかなり強力だったもんな。


「でも、あまり入部はしてくれないんだ。弓道ってさ、中学じゃあまりやってるところないんだよね。だから、高校から始めても周りとそんなに差がないから新しく何か始める人には向いてると思うんだけど。なのになんでだろう」

「片倉さんは前からやっていたの?」

「ううん、中学の時は陸上やってた」

 武道棟の入り口に着く。だけど、ここは弓道場の入り口じゃない。弓道場はその奥に半ば屋外のような形で設置されている。

「更衣室はこの中なんだ。じゃ、着替えてくるから先に行ってて。建物に沿っていけば入り口はすぐ分かるから」

 


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